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第30話:才能を持たぬ者の証明


 クラーケンが、舳先に立つ小さな人間カイルに気づき、怒り狂ってその丸太のように太い触手を振り下ろしてきた。

 危ない、と漁師たちが息を呑んだ瞬間。カイルは全く動じず、手にした青い薬液の瓶を触手に向かって投げつけた。

 パリンッ!

 瓶が割れ、青い薬液が触手の表面に弾ける。

 その瞬間、クラーケンの触手は「ギィャァァァッ!?」という奇声のような音を立てて、水風船が縮むように急激にしなびてしまった。

「な、なんだ!? 魔法か!?」

 驚く漁師たち。だが、甲板に寝転がっている私には、彼が何をしたのか手に取るように分かった。

「……『極度の浸透圧』か。よくできている」

 ナメクジに塩をかけるのと同じ理屈だ。クラーケンは体内の水分量で圧力を保ち、巨大な筋肉を支えている。カイルが投げたのは、海水の何十倍もの塩分濃度と吸水性を持つ『脱水薬液』だ。触れた表面の水分を強制的に奪い取り、細胞の圧力を壊して機能不全に陥らせたのだ。

「どうだ! 海の化け物だろうが、生体構造の弱点を突けばただの肉の塊だ!」

 カイルは次々と薬液を投げつけ、迫り来るクラーケンの触手を無力化していく。

 クラーケンがたまらず真っ黒な墨を吐き出そうと口を大きく開けた瞬間、カイルは今度は赤い薬液を精確にその口内へ投げ込んだ。

 ボコォッ!

 それは墨の成分と急激に反応する『凝固剤』。クラーケンは自分の吐き出そうとした墨が口の中でセメントのように固まり、海面でのたうち回ってむせた。

「す、すげえっ……!」

「あいつ、一人であのバケモノを手玉に取ってやがる!」

 漁師たちが、興奮の熱を帯びた声でカイルを称賛し始める。

「ふはははっ! 見たかルミナ! これが俺の力だ! 生態学と錬金術の極致だ!」

 カイルは恍惚とした表情で笑い声を上げた。

 だが、彼が私の方を振り返って得意げに胸を張った、まさにその時だった。

 ザバァァァッ!!

「危ないっ、カイル!」

 私の警告と同時。クラーケンの死角――海中から不意打ち気味に飛び出してきた『もう一本の無傷の触手』が、カイルの立つ船の甲板を横薙ぎに粉砕した。

「ぐわぁっ!?」

 カイルは吹き飛ばされ、隣の船の網に激突してもつれ込んだ。

 知識は完璧でも、彼は魔物と直接対峙する『戦闘の経験(勘)』が圧倒的に不足している。予期せぬ物理的な質量攻撃に、彼は完全に体勢を崩してしまった。

 クラーケンの巨大な八つの目が、網に絡まって動けないカイルに憎悪の焦点を合わせ、最大の触手を高く振り上げる。

「ちぃっ……!」

 カイルが顔を歪め、死を覚悟したように目を閉じた。

 ――そこまでだ、弟弟子。これ以上は、姉の責任の範疇だ。

 私は痛む体に鞭を打ち、全魔力を右腕の一点に集中させて、足元にあった『黒い片手鍋』の柄を握り込み、渾身の力で大空へとぶん投げた。

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