表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/52

第3話:英雄の帰還と、埃を被った依頼書


 森を抜け、一番近くの宿場町へたどり着いた頃には、すっかり陽が昇りきっていた。

 活気にあふれる市場の喧騒を抜け、石造りの重厚な建物――冒険者ギルドの重い木扉を押し開ける。

 建物の内側は、昼間から酒を煽る荒くれ者や、依頼の相談をする者たち特有の熱気と埃っぽさに満ちていた。

「あの……ここまで、本当にありがとうございました」

 ギルドの入口で、泥だらけの少年が深く頭を下げた。

 森でロック・ボアに襲われていたところを助けた新米冒険者だ。命拾いした安堵からか、彼の表情は昨晩の怯えきったものから、少しだけ年相応の明るさを取り戻している。

「気にするな。たまたま通りかかっただけだ」

「それでも、です。……僕、もっと修行して、いつかあなたみたいな、強くて立派な冒険者になってみせます。あの巨獣を素手で追い払うなんて、まるで伝説の勇者みたいでしたから!」

 目をキラキラと輝かせる少年に、私は苦笑いを漏らした。

 かつての私なら、その言葉を額面通りに受け取り、誇らしげに胸を張っていただろう。だが今の私は、その「勇者」という肩書きの重さと、張りぼての強さがどれほど脆いかを知っている。

「立派な剣の振り方を覚えるのもいいが……まずは、自分の身の丈に合った依頼を選ぶことだ」

 私は、少年の腰で不釣り合いに輝く長剣を軽く指差した。

「それと、干し肉と月見草を使った美味しいスープの作り方。生きて帰るためには、そういう地味な知識の方がよっぽど役に立つ」

「……スープの、作り方?」

 きょとんとする少年を残し、私は小さく手を振ってギルドの奥へと歩を進めた。

 彼が今の私の言葉の本当の意味を理解するのは、もっと先のことだろう。それでいい。言葉で教え込めるほど、旅というものは単純ではないのだから。

 ギルドの中央に設置された巨大な依頼掲示板へ向かうと、すれ違う冒険者たちの視線が、次第に私の一挙一動に集まり始めた。

 使い込まれてはいるものの、隠しきれない白銀の装具。そして、背中に負った特徴的な布巻きの長物。

「おい、嘘だろ……あの銀のブーツ……」

「まさか、王都から本物が来たっていうのか?」

「魔王を討ったっていう、あの『聖剣のルミナ』か……!?」

 ヒソヒソとした囁き声が、やがて波紋のようにギルド全体へと広がり、喧騒が不自然なほどの静寂へと変わっていく。

 畏敬、驚愕、あるいは値踏みするような視線。

 だが、私はそのどれにも意に介さなかった。

 名声など、腹の足しにもならない。それはあの旅で、あの不器用な男の背中から嫌というほど学んだことだ。

 私は掲示板の中央に貼られた「高難易度・高報酬」の派手な依頼書たちには目もくれず、一番端の、ホコリを被った木箱へ手を伸ばした。

 そこは、報酬が安すぎるか、作業が泥臭すぎるせいで、誰もやりたがらない「塩漬けのクエスト」が放り込まれる場所だ。

 パラパラとカビ臭い羊皮紙をめくる。

 『迷子になった飼い猫(三毛・凶暴)の捜索』、『西の果樹園に発生する謎の異臭の調査』、『古い水車小屋の歯車の噛み合わせ修理』。

「……うん、これくらいが丁度いいな」

 私が一枚の古い依頼書を引き抜き、受付カウンターへと歩み寄ると、若手の受付嬢がひっ、と短い悲鳴を上げて直立不動になった。

「ゆ、勇者ルミナ様……っ!! 本日はいかなるご用件で当街へ!? もしや、近隣に魔王軍の残党が……!?」

「いや、ただの旅の途中だ。しばらくこの街に滞在しようと思ってね。宿代を稼ぐために、これを受理してほしい」

 コトリ、とカウンターに置かれた依頼書を見て、受付嬢は目を丸くした。

「……『南区画の下水道における、大ネズミの生態調査および非殺傷での追い出し』……? あの、ルミナ様、これはその……下っ端がやるような、非常に汚くて報酬も銅貨数枚という……」

「これがいいんだ。ネズミの生態系を壊さずに追い出すには、ちょっとした『匂いの知恵』が必要でね。それに、今の私の身の丈に一番合っている」

 ギルド中が静まり返る中、入り口付近でそのやり取りを呆然と見ていた少年が、ふらふらと数歩前に出た。

「ゆ、勇者、ルミナ……? 魔王を、討伐した……本物の……!?」

 少年の顔は信じられないものを見るように引きつり、先ほどまで「伝説の勇者みたい」と無邪気に語りかけていた相手が、まさかその当人であったことにようやく思い至ったらしい。

 そして、そんな雲の上の存在から「美味しいスープの作り方を覚えろ」と真顔で説教されていた事実に気づき、少年の顔は限界まで赤く染まっていった。

「え、ええええええええっ!?」

 少年の遅すぎる悲鳴のような驚愕の声が、静まり返ったギルドに響き渡る。

 呆然とする受付嬢と、パニックを起こしている少年をよそに、私はポン、と依頼書を指先で弾いた。

 脳裏に、あの男の呆れたような声がよみがえる。

 ――『世界を救う前に、まずは足元の泥の歩き方を覚えな』

「さて、まずは泥臭草と、ハッカの葉の買い出しからだな」

 誰にともなくそう呟き、私は冒険者ギルドを後にした。

 かつての英雄の、ひどく地味で、だが確かな足取りの「新たな旅」が、この街から始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ