第25話:歪んだ教えと、見知らぬ弟弟子
南の港町『ポルト』へと続く街道は、潮の香りに満ちていた。
雪と氷の世界から一転、温暖な気候と豊かな海産物――ジンが言っていた「漁師風ブイヤベース」を求めて、私の足取りは自然と軽くなっていた。
だが、港町を囲む『潮騒の森』に入ったあたりから、私の鼻が、潮の香りとは別の「妙な匂い」を捉え始めた。
「……血と、腐敗臭?」
私は立ち止まり、周囲の植生を観察した。
おかしい。温暖な海沿いの森なら、羽虫や小動物の気配が満ちているはずだ。だが、森は不自然なほど静まり返り、足元のシダ植物は黒く変色して枯れ落ちている。
――生態系が、意図的に壊されている。
かつての魔王の瘴気によるものではない。特定の植物を枯らし、それを餌とする昆虫を死滅させ、結果として森全体の生命活動をドミノ倒しのように停滞させる……極めて人為的で、悪意に満ちた『物理的な環境操作』の痕跡だ。
「誰だ。こんな手の込んだ悪ふざけをしているのは」
私が黒い片手鍋を背負い直した、その瞬間。
「『悪ふざけ』とは心外だな。俺はただ、生態系のピラミッドから不要な石をいくつか引っこ抜いて、効率よく崩れるかを実験していただけさ」
頭上の枝から、声が降ってきた。
見上げると、くすんだ灰色のマントを羽織った、痩せぎすの青年が木の枝に腰掛けていた。年は私より少し下だろうか。その手には、剣でも杖でもなく、複数の薬品瓶が刺さった革製の『調合帯』が巻かれている。
「……何者だ」
「俺か? 俺はカイル。あんたと同じで、魔力なんて一滴も持たない、ただの泥臭い人間さ」
カイルと名乗った青年は、枝からふわりと飛び降りると、私の顔を見てひどく歪んだ笑みを浮かべた。
「お初にお目にかかるな、『聖剣のルミナ』。いや……俺にとっては、顔も知らない『姉弟子』と呼んだ方がいいか」
「姉弟子……?」
私が眉をひそめると、カイルは腰の薬品瓶を一つ指先で弾きながら、口を開いた。
「『剣は家を建てられない。明日を生き抜くためには、剣を鋤に持ち替える知恵を持て』。……俺にそう教えてくれた無精髭の男は、いつもいつも、先に旅立ったあんたの自慢ばかりしていたよ」
――心臓が、ドクンと跳ねた。
アルトだ。彼がアルトの言葉を、アルトの教えを知っている。
「アルトに……会ったのか?」
「ああ、あんたが魔王討伐の旅に出た後の話だ。俺はあいつから『知恵』を教わった。魔法の才能がなくても、世界を物理的に支配し、圧倒的な力を持つ魔物や強者を『環境ごと』引きずり下ろす術をな」
カイルの目が、暗く淀んだ光を帯びた。
「だが、あいつは嘘吐きだった。知恵があれば生き抜けると言いながら、結局世界を救ってもてはやされたのは、特別な才能(魔法)とチート武器(聖剣)を持った『あんた』じゃないか」
カイルの言葉には、どうしようもないほどのコンプレックスと、私に対する激しい憎悪が入り混じっていた。
「俺は、あいつの教え(物理)が、才能(魔法)より優れていることを証明してやる。……まずは、この森の生態系を完全に腐らせて、その『聖剣』とやらで治せるものなら治してみろよ、姉弟子」
カイルが指を鳴らすと、枯れたシダ植物の群生から、可燃性の高い紫色の毒ガスが一斉に噴き出し始めた。彼が事前に仕掛けていた化学反応のトラップだ。
「なっ……!」
「じゃあな。せいぜい、そのピカピカの剣を振って足掻いてみろ」
ガスが充満する中、カイルの姿が森の奥へと溶けるように消えていく。
同じ男から教えを受けながら、真逆の道を歩んだ弟弟子。
魔王という巨大な悪がいなくなった世界で、私は初めて、「私と同じ理屈で世界を壊そうとする敵」と対峙することになった。




