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第24話:英雄の背中と、芽吹く日々


 三日目の朝。グレンツェの広場は、これ以上ないほどの歓喜と、暴力的なまでに濃厚な匂いに包まれていた。

 広場の中央で三日三晩、絶やすことなく薪をくべ続けた大鍋の中。スノーウルフの太い骨は完全に髄まで溶け出し、透き通っていた水は、極上のコラーゲンと脂が乳化した『白濁色のスープ』へと変貌を遂げていた。

「完成だ。これが本物の『スノーウルフの骨太スープ』だ!」

 私が木べらを高らかに掲げると、温かい石のオンドルの上に座っていた村人たちから、割れんばかりの歓声が上がった。

 配られた木椀から立ち昇る湯気には、初日の即席スープとは比べ物にならないほどの『深み』がある。一口啜れば、溶け出した骨の髄の旨味が舌に絡みつき、濃厚なコラーゲンが冷えた唇を潤していく。極寒の北風を耐え抜いた獣の命が、ゆっくりと時間をかけて、人間の血肉エネルギーへと変換されていく味だった。

「美味い……! 腹の底から、力が湧いてくる……!」

「床もポカポカだし、スープは熱いし……冬が、少しも怖くないわ」

 テントの中で温かい床に寝転びながら、子供たちがスープを飲んで笑い合っている。

 三日前、この街を覆っていた死に直結するような絶望と疲弊は、もうどこにも見当たらなかった。

 私は空になった自分の椀を置き、傍らに立っていた兵団長に向き直った。

「どうやら、私の仕事はこれでおしまいのようだな」

「ルミナ様……。発たれるのですね」

 隻腕の兵団長は、引き留めることはしなかった。

 ただ、深く、深く頭を下げた。

「三年前、貴女様が魔王を討ってくださった時、我々は『これで全てが終わった(救われた)』と勘違いしていました。だからこそ、復興の厳しさに直面した時、心が折れかけてしまったのです」

 彼は顔を上げ、街を囲む頑強な防風壁と、そこから立ち昇る床下暖房の煙突の煙を見つめた。

「ですが、貴女様は今回、魔法や奇跡ではなく、我々自身の手で瓦礫を積み、熱を作る『知恵』を授けてくださった。……私一人では世界は救えなかったと、貴女様は仰いましたね」

「ああ。事実、私は瓦礫の山を前にして、自分の無力さに絶望したよ」

 私が自嘲気味に笑うと、兵団長は静かに首を振った。

「いいえ。貴女様がこの三日間で泥だらけになって我々に蒔いてくれた『知恵という名の種』は、これから先、何度冬が来ようとも、この街の人間を救い続けます。貴女様は間違いなく、我々の明日を救った『本物の英雄』です」

 その言葉を聞いた瞬間。

 私の胸の奥でつっかえていた、冷たくて重い氷のようなものが、温かいスープの熱に溶かされてふっと消え去っていくのを感じた。

 ――そうか。アルト。

 あの不器用な男が、魔法も使えないくせに誰よりも逞しく、強かった理由。

 彼は『一人で全てを背負うこと』を放棄していたからだ。生活の知恵を共有し、共に美味い飯を食い、誰もが自分の足で立てるように『勇気の種』を蒔いて歩いていたからこそ、彼はあんなにも自由だったのだ。

「……ありがとう、兵団長。最高の褒め言葉だ」

 私は背中に愛用の『黒い片手鍋』を背負い直し、しっかりとベルトを締めた。

「防風壁の補修には泥と雪を混ぜるのを忘れないこと。春が来て雪が溶けたら、床下のダクトの掃除も怠るなよ。灰が詰まれば熱が回らなくなるからな」

「はっ! 全て、記録に残し、次代へ引き継いでまいります!」

 兵団長の力強い敬礼と、村人たちからの「ありがとう!」「また美味いスープを作りに来てね!」という温かい声援を背に受けながら、私はグレンツェの関所を後にした。

 防壁の外に出ると、相変わらず極北の冷たい風が頬を叩く。

 だが、今の私に、寒さを恐れる気持ちは微塵もなかった。

 これまで私は、ずっと『あの男の背中』を追って旅をしてきた。

 彼ならどうするか。彼なら何と言うか。不格好な毛皮も、黒い片手鍋も、全ては彼の真似事に過ぎなかった。

 けれど、今は違う。

 私の足元には、瓦礫の街を砦に変え、人々に熱を伝染させた、私自身の確かな足跡が刻まれている。

 魔王を倒した『聖剣の勇者ルミナ』の物語は、あの街の復興と共に完全に終わった。

 ここから先は、黒い片手鍋を背負った『旅の料理人ルミナ』が、自分自身の足で歩んでいく新しい物語だ。

「さて、次は南へ下るか。海沿いの街の『漁師風ブイヤベース』が美味いと、ジンが言っていたな」

 私は大きく背伸びをして、凍てつく空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 世界には、まだまだ私の知らない美味い飯と、護るべき泥臭い日常が溢れている。

 私の、そして私だけの終わらない旅が、今ここから新しく始まるのだ。

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