第21話:凍土の傷跡と、英雄の限界
雪見町からさらに北へ。
ジンとロルフという賑やかな道連れと別れ、再び一人旅に戻った私が足を踏み入れたのは、かつて人類の最前線と呼ばれた境界都市『グレンツェ』だった。
三年前、魔王軍の最も苛烈な侵攻を受けたこの街は、私が魔王を討伐するための時間を稼ぐべく、文字通り『盾』となって戦い抜いてくれた場所だ。
魔王が消え去り、平和が訪れた今、あの防衛戦を耐え抜いたこの街は、どれほど誇り高く復興を遂げているだろうか。
……そんな私の淡い期待は、重い関所の門をくぐった瞬間に、北の冷たい風と共に吹き飛ばされた。
「……嘘だろ」
立ち尽くす私の目の前に広がっていたのは、三年という月日が流れたとは到底思えないほどの、生々しい傷跡だった。
崩れ落ちたままの石造りの防壁。屋根が焼け落ち、間に合わせのボロボロのテント布で塞がれた家屋。通りを歩く人々の足取りは重く、その目には、極寒の厳しい冬と遅々として進まない復興に対する『明らかな疲弊』の色が濃く滲んでいた。
「よいしょ……っ、あぁ、ダメだ。この石は重すぎる。誰か手を貸してくれ……!」
通り沿いで、初老の男が崩れた家屋の瓦礫を一人で退かそうと悪戦苦闘していた。
私はハッとして駆け寄り、背中の鍋を揺らしながらその巨大な石材に手をかけた。
「手伝おう。せーのっ!」
腰を落とし、てこの原理と体重移動を使って石材を転がす。
魔王の突進すら受け流す私の身体操作をもってすれば、巨大な瓦礫を動かすこと自体は造作もないことだった。
「おお……! 助かったよ旅人さん。あんた、細腕なのにすごい力だな」
「これくらい、なんの……っ」
初老の男に笑いかけようとした私の言葉は、周囲を見渡して、喉の奥で詰まった。
私が動かした瓦礫は、たった一つ。
しかし、視界の先には、撤去しきれていない何千、何万という瓦礫の山が、まるで墓標のように街のあちこちに連なっていた。
――絶望的なまでの、マンパワーの不足。
若く力のある者たちは三年前の戦いで多くが命を落とし、残された老人や子供たちだけで、この凍てつく大地で巨大な石材を動かし、家を建て直すことなど不可能なのだ。
『勇者様が魔王を倒した! これで世界は救われたぞ!』
三年前、王都で聞いた歓喜の声が、ひどく虚しく脳裏に蘇る。
私は魔王を倒した。世界を脅かす巨大な悪を、この聖剣で確かに切り裂いた。
だが……魔王を殺したところで、崩れた家が元通りになるわけではない。凍える子供たちが温かくなるわけでも、死んだ家族が生き返るわけでもないのだ。
「私がいかに剣の腕を極めようと、この瓦礫の山を一瞬で消し去る魔法は使えない……」
私は、土に汚れた自分の両手を見つめた。
一本の剣で奪える命は一つ。護れる背中も、せいぜい手の届く範囲だけだ。
世界を救った『英雄』という肩書きの、なんという小ささ。なんという無力さだろうか。
「……旅人さん? どうしたんだい、そんな悲しい顔をして」
瓦礫を運んでいた男が、心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「いや……なんでもない。もっと、動かせる瓦礫はないか? 私でよければ、いくらでも手伝う」
私は胸の奥を締め付ける罪悪感から逃れるように、ひたすらに瓦礫の撤去に没頭した。
しかし、何時間も泥だらけになって働き続けても、街の風景はほとんど変わらない。極北の容赦ない冷たい風が、私の頬と、英雄としてのちっぽけな自尊心を、容赦なく削り取っていった。
夕暮れ時。
私の正体に気づく者が現れたのは、凍えきった手で最後の瓦礫を道の端へ寄せた、その時だった。
「――あ、貴女は……! まさか、ルミナ様……!?」
背後から響いた、震えるような声。
振り返ると、そこには街の自警団の腕章をつけ、右腕を欠損した壮年の男が立っていた。
三年前の防衛戦で、共に前線を張った指揮官の一人だ。
私は息を呑んだ。
彼らがどれだけ苦しんでいるか、今の私には痛いほど分かってしまったからだ。
「英雄なのに、私たちを見捨てたのか」「世界を救ったなら、なぜこの街はこんなに苦しいのか」……そんな恨み言をぶつけられても、私には返す言葉がなかった。
「……久しぶりだな、兵団長」
私が重い口を開いた瞬間。
自警団の男は、欠損した右腕の袖を揺らしながら、その場にボロボロと涙をこぼして泣き崩れたのだ。
ここで第21話は引きとなります。
続く第22話では、ルミナの予想に反して、街の人々が「恨み言」ではなく「英雄を暖かく迎え入れ、もてなそうとする姿」を描き、それがさらにルミナの胸を打つ展開にしたいと考えています。




