第22話:冷たい塩湯と、継承の片手鍋
「ルミナ様……ああ、生きておいでだったのですね。貴女が魔王を討ってくださったおかげで、我々はこうして命を繋ぐことができました……っ!」
隻腕の兵団長は、私の足元に崩れ落ち、恨み言どころか、ただひたすらに感謝の涙を流していた。
彼の声を聞きつけ、周囲のテントから次々と村人たちが顔を出す。誰もが私を非難するどころか、まるで希望の光を見るような、温かくも痛々しい眼差しを向けていた。
「さあ、ルミナ様。英雄殿にこんなボロボロの場所しか用意できず、本当に申し訳ないのですが……どうか、休んでいってください」
案内されたのは、隙間風の吹く集会所代わりの大きなテントだった。
村の女たちが「ありったけの御馳走です」と、申し訳なさそうに私の前に差し出したのは……欠けた木椀に注がれた『ただの白湯』と、親指ほどの大きさしかない黒く硬いパンの切れ端だった。
「塩を、少しだけ入れてあります。体が温まりますから」
その白湯を一口飲んで、私は泣きそうになるのを必死に堪えた。
塩はこの極寒の地では貴重品だ。彼らは自分たちの明日の命を削ってまで、私という無力な英雄をもてなそうとしてくれている。
白湯は温かかった。けれど、彼らの限界まで削られた善意が、私の胸を酷く冷たく締め付けた。
――違う。
私が彼らから、このなけなしの命を奪ってどうする。
『いいか。休むことも、メシを食うのと同じ立派な仕事だ。明日、万全の状態で剣を振るために、腹に熱いスープを入れろ』
あの日。見栄を張って凍えていた私に、アルトは自分の分の干し肉を削って、熱いスープを無理やり飲ませてくれた。
剣では、人は救えない。瓦礫も退かせない。
だが、『美味い飯』は、絶望して立ち止まった人間の足に、明日を生き抜くための熱を灯すことができるのだ。
「……兵団長。少し、外の風に当たってくる」
私は白湯を一気に飲み干すと、集会所のテントを飛び出した。
* * *
数時間後。
すっかり日が落ちたグレンツェの街の中央広場に、暴力的なまでの『獣の脂とスパイスの匂い』が充満していた。
「ル、ルミナ様!? い、一体何を……!」
広場に駆けつけてきた兵団長と村人たちが、信じられないものを見るように目をひん剥いた。
広場の中央には、私が街の裏山へ飛んでいき、三年前の土地勘と追跡術を駆使して仕留めてきた、巨大な『スノーウルフ(雪狼)』の巨体が転がっていた。
「見張りに立っていた頃を思い出してな。……雪見町で美味いものを食ったから、見よう見まねで少し『料理』をしてみようと思って」
私は分厚い雪熊の毛皮の袖をまくり、燃え盛る焚き火の上に、愛用の『黒い片手鍋(特大サイズ)』をドカンと設置した。
雪見町の酒場の親父が言っていたレシピを思い出す。本当の『骨太スープ』にするには、太い骨を三日三晩煮込まなければならない。だが、彼らの限界を迎えた胃袋には、今すぐ即効性のあるカロリーが必要だ。
「まずは即席の『肉のスープ』だ。骨は別の鍋で明日までじっくり煮込む!」
私はスノーウルフの腹から分厚い脂肪の塊を切り出し、熱した黒鍋に放り込んだ。
ジュワァァァァッ!! という凄まじい音と共に、食欲を直接殴りつけるような濃厚な脂の香りが弾ける。そこに、ジンと一緒に買った余りの『激辛スパイス』と、ウルフの肉のぶつ切りを容赦なく叩き込む。
「あ、ああ……なんという匂い……っ」
「肉だ……。脂の乗った、肉の焼ける匂い……!」
テントから這い出してきた子供たちや老人たちが、その匂いに吸い寄せられるように広場に集まってきた。
彼らの虚ろだった瞳に、原始的な『食欲』という強烈な生の光が宿っていくのが分かる。
「雪を溶かして水にしろ! どんどん煮込むぞ!」
私は剣を振るうのと同じくらいの真剣さで、木べらを使って鍋をかき混ぜた。
味付けは塩とスパイスだけ。だが、極寒を生き抜く魔物の強烈な生命力が、雪水に溶け出して極上の即席スープに変わっていく。
「さあ、椀を持て! 全員、腹がはち切れるまで食え!」
私が大声で叫ぶと、村人たちが我先にと列を作った。
熱々のスープを受け取った村人たちは、一口飲んだ瞬間、まるで雷に打たれたように目を見開き、次いで、獣のように無心で肉に食らいつき始めた。
「美味い……! う、うおおおおっ、美味いぃぃっ!」
「体が、指の先まで熱い……! 力が湧いてくる……!」
隻腕の兵団長も、顔中をスープの脂でギトギトにしながら、子供のように泣き笑いをして椀をあおっている。
彼らの頬に、確かな血の気が戻っていた。瓦礫の重さに折れかけていた彼らの心に、アルトの言葉通り『明日を生き抜くための熱』が灯ったのだ。
私は、空になった黒い片手鍋の底を木べらで叩きながら、ふと夜空を見上げた。
「……どうだ、アルト。私にも、少しは美味い飯が作れるようになっただろう?」
誰も救えないと絶望していた英雄の肩書きは、もういらない。
私はただ、この黒い鍋一つで、彼らの明日を少しだけ温める『旅の料理人(勇者)』になればいいのだ。




