第19話:不格好な熱と、溶けゆく残滓
「私はルミナ。君の少し『先輩』にあたる、ただの旅人だ」
その言葉を聞いた時、僕は正直、少し混乱していた。
勇者の『先輩』とはどういう意味なのか。教会の記録に、鍋を背負った勇者なんていないはずだ。それに隣にいる、独特なアウレリア訛りで喋る胡散臭い商人も、どう見ても普通の人間だ。
だが、僕が魔法で何もできなかったあの巨大な氷塊を前に、二人は一切怯むことなく、淡々と準備を進めている。
「オラッ、坊主! 手ぇ止まっとるで! 雪は下からしっかり固めて積むんや。隙間があったらそこから熱が逃げる!」
「は、はいっ!」
商人訛り全開のジンの怒声に急かされ、僕は慌てて木製の巨大なスコップで雪をすくい上げた。
僕が今着ているのは、神聖な白銀の鎧ではない。獣の匂いが染み付いた、分厚くて不格好な雪熊の毛皮だ。
正直に言えば、最初は恥ずかしかった。勇者たる僕が、こんな泥臭い土木作業を、毛皮のコートを着てスコップを振り回しているなんて。もし教会の人間が見たら、卒倒するかもしれない。
だが、雪を固めながら氷塊の周囲をぐるりと囲む巨大な『雪壁』を作っていくうちに、僕はあることに気がついた。
――寒くない。
猛吹雪の中にいるのに、毛皮に包まれ、体を動かしているおかげで、体の内側から確かな熱が湧き上がってくる。
ルミナさんが言った通りだ。雪の壁が冷たい風を遮断し、僕自身の体温を内側に閉じ込めているのだ。
僕は、彼女たちが「ただの思いつき」で動いているのではないことを悟った。彼らは自然の理法(物理)を完全に理解し、それを味方につけている。魔法や伝説の武器なんかより、ずっと強くて確実な力だ。
「よし、ドームが完成したぞ」
数時間後。ルミナさんの声で、僕はスコップを下ろした。
残滓の氷塊を完全に覆い隠す、巨大な雪の『かまくら』。その内部に、僕とルミナさんとジンの三人が入り込む。外の猛吹雪の音は嘘のように消え、静寂が包んだ。
「ジン、油の準備はいいか?」
「おうよ! オヤジから安く買い叩いた『泥トカゲの精製油』、たっぷり撒いたで!」
ジンがかまくらの内側に、臭いのキツい油をぶちまける。
ルミナさんは僕の方を振り返り、顎でしゃくった。
「ロルフ。最後の仕上げだ。お前の魔法で、種火をくれ」
「……はい!」
僕はもう迷わなかった。見栄のための魔法ではなく、ただ火を起こすための純粋な熱。
指先に小さな『極炎』の魔法を灯し、それを油に放り込む。
ボワァァァッ!
かまくらの中で、一気に炎が燃え上がった。
だが、先ほどとは違う。雪の壁が猛吹雪の冷気を完全に遮断し、内部の空気を強烈に熱し始めたのだ。逃げ場を失った熱気は、かまくらの中に充満し、巨大な氷の残滓をじわじわと包み込んでいく。
「す、すごい……熱い……!」
僕が汗を拭う横で、ルミナさんが満足げに頷いた。
氷の表面が、まるで滝のようにドロドロと溶け出していく。魔王の残滓が放つ冷気よりも、かまくら内部に閉じ込められた熱エネルギーの総量が、完全に上回ったのだ。
ピキ、ピキキキッ……。
分厚い氷が溶け落ち、やがて中心に守られていた真っ黒な『核』が露出した。
そして同時に、氷に突き刺さったままだった僕の『氷砕の槍』が、コトリと足元に落ちた。
「さあ、お前の獲物だ」
ルミナさんが、静かに僕の背中を押した。
「弱点をむき出しにされた魔物に、派手な大魔法は要らない。ただ正確に、急所を突けばいい。……できるな?」
僕は深く頷き、足元に落ちていた自分の槍を拾い上げた。
もう、魔力なんて一滴も残っていない。ただの重い金属の棒だ。だが、今の僕には、どんな魔法よりもこの重さが頼もしく感じられた。
「はぁぁぁっ!」
僕は槍を構え、ステップを踏み込んで、黒い核の中心へと真っ直ぐに穂先を突き立てた。
力任せではなく、氷の結晶の隙間を縫うような、冷静で正確な一撃。
パァァンッ!!
ガラスが砕け散るような澄んだ音と共に、魔王の残滓の核が粉々に砕け散った。
残っていた氷も一瞬にして水と化し、雪の地面に吸い込まれていく。
――討伐、完了。
「や、やった……! 倒した、僕が……!」
「ああ。よくやった、新米」
ルミナさんが、泥と煤で汚れた手で僕の頭をガシガシと撫でた。ジンも「よっしゃ! これで白狼の骨が高値で売れるで!」と万歳をしている。
僕の手は震えていた。見栄を張って放った大魔法の時よりも、ずっと確かな『護るための力』を使えた実感が、胸を満たしていた。
かまくらの入り口から外に出ると、いつの間にか猛吹雪は止み、雲の隙間から美しい北のオーロラが輝いていた。
ジンが手配した餌の匂いにつられたのか、雪ウサギが一匹、ちょこんと顔を出している。生態系が、再び息を吹き返したのだ。
「ルミナさん」
僕は、不格好な毛皮を少しだけ誇らしげに直しながら、彼女に問いかけた。
「アンタ、本当は……教会の記録にあるあの伝説の『聖剣のルミナ』、ですよね?」
僕の問いに、ルミナさんは背中の黒い片手鍋を揺らしながら、クスリと笑った。
「さあな。だが、もし本当の『勇者』に会うことがあったら、伝えておいてくれ」
彼女の視線は、遠い空の向こう――かつて彼女を導いた不器用な男の方を向いているように見えた。
「『一番不格好な毛皮を着て、一番熱いスープを腹に入れろ。生き延びた奴だけが、明日誰かを護れる』……ってな」
その言葉は、冷たい北の風に乗って、僕の心に深く刻み込まれたのだった。




