第18話:一瞬の炎と、熱を逃がさない知恵
猛吹雪を抜けた先、銀月峠の頂上。
そこには、峠の道を完全に塞ぐようにして、小山ほどもある巨大な『氷の塊』が鎮座していた。
表面には魔王の瘴気を示す黒い脈が走り、周囲の空気をバキバキと凍りつかせている。近づくだけで肌が痛いほどの異常な冷気だ。
「……あれが、魔王の残滓」
毛皮にくるまれたロルフが、息を呑んで氷塊を見上げた。
「さて、ロルフ」
私は黒い片手鍋を背負ったまま、腕を組んで彼に問いかけた。
「君の獲物だ。私とジンはサポートに回る。……君なら、あれをどうやって攻略する?」
「えっ……僕が、決めていいんですか?」
「当たり前だ。現場の指揮官は君だ。やってみろ」
私が促すと、ロルフは真剣な顔で氷塊を観察し、やがて自分の『氷砕の槍』を強く握りしめた。
「あの氷、外側は分厚くて硬いですが、中心に魔力の核が見えます。僕の全魔力を槍に込めて『極炎』のエンチャントを付与し、最大速度の突進で氷の壁を貫通させ、内部から一気に爆発させて溶かします!」
若き勇者らしい、真っ直ぐで威力に頼った力技だ。
私とジンは顔を見合わせた。ジンは「アカンな」という顔で首を振り、私も心の中で全く同じ評価を下した。……だが、私はそれを口には出さなかった。
「よし、分かった。その通りにやってみろ」
「はいっ!」
ロルフは雪を蹴り、氷の残滓に向かって一直線に駆け出した。
彼の槍の穂先に莫大な魔力が集束し、猛吹雪の中でもはっきりと分かるほど高熱の炎が巻き起こる。
「おおおおぉぉぉっ!!」
気合いの咆哮と共に、極炎の槍が巨大な氷の壁に突き立てられた。
ドォォォォンッ!!
轟音と共に炎が爆発し、大量の水蒸気が立ち上る。
ロルフの魔力は本物だった。熱波が周囲の雪を瞬時に溶かし、氷塊の表面が大きく抉り取られる。
「やった……!」
ロルフが確信の笑みを浮かべた、その直後。
――ピキ、ピキィィィンッ!
「え……?」
抉り取られた氷の断面から、どす黒い冷気が凄まじい勢いで噴き出した。
ロルフの放った炎は、圧倒的な冷気と質量の前に一瞬で鎮火し、溶けたはずの水はたった数秒で再凍結してしまったのだ。
それどころか、氷に突き刺さったままのロルフの槍までが、分厚い氷の中に完全に閉じ込められてしまった。
「な、なんだこれ!? 抜けない! 嘘だろ、僕の全力の魔法が、一瞬で……!」
必死に槍を引き抜こうとするが、氷はビクともしない。
魔力を使い果たしたロルフは膝から崩れ落ち、絶望に顔を歪めた。
「どうして……あんなに強い炎を叩き込んだのに……。やっぱり、僕じゃダメなんだ……」
「……よし。良い『失敗』だったな」
私は雪を踏みしめ、へたり込むロルフの横に立った。
「ルミナさん……ごめんなさい、僕……」
「謝るな。挑戦して、全力で失敗したんだ。そこから学べばいい。……ジン、あの氷はどうして溶けなかった?」
私が後ろを振り返ると、ジンは算盤を弄りながら飄々と答えた。
「そらそうやろ。いくら火力がデカくても、周りはマイナス何十度の猛吹雪や。熱なんか一瞬で空気に奪われて散ってまう。ワイら商人の感覚で言えば、『ザルに水入れて運ぼうとしとる』ようなモンやな」
「その通りだ」
私はロルフの頭にポンと手を置いた。
「ロルフ、お前の炎の温度は高かったが、時間が短すぎた。極寒の環境では、一瞬の熱を出しても周囲の冷気に全部持っていかれる」
私は背中の『黒い片手鍋』をトンと叩いた。
「料理と同じだ。冷え切った分厚い肉を焼く時、強火で一瞬だけ焼いたらどうなる?」
「え……? 表面だけが焦げて、中は……冷たいまま……」
「そうだ。だから中まで熱を通すためには『蓋』をして、じっくり熱を閉じ込める必要がある。……剣を振るだけが勇者の仕事じゃない。どうすれば世界(物理)が自分の思い通りに動くかを観察し、工夫するんだ」
私の言葉に、ロルフの目に再び光が戻り始めた。
彼は氷塊と、周囲の猛吹雪、そして自分たちの足元に積もった大量の雪を交互に見つめ――ハッと顔を上げた。
「……蓋。そうか、熱を逃がさなければいいんだ。でも、こんな猛吹雪の中で、どうやって……」
「雪を使うんや、坊主」
ジンがニシシと笑って会話に入ってきた。
「雪はな、中に空気を含んどるから、最強の『断熱材』になるんや。北国の人間が作る『カマクラ』と同じ理屈やな」
「雪で……断熱?」
ロルフが目を丸くする。
「ああ。あの氷の残滓の周りに、雪で巨大なドーム(蓋)を作る。そしてその中で、ジンが下から手配してきた『魔獣の油』を燃やし続けるんだ」
私が作戦の全貌を語ると、ロルフの顔がパァッと明るくなった。
「冷たい風を遮断して、中でじっくり熱を持続させる……。それなら、どんな冷気の塊でも確実に溶かすことができる……!」
「そういうことだ。お前の魔法は、最初の『種火』として使わせてもらうぞ。……さあ、立派な槍なんか忘れて、泥臭く雪を掘るぞ。新米!」
「はいっ!!」
ロルフはもう泣いていなかった。
見栄えの良い鎧も、伝説の武器も、大仰な魔法も必要ない。
ただ目の前の困難を乗り越えるための『知恵』を手に入れた彼の顔は、この雪山にいる誰よりも頼もしい、本物の勇者の顔になっていた。




