第14話:英雄の価値と、一杯の屋台飯
翌朝。
アウレリアの街は、いつもと変わらぬ活気に満ちていた。
だが、その裏側で起きた激震は、街の権力図を完全に塗り替えていた。ヴェランド商会は莫大な負債を抱えて一夜にして崩壊し、会頭は借金取りから逃れるように街から姿を消したという。
黄金の表通りが混乱に包まれる中、私は裏路地の屋台で、いつものように丸椅子に腰掛けていた。
「お姉ちゃん! ジン! 昨日はほんまにありがとな! 今日はワイのおごりや、腹いっぱい食うてってや!」
屋台の親父が、山盛りの泥トカゲの串焼きと、よく冷えたエールのジョッキをドンッ!とテーブルに置いた。
「おおきに、親父さん! いやー、大仕事の後のメシは格別やな!」
私の正面に座ったジンが、エールを煽って豪快に串焼きにかぶりつく。彼の横には、ヴェランド商会の崩壊によって潤ったのか、少しだけ新調された帳簿が置かれていた。
「……見事な手際だったな、ジン」
私が串焼きを囓りながら言うと、ジンはニカッと笑った。
「姉ちゃんこそな。あの泥トカゲの津波を香辛料で操るなんて、ホンマに勇者通り越してバケモンやで。……せやけど」
ジンは、私の足元に置かれた泥だらけの布巻き――聖剣を一瞥した。
「結局、その『聖剣』は一度も抜かんかったな」
「当たり前だ。あんなもの、野菜を切るのにも向かないし、串焼きの鉄串の代わりにもならないからな」
私が肩をすくめると、ジンは腹を抱えて大笑いした。
「あっはっは! 聖剣を鉄串扱いする勇者なんて、前代未聞や! ……せやけど、それがええ」
ジンは笑い涙を拭いながら、少しだけ真面目な顔になった。
「世界を救うんは、ピカピカの剣やない。泥にまみれても、誰かの明日の飯を護ろうとする『意地』や。姉ちゃんは、本物の勇者やで」
ジンの言葉に、私は少しだけ目を伏せた。
「……私の意地じゃないさ」
「ん?」
「これは、私を殴って、不味い飯を食わせて、生きていく強さを教えてくれた『あの男』の意地だ。私はただ、それを真似しているだけさ」
私は最後の一口を飲み込み、空になったジョッキをテーブルに置いた。
「さて、と。長居しすぎたな」
私は立ち上がり、腰のポーチから銀貨を一枚取り出して、ジンの真新しい帳簿の上に弾き飛ばした。
「なんやこれ?」
「情報料だ。……次はどの街の飯が美味いか、お前のその算盤で占ってみてくれ」
ジンは銀貨を受け取ると、チャラリと算盤を一往復させ、悪戯っぽく笑った。
「北の『雪見町』やな。もうすぐ冬が来る。あそこの名物の『白狼の骨太スープ』は、冷えた体に沁みるでぇ。……ただし、雪崩と魔物のせいで、道のりは最悪やけどな」
「上等だ。泥の次は雪か」
私は泥だらけの革鎧の汚れを軽く払い、背中の『黒い片手鍋』の位置を直した。
「親父さん、ごちそうさま! 最高に美味かった!」
「おう! 旅の無事を祈っとるで!」
ジンと親父に見送られ、私は朝陽の差し込む路地裏を歩き出す。
世界には、まだまだ私の知らない美味い飯があり、護るべき泥臭い日常がある。
振り返れば、私の歩いてきた道には、ただの不格好な足跡しか残っていない。魔王を倒した伝説の勇者としての威光も、権力者からの称賛もない。
だが、それでいい。
どこかの空の下で、あの男が今日も焦げた鍋を振るっているように。
私は私の足で、この世界に響き渡る『ささやかな勇気』を届けるために歩き続ける。
――さあ、行こう。明日の美味いスープのために。
私の、終わらない旅は続いていく。




