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第11話:算盤の弾き方と、金貨の不味さ


 ジュウウゥゥッ、と脂が炭火に落ちて白い煙が立ち昇る。

 私は二本目の串焼きを囓りながら、隣で算盤を弾くジンという男の言葉を頭の中で反芻していた。

「……泥トカゲは、湿地の泥を掘り返して巣を作る。奴らが泥をかき混ぜることで、土に空気が入り、保水力が保たれるんだ」

 私は、かつてアルトから教わった魔物の生態系についての知識を口にした。

「もし泥トカゲを一掃すれば、湿地はかき混ぜる者を失い、数ヶ月でただの干からびた粘土層の荒野になる」

「その通りや、姉ちゃん! ほんまよう分かっとる!」

 ジンはバンッ! とテーブルを叩き、分厚い帳簿の上に一枚の羊皮紙の地図を広げた。

「湿地が粘土層になって保水力を失えば、そこに蓄えられとった地下水脈は干上がる。その水脈がどこに繋がっとるか……ここや。西の穀倉地帯『ハルム農村』」

 ジンの指先が、地図上の小さな村をトントンと叩いた。

「水脈が枯れれば、ハルムの小麦畑は全滅や。そして、ヴェランド商会は事前にハルムの周辺の『水利権』を買い占め、さらに別の遠方の農村の『小麦の先物』を大量に買っとる」

「……ハルムの小麦が全滅して街が食糧難に陥ったタイミングで、自分たちが買い占めていた遠方の小麦を、十倍の値段で売り捌く気か」

「御名答。魔王討伐の勇者様に『害獣駆除』の大義名分を背負わせて、自分たちはノーリスクで市場を独占する。盤上の駒として、これ以上使い勝手のええモンはおらんやろ」

 ジンは算盤をチャラリと鳴らし、忌々しそうに吐き捨てた。

「ホンマ、吐き気のするやり方やで。あそこの小麦がなくなったら、この街のパンの値段は跳ね上がる。この美味い屋台のオヤジかて、店を畳まなあかんようになるんや」

 ジンの言葉を聞きながら、私は手元の串焼きの串をじっと見つめた。

 金貨一万枚。その莫大な数字の裏で、誰かの畑が枯れ、誰かの食卓から美味いパンが消える。

 ――ああ、やっぱりだ。

 私の脳裏に、すっかり聞き慣れたあの男の呆れた声が響いた。

『生態系のバランスを金で買おうとする奴は、必ず裏で別の何かを枯らそうとしてる』

 あれは、アルトとの旅の中盤。ある地方の領主から、今回と全く同じように「森の魔物を一掃してくれれば、莫大な金貨を払おう」と持ちかけられた時のことだ。

 領主が差し出した革袋から、溢れんばかりの金貨がテーブルにジャラジャラとこぼれ落ちた。当時の私はその大金に目を輝かせたが、アルトは一瞥もせずに革袋を領主の顔面に投げ返したのだ。

『金貨なんぞ鍋で煮込んでも、明日のスープは一滴も美味くならねえよ。俺は、美味いパンを焼いてくれる畑を潰すような仕事はしねえ』

 そう吐き捨てて、アルトはさっさと路地裏の飯屋へ行ってしまった。

 あの時は「なんて勿体ないことを!」と怒ったものだが、今の私には、彼が金貨よりも『美味いパン』を優先した理由が痛いほどよく分かる。

 金貨を積まれても、世界は護れない。

 日々の泥臭い生活と、美味い飯が回っていくこと。それこそが、この世界が生きているという証明なのだから。

「……姉ちゃん?」

 黙り込んだ私を不思議に思ったのか、ジンが顔を覗き込んできた。

 私はクスリと笑うと、腰のポーチから銀貨を数枚取り出し、屋台の親父のカウンターに置いた。

「親父さん。串焼き、最高に美味かった。来月もまた食べに来るよ」

「おお、おおきに! また来とくれよ!」

 親父の快活な声に背を向け、私はジンに向き直った。

「ジン、と言ったな。そのヴェランド商会の企み、ぶっ潰すのにいくら必要だ?」

 私の言葉に、ジンの細い目がスッと見開かれた。

 彼は私の使い込まれた革鎧と、背負った黒い片手鍋、そして布に巻かれた不釣り合いな長物(聖剣)を交互に見つめ……やがて、喉の奥でクックックッと笑い声を漏らした。

「……なるほどな。晩餐会を抜け出してきた、身なりのええ銀のブーツのねえちゃん。アンタが噂の『聖剣のルミナ』サマっちゅうわけや」

 ジンは算盤を腰の帯に差すと、ひどく悪い、だが頼もしい商人の顔つきになった。

「ワイは経済でアイツらの帳簿クビを絞め上げる。相場を崩して負債を被らせる手はずは整えとる。……せやけど、アイツらも馬鹿やない。勇者サマが言う通りに動かんと分かれば、実力行使に出るはずや」

「実力行使?」

「湿地帯に『刺激剤』を撒いて、泥トカゲを意図的に暴走スタンピードさせるんや。『ほら見ろ、やはり放置しておけん害獣や!』と世論を煽るためにな。そうなれば、街の自警団や冒険者たちが動いて、結局湿地は火の海になる」

「……なるほど。泥臭い仕事の出番というわけか」

 私は布巻きの聖剣を背負い直し、首の骨をポキリと鳴らした。

「安心しろ。私は『ただ剣を振るうこと』しか知らない三流じゃない。物理的な誘導と妨害なら、私の得意分野だ」

「言うねえ、勇者サマ! ほな、商談成立や!」

 ジンが差し出してきたゴツゴツとした手を、私はしっかりと握り返した。

「泥トカゲの群れは、一匹たりとも街にも農村にも行かせない。一滴の血も流させず、元の湿地の泥の中へ追い返してやる。……だから、お前はその算盤で、タヌキ親父の懐を完全に干上がらせろ」

「任せとき! ワイの算盤は、魔王の牙よりえげつないで!」

 黄金と権謀術数が渦巻くこの街で、一人の不器用な勇者と、一人の計算高い商人が手を組んだ。

 護るのは名誉でも大義でもない。ただの、路地裏の美味い串焼きと、農村の小麦畑だ。

「さて、まずは風向きの計算と……大量の『泥臭草』の仕入れだな」

 私は夜空を見上げ、どこかの空の下にいるあの男に笑いかけた。

 ――アルト、見ていろ。私なりの『不味い金貨の蹴り飛ばし方』を。

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