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第10話:黄金の街と、息苦しい晩餐


 巨大な城壁と、天を突くような時計塔。

 大陸最大の商業都市『アウレリア』は、どこを見渡しても黄金と活気に満ちていた。

 だが、私の気分は街の活気とは裏腹に、どん底まで沈み込んでいた。

「皆様! どうか道をお開けください! この御方こそ、我々を魔獣の群れから救ってくださった、あの魔王討伐の英雄『聖剣のルミナ』様なのです!」

 峡谷で助けた恰幅の良い商人が、街の関所をくぐるなり、大声でふれ回ってしまったのだ。

 彼が街でも有数の商会に属する重役だったことも災いし、私の正体は瞬く間にアウレリアの上層部へと知れ渡ってしまった。

 結果として、私は今、街を牛耳る大商会『ヴェランド商会』の豪邸で、息の詰まるような晩餐会に引っ張り出されていた。

「いやはや、ルミナ様。あなた様のような生ける伝説を我が街にお迎えできるとは、アウレリアの誉れですぞ」

 最高級の絹の服をはち切れんばかりに着込んだ恰幅の良い男――ヴェランド商会の会頭が、脂ぎった顔に愛想笑いを貼り付けて擦り寄ってくる。

「……歓迎には感謝する、会頭殿」

 私は宛がわれた煌びやかなドレスを丁重に断り、いつもの使い込まれた革鎧と『黒い片手鍋』を背負ったまま、居心地の悪さに耐えていた。

 テーブルには、金や銀の皿に盛られた豪勢な料理が並んでいる。だが、珍しい鳥の丸焼きは香草が強すぎて肉の味が死んでおり、希少な魚のスープは油が浮きすぎていて胃にもたれそうだった。

 彼らは「美味いもの」を食べているのではない。ただ「高価なもの」を消費して権力を見せつけているだけだ。

「ところでルミナ様。本日は折り入って、英雄たる貴女様に『民の平穏のための』お願いがございましてな」

 会頭が、ワイングラスを揺らしながら本題を切り出した。

「西の湿地帯に棲む『泥トカゲ』の群れをご存知ですかな? 奴らのせいで、西の農村からの物流が滞っておるのです。どうか貴女様のその聖剣で、湿地の害獣どもを一掃していただきたい。報酬は金貨五千枚……いや、一万枚出しましょう」

 周囲の貴族や商人たちが、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。

 金貨一万枚。小さな村なら一生遊んで暮らせる額だ。

「……泥トカゲ、か」

 私はグラスの水を一口飲み、眉を寄せた。

 確かに凶暴な面はあるが、泥トカゲは本来、深い泥の中に潜って大人しくしている魔物だ。物流を脅かすほど活発に動くこと自体が不自然である。

 それに、会頭の「民のため」という言葉の裏に見え隠れする、どす黒い欲望の匂い。

 ――私の脳裏に、かつての師匠の呆れた顔が浮かんだ。

『金貨なんぞ鍋で煮込んでも、明日のスープは一滴も美味くならねえよ』

 ある街の領主から莫大な金貨で討伐依頼を受けたアルトは、鼻で笑ってその依頼書を破り捨てた。

『生態系のバランスを金で買おうとする奴は、必ず裏で別の何かを枯らそうとしてる。俺は、美味いパンを焼いてくれる畑を潰すような仕事はしねえ』

 ……ああ、本当にその通りだ。

 アルトの言う通り、この豪華な晩餐会には、美味い飯の匂いなど欠片もしない。

「申し訳ないが、明日の朝が早い。少し風に当たらせてもらう」

「お、お待ちくだされルミナ様! 依頼の件は……!」

 制止する会頭の声を無視し、私はバルコニーへ出ると、そのまま手すりを飛び越えて夜の街へと身を翻した。

   * * *

 豪華な表通りから何本か路地を抜けると、むせ返るような香水の匂いは消え、代わりに醤油の焦げるような甘辛く暴力的な匂いが漂ってきた。

「……うん、これだ」

 空腹を訴える胃袋に従い、私は路地裏の薄暗い屋台の暖簾をくぐった。

 煤けた屋台の親父が、網の上で太い肉の串をジュージューと焼いている。

「親父さん、その串を三本。あと、温かいエールを」

「あいよっ。お姉ちゃん、表の人間かい? 珍しいね」

 粗末な丸椅子に腰掛け、出された熱々の串焼きにかぶりつく。

 弾力のある肉から、香ばしい脂とスパイスの香りが弾けた。晩餐会のどの料理よりも、ずっと血肉になる味がした。

「……美味い」

「せやろ? ここの『泥トカゲの串焼き』は、アウレリアで一番や」

 ふいに、隣の席から声がした。

 見れば、私と同じように丸椅子に座り、串焼きを頬張っている若い男がいた。

 身なりは安物の麻の服だが、やけに目つきが鋭い。そして奇妙なことに、彼は片手に串焼きを持ちながら、もう片方の手でテーブルに置かれた『分厚い帳簿』を開き、パチパチと木製の『算盤そろばん』を弾いていた。

「泥トカゲの……肉?」

「おん。西の湿地の泥トカゲや。あいつら、泥の中のミネラルたっぷり食うとるから、脂が乗ってて最高なんやで」

 男は算盤を弾く手を止め、ニカッと笑った。

「せやけど、最近はめっきり数が減ってもうてな。……どこぞの『肥え太った豚ども』が、裏で妙な買い占めしとるせいで、この屋台も来月には店仕舞いせなあかんかもしれん」

 私は、ピタリと手を止めた。

「……妙な買い占め?」

「せや。西の湿地の周辺の『水利権』と、その先にある農村の『小麦の先物』。この一ヶ月、不自然なくらいヴェランド商会に金が集中しとる」

 男は帳簿のページをパラリとめくり、串焼きの串で特定の数字をトンッと叩いた。

「あのタヌキ親父、勇者の威光を利用して湿地の泥トカゲを一掃し、水脈を干上がらせて農村をぶっ潰す気や。そうなれば小麦の相場はヴェランドの独占。……まあ、表の晩餐会で出される不味いメシ食ってる連中には、一生見えん帳簿の動きやけどな」

 この男。ただの路地裏の酔っ払いではない。

 私が「生態系(物理)」から感じ取った違和感を、彼は「帳簿(数字)」から完全に見抜いている。

「……あんた、何者だ?」

 私がじっと睨みつけると、男は串焼きの最後の肉を飲み込み、大仰に肩をすくめて見せた。

「ワイか? ワイはジン。しがない弱小ギルドの行商人や」

 ジンと名乗った男は、算盤をチャキッと鳴らして不敵に笑った。

「姉ちゃん、ええ目ぇしとるな。表通りの『嘘』に気づいて、わざわざこんな裏路地まで本物の味を探しに来るくらいには」

 煌びやかな黄金の街の裏側で、不格好な片手鍋を背負った勇者と、算盤を弾く胡散臭い商人の視線が交差した。

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