紫の予知夢と、運命の抱擁
暗殺組織『黒の月』の本拠地があると言われる、険しい山脈の麓の街。
常に厚い雲に覆われ、薄暗くジメジメとしたその街を、ジンたちは警戒しながら進んでいた。
「……嫌な空気ですわ。わたくしの美しい金髪が湿気で台無しになりますの」
「文句を言うなルナ。この街のどこかに、山へ続くアジトの入り口があるはずだ」
「アイヤー、お酒の匂いも全然しないアルなー。つまんない街ネ」
「主君、いかなる罠があろうと、このサクラが真っ先に――」
賑やかな四人の乙女たちが、ふと足を止めた。
ジンの視線の先、薄暗い路地裏から、フラフラと覚束ない足取りで一人の少女が現れたのだ。
少しボサボサで無造作に伸びた、透き通るような紫色の髪。
ボロボロに擦り切れた修道服を身に纏い、その青白い顔には、ひどく疲労したような濃いクマが刻まれている。しかし、虚ろだった彼女の瞳は、ジンを視界に捉えた瞬間――狂気的なほどの輝きを放って、カッと見開かれた。
「あぁ……っ!!」
少女は悲鳴のような声を上げると、地面を這うような必死の形相で駆け出し、そのままジンの胸へと全力で飛び込んできた。
「うおっ!? ちょ、なんだ!?」
「ジン様……っ! やっと、やっとお会いできました……私の、私の運命の神様……っ!!」
ドンッ!と勢いよく抱きつかれたジンは、戸惑いながらも彼女を支える。
少女――アイリスの紫色の髪からは、埃と、ほんの少しの甘い香りがした。彼女はジンの胸に顔を埋め、まるで世界でたった一つのすがりつく命綱のように、彼の服をギュッと、指が白くなるほど強く握りしめている。
「おい、離れろ! ジンに気安く触れるな!」
いち早く反応したシルバが剣の柄に手をかけ、ルナやサクラ、リンも一斉に警戒の眼差しを向ける。
しかし、アイリスはシルバの殺気など全く意に介さず、ボロボロと大粒の涙をこぼしながらジンを見上げた。
「お願いです、ジン様! この先に行ってはダメ……! 山に入れば、あなたは死んでしまう……っ!!」
「……え?」
「私が『視た』んです! 確定した絶望の未来を! あなたは暗殺組織の罠にハメられて……逃げ遅れた誰かを庇って、体がバラバラになって死んでしまうの……っ! いや、嫌です、そんなの絶対に嫌……っ!!」
過呼吸気味に泣き叫ぶアイリス。
彼女は、数時間先の未来を絶対の確定事項として視ることができる『予知眼』の持ち主だった。組織に幽閉され、道具として使われていた彼女は、ジンが死ぬ未来を視てしまい、それを止めるためだけに命懸けで組織から逃げ出してきたのだ。
「俺が、死ぬ未来……?」
「そうです! だからお願い、一緒に逃げましょう……! 私がずっと、ジン様をお守りしてお世話しますから……!」
ベッタリとジンに依存し、正気を失いかけているアイリス。
その異様な雰囲気に、シルバが一歩前に出た。
「……おい。急に出てきて妄言を吐くのは勝手だが、私たちはジンを死なせたりしない。ジンの剣である私がついている」
その言葉を聞いた瞬間。
アイリスの泣き顔が、スッと真顔に戻った。
彼女はジンの胸に抱きついたまま、首だけをギギギ、と不自然な角度で回し、シルバたち四人のヒロインを、まるで『道端の石ころ』でも見るような、虚ろで冷たい瞳で見つめた。
「……あぁ。あなたたちが、ジン様の『肉壁(盾)』ですね」
「なっ……!?」
「あなたたちがもっと強ければ、ジン様が庇って死ぬことなんてないのに。……本当に、足手まといですね。ジン様の役に立たないなら、死んでくれないかなぁ」
一切の感情がこもっていない、純粋な暴言。
「肉壁!? このわたくしに向かって……っ!」「アイヤー、随分と口の悪いシスターさんネ!」
ルナとリンが顔を引きつらせる中、ジンはアイリスの頭にポンッと手を置いた。
「こら。俺の自慢の仲間たちに、変なこと言うな」
「……っ! ご、ごめんなさい、ジン様が怒るなら、私、もう口を縫い付けます……っ!」
優しく窘められただけで、アイリスはブルブルと震え、すぐにまたジンにすがりつく。その精神状態は、明らかに普通ではなかった。
「……お前、アイリスって言うのか。忠告はありがたいけど、俺たちは引けないんだ。組織を潰して、オーブを手に入れないといけない」
ジンが静かに、しかし決意の籠った声で告げる。
「そんな……オーブなんてどうでもいい! ジン様の命より重いものなんて、この世界にはないのに……っ!」
「俺にとってはあるんだよ。……だから、ごめんな。お前はここで、安全な場所に隠れてろ」
ジンがアイリスの腕を優しく解き、山の方へと歩き出そうとする。
その背中を見て、アイリスの紫色の瞳に、どす黒い『決意』が宿った。
(……ジン様が、地獄へ向かうというのなら)
アイリスはよろよろと立ち上がり、自分の胸の前で両手を組んだ。
(私が盾になって、代わりに死ねばいい。ジン様が死ぬ未来を、私の命を代償にして書き換える……! あぁ、なんて幸せな運命……!)
「お待ちください、ジン様……!」
アイリスは狂気的な微笑みを浮かべ、ジンの背中を追って歩き出した。
「私も行きます。……ジン様を、一番近くで『お守り』するために」
絶対に回避不可能な、死の罠が待ち受ける暗殺組織のアジト。
ジンへの重すぎる愛と自己犠牲の呪縛を抱えた紫髪のシスターを連れて、一行はついに、決死の死地へと足を踏み入れるのだった。




