グラスに沈む過去と、波乱の朝
裏路地での一件の後、ジンはリンに強引に引っ張られ、帝都の路地裏にある場末の酒場へとやってきていた。
「おやじ! ここの一番強いお酒、樽ごと持ってくるネ!」
「おいおい、そんなに飲めるのか……?」
ジンの心配をよそに、リンは運ばれてきたジョッキを水のように煽り、次から次へと空にしていく。ほっぺたはすっかり赤く染まり、糸目のニコニコ笑顔はさらにとろけきっていた。
「ぷはーっ! 最高アルよ! ジンも遠慮しないでドンドン飲むネ!」
「いや、俺は一杯で十分だって……ていうかお前、いくらなんでもハイペースすぎだろ。なんか、嫌なことでも忘れたいのか?」
ジンが半ば呆れ気味に、しかし少し心配そうにツッコミを入れると。
リンはピタリとジョッキを置く手を止め、ふにゃりとした糸目を、わずかに開いた。
「……ジン、案外鋭いネ」
いつもより一段低い、静かな声。
ピンク色に染まった頬の奥、ルビー色の瞳の底に、底知れぬ喪失感と悲哀が揺らめいていた。
「お酒飲んで頭をふわふわにさせてないと、うるさいアルよ。……燃え落ちるお城の音とか、逃げ惑う人たちの悲鳴とか、裏切り者の笑い声とか……全部、鮮明に思い出しちゃうネ」
「リン……お前……」
「ワタシ、華の国のお姫様って言ったネ? でも、もうワタシに帰る場所なんてないアルよ。国は奪われたネ。だから……」
リンはジョッキの底を見つめながら、ギュッと拳を握りしめた。
「帝都の『武闘会』で優勝して、あの『光る玉』の力を手に入れるネ。どんな願いも叶える奇跡の玉……あれがあれば、国を取り戻せるアルよ。……そのためには、ワタシと一緒に戦ってくれる、最強のお婿さんが絶対に必要なアル!」
(光る玉……! まさか、オーブのことか!?)
ジンは息を呑んだ。シルバが言っていた『化け物を倒して不思議な光る玉を手に入れた参加者』。リンもまた、その力を狙ってこの帝都にやってきたのだ。
「リン、その光る玉ってのは――」
ジンが身を乗り出して尋ねようとした、その瞬間。
「……なーんちゃって! 今の全部、ワタシの作った作り話アルよ〜!」
「えっ?」
リンはパチッとウインクすると、再びいつもの飄々としたニコニコ笑顔に戻り、空のジョッキをカンカンと鳴らした。
「ジン、真面目な顔して騙されやすすぎネ! ワタシはただ、強い旦那様とお酒が飲めればそれでハッピーアルよ〜♪」
「お、お前な……人が心配して損した……」
強がっているのか、本当に冗談なのか。ジンには判断がつかなかったが、彼女の瞳の奥に見えたあの深い悲しみだけは、どうしても嘘には思えなかった。
「失礼アルなー! ワタシはこれくらいじゃ全然酔ってないアルよ〜?」
「いや、どう見てもベロベロじゃん……」
ジンがため息をつくと、リンは急に小首を傾げ、ジンの顔をまじまじと見つめた。
「ところでジン……お前、なんでさっきからずっと『逆立ち』してるアルか?」
「は?」
「器用ネ〜。逆立ちしながらお酒飲むなんて、帝都の人間は変な特技持ってるアルな〜」
ケラケラと笑うリン。だが、ジンは普通に椅子に座っている。
ジンが不思議に思って視線を下に向けると――なんとリンは、いつの間にかベンチシートからズルリと滑り落ち、床に頭をつけて完全に『逆立ち』の体勢になりながらジンを見上げていたのだ。しかも、その体勢のまま一滴もお酒をこぼしていない。
「逆立ちしてんのはお前だよ!! なんでその体勢で普通に会話できんだよ!」
「アイヤー? おっかしいアルな〜、世界がひっくり返ってるネ〜♪」
異常な体幹とバランス感覚をこんなところで発揮しつつ、リンはそのまま「むにゃ……」と床で本格的に寝始めようとする。
「おい、ここで寝るな! 宿、どこなんだよ!」
「ん〜……ジンのお膝の上が、ワタシのベッドアルよ〜……すぅ……」
「マジかよ……」
完全に夢の世界へ旅立ったリンを酒場に置いていくわけにもいかず。
結局ジンは、豊満な胸と酒の匂いを押し付けてくる彼女を背負い、コソコソと自分たちの定宿へと連れ帰る羽目になったのだった。
翌朝。
チュンチュンと小鳥のさえずりが聞こえる、爽やかな帝都の朝。
「……ん、重っ……」
ジンが目を覚ますと、胸の上にずっしりとした重みを感じた。
見ると、赤いお団子頭のリンが、ジンの腕を枕にしてベッタリと抱きつき、幸せそうに寝息を立てていた。チャイナドレスのスリットからは健康的な太ももが丸見えで、ジンの足と完全に絡み合っている。
「うわっ、そうだ、昨日こいつを連れて帰ってきて……!」
慌てて起き上がろうとした、まさにその時だった。
バンッ!!!
部屋の扉が、蝶番が吹き飛ぶほどの勢いで蹴り開けられた。
そこに立っていたのは、朝食を呼びに来たシルバ、ルナ、サクラの三人。
「ジン、朝食の準備が……」
「ジン、わたくしが極上のモーニングティーを……」
「主君、朝稽古の時間が……」
三人の言葉が、同時にピタリと止まる。
彼女たちの視線の先には、見知らぬ女(しかもスタイル抜群のチャイナドレス)と一つのベッドで絡み合っている、愛しのジンの姿があった。
部屋の温度が、急激に氷点下まで下がる。
「……ジン」
シルバの声は、地底の底から響くように低かった。彼女の手は、すでに剣の柄を固く握りしめている。
「私という心に決めた剣がありながら……その、随分と胸のデカい泥棒猫は、誰だ?」
「じ、ジィィィン!!!」
ルナはルビーの瞳に涙を浮かべ、血の鎌を召喚しながらワナワナと震えている。
「わたくしを一晩ほったらかしにして、路地裏の女と夜を明かしましたの!? 許しませんわ、その女の血をすっからかんに吸い尽くしてやりますわー!!」
「しゅ、主君……!?」
サクラは木刀をポロリと落とし、顔を真っ赤にしてパニックを起こしていた。
「こ、これは新しい寝技の稽古でござるか!? いえ、それにしては密着度が高すぎ……破廉恥でござるーっ!!」
「ち、違う! 誤解だお前ら!! こいつは昨日、酒場で酔い潰れてて……!」
ジンが必死に弁明しようと両手を振った瞬間。
騒ぎで目を覚ましたリンが、ふにゃりと糸目を細めながら、ジンの胸にすりすりと頬を擦り寄せた。
「んん〜……騒がしいネ〜……。ジン、昨日は激しかったアルよ……ワタシ、もう腰が立たないネ……」
「お前、絶対起きててわざと言ってんだろ!!」
ただでさえ限界突破していた修羅場ゲージが、リンの爆弾発言で完全に天元突破した。
「「「……問答無用(ですわ/でござる)ッッ!!!」」」
銀の剣閃、紅蓮の魔法、そして白刃の輝きが、同時にジンとリンのベッドへと襲いかかる。
「アイヤ〜、朝から元気なご婦人たちネ!」
リンはジンの腕を引いてヒョイッと攻撃を躱すと、ケラケラと笑いながら窓枠へとひらりと飛び乗った。
「ジン、昨日はごちそうさまアルよ! 次は武闘会の会場で会うネ〜! 愛してるアルよ、未来の旦那様〜♪」
チュッ、と投げキッスを残し、リンはそのまま窓の外へと飛び降り、圧倒的なスピードで朝の帝都の街並みへと消えていった。
残されたのは、真っ二つに叩き割られたベッドと。
般若のような顔でジンを囲む、三人の乙女たちだけ。
「……さあ、ジン。言い訳なら、閻魔大王にでも聞いてもらうんだな」
「ちょ、待ってシルバ! 剣下ろして! ルナも詠唱やめて! サクラ、お前は俺の味方だろ!?」
「……主君。武士たるもの、女性の恨みを買うような振る舞いは、切腹ものでござるよ」
帝都の爽やかな朝に、最強のバッファーの情けない悲鳴が響き渡る。
それぞれが「オーブ」という同じ目的を抱えながら、最強のライバル(?)が登場する武闘会の幕開けは、すぐそこまで迫っていたのだった。
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