肉まんと、開眼の姫君
帝都の夜は、東の国とは比べ物にならないほど明るく、そして喧騒に満ちていた。
大規模な武闘会が近いせいか、大通りには各国の猛者や観光客が溢れかえり、屋台街からは食欲をそそる匂いが立ち込めている。
「……武闘会の参加者リスト、結局ギルドじゃ見れなかったな。あの三人を宿に置いてきて正解だったかも」
人混みを歩きながら、ジンは小さくため息をつく。シルバ、ルナ、サクラの三人が揃って街を歩けば、その美貌と強烈な個性で目立ちすぎるからだ。
情報収集がてら、手近な屋台で肉まんを買おうとした、その時だった。
「アイヤー! お兄さん、いいガタイしてるネ! ぶつかり心地サイコーだったアルよ〜!」
「うおっ!?」
ドンッ、と横から強烈な勢いでぶつかってきたのは、赤髪をお団子に結い上げた、チャイナドレス姿の少女だった。
片手には大きな酒瓢箪、もう片手には半分かじった肉まん。常にニコニコとした糸目で、ほっぺたはアルコールでほんのりとピンク色に染まっている。
「悪いネ悪いネ〜。ワタシ、ちょっとだけ酔っ払ってて足元がおぼつかないアルよ〜」
「いや、大丈夫か? 結構な勢いだったけど……」
ジンが手を貸そうとした瞬間、チャイナドレスの胸元が大きく揺れ、豊満な双丘がジンの腕にムギュッと押し付けられた。
「お兄さん、なかなかいい筋肉してるネ! ワタシの婿候補にしてやるアルよ!」
「む、婿候補!?」
飄々としたテンションと、突然のセクハラ(?)にジンが戸惑っていると、少女の糸目がわずかに動いた。
(……来る)
群衆に紛れ、殺気を完全に殺した黒装束の男が、少女の背後から音もなく凶刃を突き出した。
ジンがそれに気づき、「危な――」と叫ぼうとした刹那。
「おっとっと〜、世界が回るネ〜♪」
少女は千鳥足で大きくよろけるフリをしながら、ジンの腕を引いてダンスのようにクルッと回転した。
暗殺者の刃は少女の髪の毛一本すら掠ることなく空を切り、男はそのまま群衆の波に飲まれて消えていった。
「な……っ」
ジンは目を見開いた。ただの酔っ払いじゃない。ありえないほどの体幹の強さと、脱力しきった不規則な動き。完全に相手の攻撃を読み切った上での『神回避』だった。
「ん〜? どうしたアルか、お兄さん。そんなに見つめられたら、ワタシ照れちゃうネ!」
少女はケラケラと笑いながら、自分がかじっていた肉まんを、無防備なジンの口にポンッと押し込んだ。
「お詫びの肉まん、ワタシからのプレゼントアルよ! じゃあな、未来の旦那様〜!」
あっけにとられるジンを残し、少女は千鳥足のまま、恐ろしいスピードで人混みの中へと消えていった。
口に残った肉まんの味と、強烈なアルコールの匂い。そして、彼女の圧倒的な『スピード』だけが、ジンの記憶に鮮烈に焼き付いていた。
その日の深夜。
武闘会の会場近くの裏路地を歩いていたジンは、見覚えのある赤髪のお団子頭を発見した。
「……あの時のチャイナ娘?」
彼女はゴミ箱の横で酒瓢箪を抱え、気持ちよさそうにスヤスヤと寝息を立てていた。こんな不用心な場所で、しかも行き倒れのように寝ているなんて。
「おい、こんなとこで寝てたら風邪ひくぞ。起きろって」
ジンが呆れながら近づき、手を伸ばそうとした瞬間。
暗闇の奥から、空気を裂く微かな音が三つ響いた。
「――ッ!!」
ジンは咄嗟に『武器召喚』で鉄の剣を空中に展開し、飛んできた三本の毒クナイをガキンッ!と正確に弾き落とした。
「……ちっ、護衛か」
屋根の上に潜んでいた複数の暗殺者たちが、舌打ちをして姿を消す。
「昼間の奴らか……何者なんだ、あいつら」
ジンが警戒を解いて息を吐いた時。
「……お兄さん、いい腕してるアルな」
先ほどまで爆睡していたはずの少女の『糸目』が、パチリと開眼していた。
その瞳は、昼間のおちゃらけた雰囲気とは別人のような、鋭く、そしてどこか冷たい光を放つ、強者の目だった。ジンは直感した。俺が防がなくても、彼女は寝たままあのクナイを迎撃する準備ができていたのだと。
「起きてたのか」
「ワタシ、寝込みを襲われるのには慣れてるアルよ」
少女はすぐにいつもの細目にふにゃっと戻ると、トテトテとジンに近づき、彼の首に両腕を絡ませてきた。
豊満な胸が再びジンの体に押し当てられ、甘いお酒の匂いがふわりと鼻をくすぐる。
「ワタシはリン! 華の国から、強いお婿さんを探しにきたお姫様アル!」
「お、お姫様……!? って、ちょっと近い近い!」
「照れるなアル〜! ワタシの命を救ってくれたお礼に、お兄さん……ジンを、特別に可愛がってやるネ!」
名前も名乗っていないのに、彼女はなぜかジンの名前を知っていた。ギルドで情報を集めていたのか、それとも別のルートか。
「さあ、一緒に朝まで飲むネ! ジンがお酌してくれたら、ワタシご機嫌になっちゃうアルよ〜♪」
グイグイと引っ張ってくるリン。その飄々とした態度は相変わらずだったが、ジンは至近距離で彼女を見たことで、あることに気がついた。
彼女は、ただ好きでお酒を飲んでいるだけじゃない。
ピンク色に染まった頬の奥、細められた瞳の底に、ほんの一瞬だけ、ひどく悲しくて『辛い過去』を必死に押し殺そうとしているような翳りが見えたのだ。
アルコールで思考を麻痺させていないと、何かに押し潰されてしまうかのように。
「……わかったよ。一杯だけなら、付き合ってやる」
「アイヤー! ジン、話がわかる男ネ! さっそく良い店に行くアルよ〜!」
何かに追われ、何かを抱えながら、不規則な酔拳で飄々と世界を渡り歩くチャイナの姫君。
彼女の抱える闇と、その圧倒的なスピードの秘密に、ジンは少しずつ巻き込まれていくことになるのだった。
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