第四十話 内緒
第四十話 内緒
医者の診断から三日。
すずの体は相変わらずだるさがあり、布団から一歩も出たくないと思ったこともあった。
『殿に悟られては……だめ』
そう思いながらも、長政と視線が合うたび胸がきゅっと締めつけられた。
お市は毎日すずに目を配り、小声でささやく。
「今日は歩きすぎですよ。座ってなさい」
「お市様……ありがとうございます」
「家族でしょう?当然よ」
お市はそう言って微笑んだ。その笑顔は、かつての刺々しいものではなく、すずを守ろうとする優しい姉の様なものだった。
しかし――長政の前に立つと、お市はいつも通りの凛とした表情に戻る。
「すず様、殿の前では平気な顔を。あの方、あなたの変化には敏いのだから」
「……はい」
すずは帯を整え、深呼吸をしてから長政の前に出た。
長政は書状を整理していたが、すずを見るとふっと目元を緩めた。
「最近、顔色が冴えない。暑さが応えるか?」
「え、ええ……ほんの少し、夏負けかと……」
長政は近づいて、すずの額に手をかざした。
「熱は……ないな。無理をしておるのではないか?」
胸が跳ねる。
『ああ……やっぱり、お見通しだ……』
「本当に大丈夫ですから。自分の体は自分で守れるようにしますから!」
長政は一瞬だけ表情を和らげ、すずの髪に触れそうになって――ふいに戸口から入ってきた家臣の声で中断された。
「殿! 織田の動きに関する報せです!」
長政の表情が剣のように鋭さを取り戻す。
「すず、部屋に戻っておれ。今夜は……俺が行くまで休んでおけ」
「……はい」
すずは深く頭を下げて部屋に戻った。だが部屋に入った瞬間、お市が待っていた。
「もう……本当に隠すのが下手なんだから」
「ど、どこが……?」
「殿の前ですぐに目が潤むのよ。あれでは“何かある”と言っているようなものよ」
「……すみません……」
お市は肩をすくめた。
「いいの。殿に悟られては困るけれど……あなたのその、どうしようもない気持ちはよく分かるもの。私も、初めて身ごもったときはそうだったわ」
すずははっと顔を上げた。
「……お市様も?」
「ええ。殿を見るだけで泣きたくなったり、恋しくてたまらなかったり。情緒が不安定、と言ったらいいんでしょうか。」
そう言って微笑むお市の目は、とても優しかった。
◆
その夜、長政は遅くにすずの部屋を訪れた。
すずは既に横になっていたが、扉の開く音で身体を起こす。
「……殿」
「起こしたか。すまぬ」
長政はそっとすずの隣に座り、彼女の肩に衣をかけ直した。
「やはり……顔色が悪いな。何か……俺に隠し事でもあるのではないか?」
すずはびくっと肩を震わせた。
『だめ……今言えば……殿の気持ちを乱してしまう』
「……なにも、ございません。ただ……殿が無事に戻ってくださって……ほっとして、少し疲れが出たのだと思います……」
長政はじっとすずを見つめる。
その目は鋭く、どんな嘘も見抜くかのようだった。
しかし――最後には深く息を吐いて、すずの頭を優しく抱き寄せた。
「……ならばいい。無理はするな。お前が無理をして身体を壊すことだけは……耐えられない」
胸が熱くなり、言葉が出せなかった。
『殿……本当に……いつ戦が終わるんだろう……戦が終われば言えるのに……』
◆
翌日、小谷城の廊下には不穏なざわめきが満ちていた。
「織田が再び兵を動かしたらしい」
「姉川に続き、次は……小谷かもしれぬ」
「殿はどう動かれよう……」
「ただの噂かもしれないがな」
すずは胸の奥がじわじわと冷えてゆくのを感じた。
『殿は……また戦へ……?私……どうすれば……』
そのとき、お市がすずの手を握った。
「すず様。強くなりなさい。あなたはもう、“母”なのよ」
すずは驚いて顔を上げる。
お市はいつもの穏やかな笑顔ではない。母として、浅井の女としての強さを宿した顔だった。
「殿のためにも、お腹の子のためにも耐えるの。浅井の女は、どんなときも前を向くのよ。それに、どうせこれは織田方がばら撒いた噂だから気にすることはないわ」
「……はい……」
すずは震える声で答えた。
『殿には……まだ言えないけれど……私、守らなきゃ……この子を……』
小谷城の外では、新たな戦の気配が確実に迫っていた。
そしてその最中、すずのお腹には静かに生命が芽吹いて──彼女の運命を変え始めていた。
長政に言えない理由は「狂うから」です。
意外と単純。
「長政様は良くも悪くも家族思いなので、戦の大事な時期に知らせちゃって戦そっちのけで気が狂ったら兵の士気も萎えるので…」byお市&すず




