第三十九話 姉川と懐妊
第三十九話 姉川と懐妊
六月末、姉川のほとりには朝霧がまだ残り、それがまるで戦の前触れのように静かに漂っていた。
浅井・朝倉の陣には、緊張に引き締まった空気が満ちていた。
長政は馬を進め、朝倉方の陣から届いた合図を見つめる。
『ついに……来たか』
稜線の向こう、織田の軍勢の軍旗が風を受け、こちらへ向けて波のように揺れ始める。
家臣が声を上げる。
「……殿。織田勢、およそ二万五千と見えます」
長政は息をひとつだけ深く吸い込んだ。
「怯むな。浅井は浅井として戦うのみだ」
その声に、家臣たちの背筋が一斉に伸びた。
そして――遠くで法螺貝の音が鳴り響いた。
それが、開戦の合図だった。
◆
河原へ向かって両軍が進軍する。
鉄が触れ合う不吉な音。
馬の蹄が地を打つ鈍い響き。
長政は前線近くまで馬を出し、状況を見ながら指揮をとる。
そして自ら槍を振るい、味方を鼓舞する。
「崩れるな! 踏ん張れ!信長の陣まで攻めかかるのだ!」
浅井の兵は必死に食い止め、川の水しぶきが雨のように上がる。
敵味方が入り乱れるが、長政の視線は鋭く冷静だった。
『ここが踏ん張りどころだ……浅井の意地を見せる』
向こうでは援軍の朝倉軍が徳川と戦っている。
長政は咄嗟に家臣をかばうように馬首を切り、叫んだ。
「退くな!ここで耐えれば道はひらける!」
その声が士気を押し上げ、浅井勢は何度も押し返し、戦線は拮抗した。
◆
やがて、朝倉軍最強の武将、真柄直隆が討ち死にしたという報が入ってきた。
それにより朝倉は主戦力を失い、小谷城に撤退を始めたというのだ。
浅井方の猛将・磯野員昌も、信長本陣まであと一歩というところで尽き、退却をしていた。
「殿! このままでは――!」
「焦るな。退くにしても、こちらの被害を抑えてからだ」
長政は最後まで被害が少ないよう慎重に退きの采配をした。
浅井・朝倉軍は徐々に後方へ退き、織田軍は追撃する。
姉川の戦いは、浅井・朝倉軍の負けで終わった。
『……信長の首、また逃したか』
さらに、「せめて爪痕を残そう」と一人で織田本陣に乗り込んだ重臣・遠藤直経も織田兵に見破られ、討たれた。
長政の心には悔しさと、次の戦への覚悟が静かに燃え上がっていた。
◆
日が沈むころ、長政の隊列が小谷城へ戻ってくる。
城門が見えた瞬間、待ち続けていたすずの胸は一気に熱くなった。
『殿……! 生きて……帰ってくださった……!』
侍女の制止も忘れ、すずは駆け出してしまった。
「殿!」
甲冑姿の長政が驚いて目を見開く。
そのまま、すずは勢いよく彼の胸へぶつかるように抱きついた。
周りが目を丸くするほどの行動。
だけれど――長政はすぐに腕を回し、静かにその頭を抱えた。
「……戻ったぞ、すず」
声が震えていた。
すずは涙を拭いもせず、顔を上げる。
「殿……ご無事で……!よかった……本当によかった……!」
長政はすずの頬に手を置き、その涙を親指でそっとなぞった。
「泣くな。こうして帰ってきた。そなたのところへ」
その言葉に、すずはただ、胸を押さえて泣き続けた。
◆
長政が帰ってから数日。
七月に入ると、すずは以前からあった“食欲のなさ”がさらに顕著になっていた。
「すず様、また……ひと口で終わるのですか?」
お市が心配そうに覗きこむ。
「すみません……。暑気あたりです、多分……」
すずはそう笑ってみせたが、体のだるさは日に日に増し、胸の奥で何かがざわついていた。
お市は眉を寄せた。
「去年の生理不順とは……違うのですか?」
「たぶん……同じかと……」
すずが弱々しく言うと、お市はぴしゃりと言った。
「違うわ。これは……女の勘よ。すず様、医者を呼びます」
その声音は、どちらかといえば織田の者としての威厳そのままに厳しい。
「そんな大袈裟な……。」とすずは漏らすも、お市の圧には逆らえず、そのまま医者に診てもらうことになった。
◆
医者はすずの脈と顔色を丁寧に診ていき、何度も首をかしげていた。
「どうでしょう……?私は暑さでこうなったものだと……」
すずが問うと、医者はやがて静かに頭を下げた。
「……おめでとうございます。身ごもっておられます」
すずの思考はそこで止まった。
「……え……?」
言葉が出ない。
お市がすぐに手を握り、目を見張る。
「やはり……!すず様、稚児を……!」
医者は続けた。
「おそらく二月ほど前から。お気を確かに、無理は禁物ですぞ」
すずの胸が一気に熱くなる。
『殿の……殿のお子を……?私が……?』
信じられない。嬉しい。怖い。そして、涙がこぼれた。
お市はゆっくりと抱き寄せ、優しく背をなでる。
「すず様……本当に、おめでとうございます……」
すずは嗚咽をこらえながらお市の袖を握った。
『殿に……言いたい……でも……』
長政は子煩悩だ。それを知っているからこそ、今言えば織田との戦の最中に気が散るかもしれない。
姉川の戦いのあと、小谷城の目と鼻の先にある横山城には、織田方の武将・木下秀吉(のちの豊臣秀吉)が入ることになった。
これにより小谷城は以前よりもさらに緊張感が高まっていたのだ。
長政も例外ではなかった。
お市が慎重にすずを離し、静かに言った。
「殿には……今はまだ告げない方がいいでしょう。
あの方は、あなたに関わると危ういほど情が深くなるから」
すずは涙を拭き、力なく頷いた。
「……はい。殿が落ち着くまで……言いません」
それが、すずが初めて感じた“母としての決意”だった。
今回は姉川の戦い!
ということで(?)皆さんのおすすめの戦国漫画を教えてください!(単に知りたいだけ)
私のおすすめは「信長の忍び」。
コミカルな4コマ漫画でありながら忠実に史実を捉えていて、歴オタでも歴史が苦手な方でも読みやすく、楽しみながらしっかり知識をつけることができます。キャラもみんな可愛いっ!
アニメもあるのでそちらも是非(声優陣が豪華すぎる上にテンポも早いのでぼーっと楽しく見ていられる…)!YouTubeにて1話3分程度のものが各期2話ずつ公開されてます。
他にも「真田魂」「軍師黒田官兵衛伝」「雑兵めし物語」「殺っちゃえ!!宇喜多さん」等々重野なおき先生の歴史4コマはどれもおすすめです。
ちなみに宇喜多さんはすずの実家がある備前が舞台でしかも同じ時期くらいですね。本作ではめっちゃ初期に名前だけ出てきます。




