第三十六話 近づく決戦
第三十六話 近づく決戦
六月末に出陣と決まったその日から、長政のすずへの態度は、さらに“離したくない”という色を強めていった。
もともと優しい男だった。
けれど今は、すずが少し離れただけで視線で追い、彼女が帯を結び直すだけでも「手を貸そう」と近づいてくる。
「……殿、そんなに見つめられては……」
すずが困ったように笑うと、長政はため息混じりに返す。
「すずが綺麗なのが悪い」
その声音は落ち着いているのに、内側は燃えるような独占欲を帯びている。
すずは耳まで赤くするしかない。
『殿は……前より、ずっと……』
自分が“大人”になったこと。
鬢曽木を経て、大人の女性として扱われたこと。
そのすべてが長政の心に火をつけているのだとすずはうっすら感じていた。
◆
六月に入ると、戦支度の書状が山のように届く。
だが――
「このあとは俺がやる。すずは下がれ」
長政は側近たちを驚かせるほど仕事を前倒し、そして早く切り上げるようになった。
理由はただひとつ。すずや家族と過ごす時間を作るため。
夕刻、廊下を歩いていたすずは不意に背中から羽織をかけられた。
「外は少し風が冷たい。……来い」
「どこへ?」
「庭を見よう。すずと歩く時間が、今日はまだ足りぬ」
そんなことを言われて、胸が高鳴らないわけがない。
◆
戦の情報が出るにつれ、家中の空気はざわつき始める。
お市は表では冷静に振る舞うが、ふとしたときの横顔には心配の色が浮かんでいた。
茶々と初は幼いながら、父の鎧の音を聞くと緊張して黙り込んでしまう。
万福丸だけは――幼くとも武家の子らしく、「父上は負けません」と胸を張って言うが、その手は少し震えていた。
すずはしゃがんでその手を包み、小さく返す。
「殿は……きっとお戻りになりますよ」
万福丸はすずを見ると、震えが止まったように見えた。
それを廊下の向こうから見ていたお市は、ほっと肩をゆるめる。
『すずは……浅井を支える力になる』
そう思ったのだろう。
◆
ある晩、戦支度の帳面を閉じた長政は庭の縁側に座るすずの隣へ静かに腰を下ろした。
「すず」
普段より少しだけ、声が弱い。
「本心を言えば……この城を離れたくない」
すずは驚いて長政を見る。
「殿が……そんなことを?」
「すずがいるからだ」
迷いも飾りもなく言われ、胸に熱が広がる。
長政は続ける。
「戦は慣れている。死ぬ気はない。
だが……すずを城に残すことだけが、どうにも心に重い」
すずは言葉を失った。
『殿が……私にこんな弱さを……』
その夜、二人はただ寄り添うように座り、夏の匂いを含んだ風の音を聞いていた。
◆
六月の半ば。
さらに顕著となった兵たちの槍の柄を整える音、馬のいななき、矢羽の点検。
城はすでに戦の顔になっていた。
すずは侍女たちと共に、水の用意や布の仕分けを手伝いながらふと目を向けると――長政が少し離れた場所でこちらを見ていた。
目があう。
すずが一瞬だけ笑うと、長政は表情を変えずに視線だけを柔らかくした。
『殿……』
ただそれだけで、胸が満たされていく。
◆
大人として認められ、髪を整えられ、皆に祝われ――すずは確かに“変わった”。
長政にとってもその変化は大きかった。
夜、すずの部屋を訪れた長政は手を伸ばし、すずの新しい鬢をそっと指先でなぞった。
「……本当に、綺麗だ。残りひと月……そなたを離したくなくて仕方がない」
その声音は深く静かで、すずの胸をきゅっと締めつける。
「殿……」
「すず。あと少しだ。
……お前の傍で眠れる夜が、あといくつあるだろうな」
そうつぶやくと、長政はすずを抱き寄せた。
腕の強さは、もはや“優しさ”だけではなかった。
失いたくない。奪われたくない。残していきたくない。
その全部が混ざった抱擁。
すずは静かに目を閉じる。
『殿がこんなに……私を求めてくれるなんて……』
その夜、二人は言葉少なに寄り添って眠った。
◆
そして、六月末の出陣が正式に発表された。その報せを耳にしたすずは――胸が沈む音を感じた。
『……来てしまった……』
昨日までのあの甘い時間が、急に遠ざかっていく。
すずの肩が小さく震えたとき、背後からそっと長政が肩を包んだ。
「すず」
優しい声。
「泣くな。俺は戻る。必ずだ」
「……信じています。でも……怖いんです」
長政はため息を落とし、囁いた。
「すずほど俺を心配してくれる者は、他にいない。
だからこそ……戻らなければならない理由が、また増えた」
すずは目を伏せながら、小さくうなずいた。
『殿……どうか……』
その手を、決して離さないでほしいと願いながら。
全然どうでもいいんですけど、本作は大体どの年代&性別の方々が読まれてるんですか?
〜10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代〜 回答しない
男性、女性、回答しない
で教えていただきたいです。
今後の作品の展開とか考えていきたいので、参考にさせてください。




