第三十四話 本音
鬢曽木の祝宴が終わり、すずはまだ胸が熱いまま部屋に戻った。
部屋の灯りはやわらかく、大人の髪に結われた自分をどこか照れくさく感じる。
『今日はずっと……殿の視線が……』
頬がまた熱くなる。
そのとき、控えめな戸の音がした。
すずが振り返るより早く、静かに長政が入ってきた。
「……待っておったのか?」
「い、いえ……!」
否定したのに、声が震えてしまう。
長政はすずをひと目見るなり、いつもの穏やかな笑みではなく、どこか抑えきれない熱を孕んだ目で見つめた。
その視線に、すずの心臓が口の近くまで駆け上がる。
「……座れ、すず」
言葉は短いのに、どうしようもなく甘い。
すずが畳に座ると、長政も向かいに膝をついた。
距離は、手を伸ばせば届くほど。
触れてはいないのに、肌まで熱くなるような近さ。
長政はすずの髪にそっと目を落とす。
「大人の髪……本当に似合う」
小さく、しかし深い声。
その声音がすずの胸の底に落ちてくる。
「……殿が、鬢を剃ってくださったから」
「……そう言うと、俺の心が乱れる」
長政はかすかに笑い、けれど、その瞳はすずに固定されたまま離れない。
まるで、一瞬たりとも他のものを見たくない――そんな強さ。
すずは息を呑んだ。
「すず」
呼ばれた瞬間、長政がわずかに身を乗り出した。
近い。
息が触れた。
触れられていないのに、すずは肩が震える。
「今日……俺は何度も思った。
すずが、誰の目にも“大人”と映った瞬間、胸の内が穏やかではなかった」
その言い方は、淡々としているのに――どうしようもなく熱い。
「すずが笑うたび、皆の目がお前に向くたび……俺は、ひどく……すずを抱き寄せたくなった」
『……っ』
すずは視線を落とす。
でも長政は逃がさない。
顎に触れない程度に指を近づけ、そっと顔を上げさせるような仕草をする。
触れていない。
けれど、触れたよりも震える。
「すず。俺は……お前を誰にも渡したくない」
低い声がすずの耳元すれすれに落ちる。
耳に触れない距離なのに、ぞくりと甘い震えが走った。
「お前が大人となった今、その思いは……さらに強くなった」
長政の瞳は、もう隠していない。
独占するように、飲み込むように、すずを見つめている。
すずは胸の前で手をぎゅっと握った。
「……殿。そんなふうに言われたら……私、どうしていいかわかりません……」
長政はゆっくりと、すずの肩に手を置こうとして――その寸前でぴたりと止めた。
触れない。
でも、触れようとした意思が強く伝わる。
「触れてもよいのだが……」
その囁きに、すずは頭が真っ白になる。
長政は微かに息をつき、しかしその声は優しい。
「今日は……ここまでにしておこう。
今のすずを前にすると、俺は自制が難しい」
そう言って、すずの髪に――触れない距離で、そっと手をかざす。
すずだけが知る、甘い甘い、ふたりだけの時間。
「……すず。お前は俺のものだ。他の男の手に渡るんじゃないぞ」
その呟きだけが、夜の静けさにふわりと落ちた。
長政はふらりと立ち上がり、部屋を出ていく。
「あっ……あの……!殿…………!」
すずの言葉にも背を向ける。
すずは少し寂しい気持ちを押し殺し、布団に潜った。
実はこれ続きあります。
来週をお楽しみに〜。




