第三十二話 予定変更
昼前、広間に集められた女たちの間に緊張が走る。
「お市様……まことに……?」
すずが問いかけると、お市は静かにうなずき、唇を固く結んだ。
「兄上――織田信長が、また近江に入るとのこと。
間違いはありません。
ですがすぐ、というわけでもないようで…。
正直、どうなるかわかりません」
空気が凍る。
すずの背筋が細く震えた。
『本当にまた……戦……?』
この日まで、鬢曽木の準備で気持ちが明るかった。
だが一気に現実へ引き戻される。
お市は腹を抱えながら、しかし毅然としていた。
「殿は先ほど家中の評定に向かわれました」
昨夜の優しい声と、凛とした武将の顔が胸の奥で交差する。
『殿……大丈夫なのかなぁ……』
◆
夕刻。
長政は評定から戻ったが、すずのもとへは来なかった。
会いたい。
声が聞きたい。
昨夜の言葉の続きが、胸の中でずっと響いているのに。
だが――彼はすずの部屋の前を素通りした。
「……殿……?」
部屋の中からすずの声。
胸がきゅっと締めつけられた。
◆
翌日、小谷城にはさらに多くの知らせが入る。
「織田軍が兵を準備した」
「浅井を囲むため、岐阜より軍勢が続々と出陣」
「徳川も兵を整えているらしい」
噂は噂を呼び、女たちの表情も強張っていく。
根も葉もない噂に人々は翻弄される。
すずは不安に押されながら、城の中庭で風に揺れる柳をぼんやり見つめた。
『なんで……こんなときに、殿は私に何も言ってくださらないの……?
昨夜はあんなに……近かったのに』
心がざわついて仕方がない。
◆
それから三日後。
長政が突然すずを呼んだ。
緊張で胸が跳ねる。
久しぶりに見る長政は、噂や周囲の国の情勢に目を光らせているせいか、いつもより険しい顔だった。
「すず」
「……はい」
「鬢曽木、本来は六月であったが――五月のうちに、すませておこうと思う」
「……え?」
思わぬ言葉に、すずは目を丸くした。
「なぜ……急に?」
長政は視線を伏せた。
「……しばらく、落ち着かない。
信長が近江へ向けて軍を進めている。
突然浅井に嵐が来るかもしれん。
その前に……お前の成人の儀式は、きちんと済ませておきたい」
胸がぎゅっと熱くなる。
『殿は……戦で忙しい中でも、私のことを……』
ほんの一瞬、昨夜の、触れないのに触れ合ったような距離が胸をよぎる。
長政はすずの肩にそっと手を置いた。
ただそれだけなのに、涙が出そうになるほどあたたかい。
「すず。昨夜のことも、今日のことも……俺は、お前を軽んじたことは一度たりともない。
ただ……守りたいと思っている」
その言葉は、接吻より甘く、抱擁より深く、すずの胸にしみ込んだ。
すずは震える声で答えた。
「……殿。私……怖いです。
でも……殿が、そう言ってくださるなら……」
長政は静かにうなずいた。
「鬢曽木を済ませたら、また話そう。
すずの未来のことも、浅井の未来も」
その声の奥に、近づく姉川の火種が確かに潜んでいた。
なんで鬢曽木を六月にやるんでしょうか。
調べてもよくわかりませんでした。
リサーチ不足かもしれませんが。
有力な情報があれば是非教えてください。
めっちゃ気になります(笑)。




