第三十話 安堵
第三十話 安堵
金ヶ崎から戻った翌日、小谷城では慌ただしく戦後の処理が進んでいた。
戦の傷を負った者の手当、兵糧の整理、使者の往来。
城中は常に人の声が響き、気の休まる暇がなかった。
けれど、すずだけは――昨日の奔走と涙のせいで、まだ少し目が赤い。
長政はそれに気づいていた。
「無理はするなと言っただろう。
昨夜はろくに眠れなかったのだろう」
控えめにすずへ視線を落とすそのまなざしは、戦場の武将の顔ではなく、すず一人に向けられた深い心配がにじんでいた。
お市はその横で、苦笑をこぼす。
「まったく……すず様、あなたは感情で動きすぎます。
殿も、そんなふうに甘やかすからいけないのですよ」
叱っているはずなのに、お市の声には以前の棘がなく、むしろ姉が妹を気遣うような柔らかさすらあった。
すずは小さくうつむく。
「……申し訳ありません。気がついたら――勝手に足が……」
お市はため息をつきながら、すずの額に指を当てる。
「気持ちは分かります。
戦へ向かう夫を持つ妻というのは、不思議と……心を引きずるものですから」
そう言うお市自身の横顔は、昨夜よりずっと穏やかなものだった。
◆
その日の夕刻。
長政は執務を終えると、いつもより早く二人のもとへ戻った。
「殿、お疲れでしょうに……」
「ああ。だが少しでも早く顔が見たかった」
お市は苦笑しつつも嬉しそうに目を伏せる。
すずは胸の奥がふっと熱くなった。
長政は二人の前に座り、突然すずの肩に軽く手を置いた。
――ほんの短い仕草なのに、その指先には“二度と失いたくない”とでも言うような強い意思が宿っているようだった。
すずは驚いて言葉を詰まらせた。
お市は、それを横目で見て小さく笑む。
「殿……すず様が固まってしまいましたよ」
「……すずの顔を見ると、どうにも心が安らぐ。
昨日のような泣き顔は、もう見たくない」
その声音には、戦場から戻った者だけが持つ“生きて帰れた安堵”があった。
すずは胸がぎゅっと締めつけられるような感覚に包まれる。
「……私も、もう……あんな思いは……」
声が震え、言葉が続かない。
お市は優しく笑い、二人の間にそっと座り直した。
「今日は、三人で静かに過ごしましょう。
戦は、まだ続きますから」
そしてその夜も――三人は同じ部屋で、火鉢の明かりの下、肩を寄せるようにして静かに時間を過ごした。
長政はすずの手を離さず、お市は穏やかにその様子を見守り……束の間の平穏が、そっと城を包んだ。
前回の補足〜。
すずが嫁いできて初めての戦が金ヶ崎の戦いでした。
すずは今まで家族が戦に出たことはなかったので、そういう意味でも初めての戦に緊張していました。
長政が無事帰還し、安心して気が抜けたのでしょう。
衝動的に、本能で動くすずは長政の胸に抱きつきました。
本来なら(あんなこと以外で)侍女や家臣のいる前で当主に抱きつく行為は辞めた方がいいです。




