第二十四話 春よ、来ないで
第二十四話 春よ、来ないで
二月の近江はまだ深い雪に閉ざされている。
その夜も、北風が城の壁を震わせるほど冷たかった。
すずは、廊下を渡る風に身を縮めながら、長政の部屋に届け物を持って向かっていた。
春まであと少しとはいえ、冬の冷たさは骨の奥まで沁みる。
『……さ、寒い……』
襖の前にたどり着いたとき、部屋の中から灯りの揺れる影が見えた。
声をかける前に、すっと襖が開く。
「すず……?」
そこに立っていた長政は、雪を照り返すような白い息を吐いた。
「外は酷く冷える。早く中へ。」
そのまま袖を軽く取られ、すずは引き入れられる。
部屋の中は火鉢が赤く、まるで別世界のようだった。
「手が……こんなに冷えている。」
長政がすずの両手を包むと、その大きさと温かさにすずは思わず肩をすぼめた。
「す、すみません……」
「謝る必要はない。
むしろ、こんなに冷えてしまうほど働いていることの方が心配だ。」
長政の声はいつもより静かで、やわらかかった。
◆
手を包んだまま、長政はすずの指先を軽く揉みほぐす。
その動きは丁寧で優しく、しかしどこか “すずを離したくない” 気配を纏っていた。
「……市の産後で忙しいのは分かっているが、お前はお前の体を労わらねばならない。」
「だ、大丈夫です……」
「すずが ‘大丈夫’ と言って、本当に大丈夫であったことは少ない。」
少し呆れたように言いながら、
長政は指先から手首へと温めるように触った。
そのとき、ふっと長政の眉が寄る。
「……他の誰のところへ行っていた?」
「えっ……? いえ、侍女の皆さま方のもとへ……」
「そうか。」
安心したように息をつき、視線を伏せる。
『……今、殿……私のこと、心配して……?』
胸が熱くなる。
長政はすずの凍えた頬にそっと手を添えた。
「……すずが寒さで倒れでもしたら、俺は……耐えられない。」
低い声――
それが自分のためだけのものだと思うと、すずは息を飲んだ。
◆
「少し……髪が濡れているな。雪に当たったか?」
「は、はい……少しだけ……」
「風邪をひく。」
長政はすずの肩にかかった髪をそっと持ち上げ、火鉢の近くへ導くように整える。
髪をほどく仕草に、すずの胸がくすぐったくなる。
「あの……殿がなさらなくても……」
「いい。
すずの髪は……すべらかで、温めてやりたくなる。」
そう言いながら、長政は手でそっと髪先を包んだ。
その仕草は、恋慕よりもむしろ “守ろうとする強さ” が滲んでいた。
◆
髪が乾き始めたころ、長政が静かに言う。
「……来い。」
言われるより早く、すずは温かな胸へと引き寄せられた。
大きな腕が背を包む。
すずの体に残っていた寒さが、溶けて消えていくようだった。
「すず……寒かっただろう。」
「……はい。少しだけ……」
「もっと早く呼べばよかったな。」
長政の声が、耳元で震えるほど近い。
すずは胸がきゅっと締まる。
「殿……あの、私……」
「なんだ。」
「……殿に抱きしめられると……あたたかくて……」
言い終える前に、長政の腕に力がこもった。
「……それは、よい。」
低く甘い声。
「すずが、俺の側に来てくれるなら……いくらでも、あたためる。」
そのひと言に、すずの胸は、寒さとは無縁の熱で満たされていった。
◆
火鉢の赤い灯りが揺れる中、すずは長政の胸にそっと額を寄せる。
ただ寄り添うだけなのに、二人の間には春を思わせるほどのぬくもりがあった。
長政はすずの肩を抱いたまま、囁く。
「外はまだ冬だが……すずが来れば、俺には春が来たようだ。」
その言葉に、すずは小さく息を呑み、うつむいたまま――静かに微笑んだ。
雪深い二月の夜。
二人の間だけに、ひそやかな春の気配が生まれていた。
今回のタイトル、お気づきでしょうか。
長政の最後のセリフと噛み合わない。
勘のいい皆さんならお分かりかと思います。
運命の判断まで、あと3回。




