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第二十三話 初

第二十三話 初

 産後の混雑が落ち着き、雪の降りしきる城中にようやく静けさが戻った夕刻。

 すずは、お市のいる産後の部屋で布を畳んでいた。

 湯気の立つ薬湯の香りが、冷えた空気をほんのり温めている。

 そこへ、長政が静かに姿を見せた。

 出産の時以外は産屋に近寄れなかったが、今日は名付けの儀があるため、特別だった。

「……すず。」

 呼ばれて振り返ると、長政の表情はどこか柔らかい。

「赤子の名が、決まった。」

 すずは思わず手を止め、背筋を伸ばした。

「お名前は……」

 長政は深く息を吸い、告げる。

「『御那(おなつ)』。

 広い心と優美な風格を持ち、周りに安心感や温かさを与える娘であって欲しい、という願いを込めた名だ。

だがな……」

 長政は少し苦笑した。

「名前を呼ぶときに『なつ』では、お市の側に仕える侍女と名が重なる。

さすがに紛らわしいから――」

「から……?」

 すずが問い返すと、長政は穏やかに続けた。

「『はつ』と呼ぶことにした」

 すずの胸に温かいものがふっと灯る。

「わぁ……素敵なお名前ですね!」

「うん。お市も気に入ってくれた」

 長政のそのひと言に、すずはほっとした。

 お市は気難しく見えるところがある。

 特に自分に対しては――嫁いできてしばらくは、冷たい視線を向けられることも多かった。

 それが今は、すずが物を運べば「助かるわ」と微笑んでくれる日もある。

 赤子を抱く腕が震えれば、軽く顎を動かして「この布を敷いて」と頼ってくることも増えた。

 そう思い出すだけで、胸が静かにあたたまる。

 

 

 その後、お市は産後の疲れが悪化して横になっていたが、すずの気配に気づき、薄く目を開けた。

「すず……。

 殿から、名前のことは聞きましたか?」

「はい。『はつ』様と……伺いました。」

 お市は枕から視線だけを動かし、そっと赤子を見やった。

「ええ。

 本名に音が近い名前で呼ぶことにしたの。

 そう思うと、呼ぶたびに健やかに育ちそうでしょう?」

「……はい。とても、素敵です。」

 すずがうなずくと、お市の長く美しいまつげがゆっくりと揺れた。

 かつての、鋭い視線はそこになかった。

「実は……最初、すず様のこと、どう扱えばよいのか分からなかったんです」

 突然の言葉に、すずは息をのむ。

 お市は続ける。

「殿の側室でありながら、年も十五と幼くて。頼らせてやるべきか、距離を置くべきか……迷ったの」

 淡い灯りの中、すずは静かに頭を垂れた。

「ですが――」

 お市は赤子の頬を撫でる。

「この出産を通して、あなたがいかに誠実に動いてくれたか、よく分かりました。

布を渡してくれた手も、湯を替えてくれた足も……すべてが助けになった」

「……もったいないお言葉です」

 本当にそう思った。

「これからも……万福丸、茶々、『初』のこと、よろしくお願いしますね」

 その声音は、もう冷たくなかった。

 むしろ――まるで姉が妹を頼るような、柔らかな響きさえあった。

 すずは深々と頭を下げ、小さく答える。

「はい……心を尽くして、お仕えいたします」

 

 

 産屋を出たすずに、長政が声をかけた。

「……市とは、うまくやれているようだな」

「はい。あの……以前より、ずっと。

お気遣い、ありがとうございます」

 長政は軽く目を細めた。

「すずの働きが、市の心をほどいているのだ。

胸を張れ」

 すずの頬が、冬の夜気よりも熱くなる。

「赤子――『初』も、すずを慕うように育つだろう」

「……わ、私など……」

「いや」

 静かに、しかし揺るぎない声音。

「すずだからこそ、あの子らは安心できる。

これからも頼むな」

 すずは、思わず深く頭を垂れた。

 胸に灯った温もりは、外の雪では消せないほど強かった。

初のように、複数の名前が伝わる姫もいます。

例えばお市は、『秀子(恐らく織田信秀の子という意味)』という名も伝わっています。

茶々には『菊子』、男性にはなりますが、万寿丸(本作では取り上げないが、長政の次男、庶子)には『万菊丸』という名前が残っています。

いや、どんだけ菊好きやねん笑!!

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