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第十六話 手伝い

第十六話 手伝い

 九月も深まり、朝晩はすっかり肌寒くなってきた。

 お市は身重のため、ここ数日は座敷に出ることも減っていた。

 今日も体調が優れないようで、政務の席には出られないらしい。

『……お市様が居られない日は、なんだか空気が違う』

 そんなことを思いながら、すずは静かに自室で針仕事をしていた。

 そこに、侍女の桔梗が現れた。

「姫様。殿がお呼びでございます」

「私を……?」

 胸が跳ねた。

 政務中に呼ばれることなど滅多にない。

 緊張しながら向かうと、政務の間は既に家臣たちが集まり、長政は中心の席で書状を読んでいた。

「すず、こちらへ」

 長政はすずを見ると、自然な仕草で手を差し向けた。

 家臣たちの視線が一斉に集まり、胸がざわつく。

(どうしよう……皆さんが見てる……)

 けれど長政はそんなことお構いなしに、すずの横を空けて、静かに言った。

「市が休んでいるゆえ、今日の文書の受け渡しはすずに頼みたい」

「わ、私が……?」

「すずの手は丁寧だ。安心して任せられる」

 長政がそう言うと、家臣たちは一瞬驚き、すぐに控えめな頷きを返した。

不満の気配よりも、「すず様は殿によほど信頼されているのだな」という視線のほうが多い気がした。

 そのことが、胸をくすぐった。

 

 

 長政はすずの前に書状を数枚並べ、必要なものを順に家臣へ渡すよう指示した。

 けれど慣れない作業で、緊張のせいか手元が震える。

「すず」

 そっと、長政の手がすずの指に重なった。

 驚くほど静かな動作。

「ここを折る。……そう」

 長政の声は人目があるのに優しく、まるで二人きりのときのように落ち着いていた。

 家臣たちの前なのに――こんなにも自然に触れてくる長政に、すずは胸が息苦しくなるほど熱くなる。

「すずの手は細いからな。無理をするな」

「あ、あの……殿、皆さまが見ておられます……」

「構わん。

 すずが手を震わせているほうが、よほど気になる」

 耳元ではなく、でもすずにだけ届くくらいの低い声。

 その声音に、すずの心臓が跳ねる。

 

 

 仕事が進むにつれて、家臣たちがすずを見る目が変わっていくのを感じた。

 実際、すずは目と物覚えがよく利き、大抵のことは少しの説明で覚えてしまう。

 家臣たちもその物覚えと仕事っぷりに感心したようだ。

『……殿は、本当に私を傍に置くつもりなんだ…。』

 そんな実感が静かに胸へ落ちてくる。

 そして、すずが書状を渡しに立ち上がろうとしたとき――

着物の裾を軽く踏んでしまい、よろけた。

「すず」

 長政が素早く腕を伸ばし、重心が傾いたすずの体を支えた。

 その動きには迷いもなく、まるですずの転び癖を知っているかのようだった。

「怪我はないな」

 人前なのに、声がやわらかい。

 その優しさが、余計に胸を揺らした。

 

 

 政務が終わり、家臣たちが引いたあと。

 長政は机に向かうのではなく、すずのほうへ寄ってきた。

「すず」

「は、はいっ……!」

「今日の働き、見事だった」

 長政はすずの前に立ち、そっと背に手を添えて座らせた。

「緊張しただろう。

 だが、すずが居ると場が和らぐ」

「私、そんな……」

「自覚がないのも、すずらしい」

 長政はすずの肩にかかる髪を軽く払った。

 秋の光が差しこみ、影が揺れる。

「市には政務では敵わんが……すずには、“すずにしかできぬ支え方”がある」

「私に……しかできない……?」

「ああ」

 長政は私の手を取った。

 その手つきは、もう隠そうとしていなかった。

「すずが居るだけで、俺の心は落ち着く。

 子を産むことでも、立場でもなく――すずという存在そのものを、俺は求めている」

 胸の奥が、ぽうっと灯るように熱くなる。

 長政の手はあたたかく、政務中とは違う静けさをもってすずの手を包んだ。

「……殿」

 名前を呼ぶだけで、声が震える。

「すず。

 これからも、そばにいてくれ」

「はい……」

 返事は自然にこぼれていた。

 秋の光と静かな風の中、

すずは、長政の求めているものが“すずという人間そのもの”なのだと初めてはっきり感じたのだった。

戦国時代の妻は大体、裁縫や生花などを嗜んだりしました。

中には武芸をする方もいたのだとか。

ちなみに今回のように夫の仕事を手伝う場合もありました。

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