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第十五話 変化

第十五話 変化

九月に入った。

 朝晩の風は涼しく、空の色もどこか高く感じる頃。

 けれど――

 すずの胸の内は、秋の静かな気配とは裏腹に、ざわついていた。

(……来ない)

 すずは血の付かなかった布を見つめて確信した。

 毎月決まって訪れていた“月のもの”が、今月はどうしても来ない。

 日にちを指折り数えれば数えるほど、不安が膨らんでいく。

 長政の前では悟られまいと努めていたけれど、


 そんな細工は通じる相手ではなかった。

「すず。どうした」

 書院で帳面を整えていたとき、長政が声をかけた。

 顔を上げると、その瞳はすずの些細な変化すら見逃さない。

「……いえ、なんでも……」

「隠すな」

 その一言で、胸の内が揺れた。

「……その…つ……月のものが、来ないんです」

 言うと、長政の表情が一瞬だけ動いた。

 驚きか、緊張か……判断できないほど繊細な変化。

 次の瞬間には、落ち着いた声で命じられた。

「医者を呼ぶ」

「っ…で…でも殿! そんな、大事にすることでは……」

「すずの身に“万が一”があってからでは遅い」

 きっぱりした声音。

 わたしはそれ以上、何も言えなかった。

 

 

 座敷の隅で膝を揃えて座ると、医者が丁寧に口を開いた。

「懐妊ではございません」

 その言葉に、胸がきゅっと縮んだ。

 期待していたわけでは……ない。

 けれど、もしそうだったなら、殿の役に立てるのに――

そんな思いがほんの少しあったのも事実だ。

「生活の変化と、心労が原因ですね。

 若い女性、特に嫁がれたばかりの方にはよくあることです」

 医者が下がると、広間に静けさが落ちた。

「……すず」

 長政がすずの隣に座り、そっと肩に手を置く。

 責める気配はどこにもなかった。

「懐妊でなくて良い。

 体が無理をしていたのなら、なおさらだ」

「……でも……殿の子を、授かれたら……」

「焦るな。

 時が来れば授かる。

 その時は、“すずの身が整ってから”でいい」

 柔らかい声だった。

 それなのに、胸の奥がじんわり熱くなる。

 長政はすずの髪に触れ、静かに整えてくれた。

 不安を払いのけるような、優しい手つきだった。

「すずの体は、ひとつしかない。

 それを守るのが、まず第一だ」

 その言葉を聞いた瞬間、涙がにじんだ。

(……殿は、私を責めていない)

 それだけで救われるようだった。

 

 

 翌日。

 お市の部屋に呼ばれた。

 妊娠中のお市は、以前よりも表情が不安定で、今日は特に機嫌が揺れているのがわかった。

「聞きましたよ、すず様」

 扇をぱちりと鳴らしながら、涼しい声。

「月のものが止まったから、皆が騒いだそうですね。

 さぞかし“期待”されたのでしょう?」

 すずは俯いた。

「……殿に、ご迷惑を……」

「迷惑? まあ、そうですね」

 お市は笑った。

 その笑みは柔らかいのに、刺すようだった。

「私は身重。

 あなたは子が宿らない。

 殿も大変ですね。どちらを気遣うべきか、悩まれて」

「……っ」

「環境の変化と心労?

 そんなことで乱れるなんて、まだまだ子どもですね」

 その言葉は、胸に深く刺さった。

 お市はおなかを撫でながら言った。

「妬まれる覚えはありませんけれど、すず様のようなお子様では、殿の“支え”にはなれないでしょうね」

 すずは返す言葉もなかった。

 

 

 その日の夕刻、殿は私を見るなり察したようだった。

「……市のことか」

 すずは何も言っていない。

 それでも長政は溜息をつき、そっとすずの手を取る。

「すず。市の言葉を真に受ける必要はない」

「でも、私……っ」

「体が弱るほど無理をしておきながら、責められてはたまらない」

 長政はすずをそっと抱き寄せた。

 優しく、傷ついた心を包むように。

「すず。

 俺はすずが子を宿していなくとも、そばにいてほしいと思っている」

 胸の奥が熱く震えた。

「焦らなくていい。

 すずの心と体が安らぐことが、何より先だ」

 大きな手が背に添えられ、その温かさが心の痛みをゆっくり溶かしていく。

「……ありがとう、ございます」

「すず。

 お前の価値は“子を宿すか否か”では決まらない。

 俺がすずを望む理由は、ほかにいくらでもある」

 静かに落ちる声が、九月の涼しい風よりもあたたかかった。

月経不順は実際にあるそうです。

環境の変化と栄養不足、ストレスからなることがほとんどで、日本では戦時中によく見られたそうです。

すずは前回の後書きの通り強い女の子ではないので、周りのプレッシャーとか、そういうものに潰されてしまいます。

新たな『浅井家』という環境、周りからのプレッシャーやストレス。

それが引き金となったようです。

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