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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
二章 赤坂城赤鬼
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今生はここまで

「おう、正遠(まさとお)。長年という方は案外早く到着するんじゃな」

 長生(ながたか)が聞くと、正遠は少し複雑な顔をした。

「どうした?」

 長生に不機嫌な顔を向ける正遠。

「まあ、名和(なわ)様は船にかけては私より上手じゃ。にしても、早すぎる」

 そう言って、正遠は港の方へと逃げるように去る。長生は不思議な顔で見送る。

 すると、行子(いくこ)の声がする。

「兄様、釣りに行かんか? 今日こそ、釣るのじゃ」

 竿を上げる動きをする行子に、長生はうんざりした顔で返す。

「船の上でも釣れんかったんじゃ。陸から釣れるわけなかろうに。お前の衣類や髪飾りでも買いに行った方がよかろう」

 それでも、行子は言う。

「そんなんは、どうでもいい。行子は兄様と釣りをしたいのじゃ!」

 仕方なく、長生は釣竿を持つ行子と出かけることにする。


「これは、太公望(たいこうぼう)を決め込むだけになるぞ」

 船着き場近くに座りながら、長生は行子に言う。

「兄様は相変わらず、漢籍をよく知っとるの。こうして、釣り糸を垂らしながら、誰かを待つのであろう?」

 行子の言葉に笑う長生。

「そうな。自分を変えてくれる、優れた人をただ待つのじゃ」

 行子はうれしそうに笑い、下を一度向く。顔を上げた。

「行子がこうして待っておったら、兄様は来てくれるかえ?」

 不思議な問いに、長生は考える。

「まあ、行子が退屈すると、機嫌が悪うなるからの。早めに声をかけるだろうな」

 行子はクスっと笑う。

「よかった。安心して、行子は釣りができまする」

 何か、行子がおかしい気がした。長生が何か言おうとしたとき、釣竿が動いた。

「あ、兄様、魚が、かかったようですぅ!」

 長生があわてて行子の背中側から竿を握る。なんとか制御し、頃合いを見て竿を上げる。糸の先には、小ぶりながら食えそうな魚があった。

「おお、行子! 釣れたぞ」

 腕の中で行子が笑っていた。いや、少し泣いていた気さえする。


 夕方になる。行子は釣った魚を大事に籠に入れ、長生と楽しそうに歩く。

「人は善行を積めば、何度も生まれ変われます。兄様は、何度生まれ変わったら、行子を好きになってくれますかあ」

 いつもの行子ののろけだった。こうしているのが楽しいのだろう。

「兄は何度か地獄へ落ちるんでの。それが終わるまで、待っててくれ」

 長生の言い分を想定していた行子が笑う。

「そうでしょうねえ。だから、私はお待ちしますよ。何千年では、足りませんね。何万年? 平気です……、よ」

 行子が変だった。言いながら泣き崩れた。

 同時に長生は気配を感じた。一呼吸置いた。剣を抜き、払った。

 切っ先が届かなかった先に、顔の赤黒い大きな男がいる。その後ろには、正遠も。


 長生は左手で剣を握り、右手を行子にかざした。

「逃げろ!」

 行子にとって、それは奇跡のような光景だった。関長生(せきのながたか)の血風陣の中で自分は保護されているのだ。あたたかくて、どうにもならない。

 何の隙も見せない長生に、赤黒い男が折れる。

「関長生殿、名和長年だ。貴人を王のもとへお連れするので、剣を下げてほしい」

 堂々とした言葉だった。正遠は横を向き、海を見ていた。だが、それが長生には気に食わない。

「いつ、わが妹を連れ去る気じゃ」

 一歩も引く気がない長生が聞く。

「探題に捕捉されたくない。今、すぐじゃ」

 名和長年が問答無用に言った瞬間に、長生は旋回した。すさまじい剣風が、周囲を行子から遠ざける。

「正遠! 火と塩持ってこい。魚焼くまで、ワシはここを動かんぞ」

 少しの時間の後、正遠本人が小さな火鉢を持ってくる。塩もあった。

「行子、さっきの魚を焼きなさい。お兄やんと食べよう」

 正遠は火鉢を置く。ふたりを見ることもなく逃げた。

「お兄やん、ふたりではじめて釣れたお魚、食べてみよう」

 行子は魚を焼きだした。誰ひとりとして動けない殺気を放ちながら、長生は待った。名和長年も、橘正遠も動かない。

「お兄やん、焼けたみたい。小さいけど、おいしそうよ」

 行子の声を背中で聞いた瞬間、関長生が吠えた。

「おおぉおっ!」

 そのまま、剣を一閃する。名和長年も橘正遠も、首が飛んだと感じた。剣風に数歩下がった。その距離の中心で兄妹は話す。

「行子、ワシらの初の釣果じゃ。食うてみよう」

 ふたりで、小さな魚の背肉を口にする。たまらないほどに、おいしい。

「お兄やんと私は、釣りの名人じゃの」

 行子の言葉に長生は笑う。その笑顔を見て、行子は決心した。抱きついて、唇に触れる。長生は逃げてはいけない気がした。

「ごめん、お兄やん。私、今生はこれでいいよ。出会えてよかったよ。さようなら、大好き!」

 長生は、それではいけないのだと思う。だから、呼吸ができた次に言う。

「行子、生きていけ。それができればいい。すべてに困ったら、箱根の西でそばがきを売っている者に聞け。月山の里はどこかと。石動力(いするぎちから)という人を頼れ。ワシの縁者じゃ。いいか、石動力だ!」

 行子はちゃんと聞いた。うれしくて、どうにもならなくて、泣きながら、ただ、うなずいた。

 ずっと、橘正遠は海の方を見ながら聞いていた。


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