もう、逢えない
「正成の遺体は見つかったのか?」
朱に染まった武人が、すべてを斬り殺し、紅蓮に包まれた翌日のことだった。足利高氏の問いは、無意味だった。
「見つかるわけがないでしょう。彼は死んでません。探したければ、そうすればいい。ですが、時間のムダです。赤坂陥落の功は、大仏、金沢に譲り、撤退すべきです。兄上」
足利直義は素直に思いを言った。
「軍神、関羽が敵陣におったな。直義、お前は見たか?」
思い出しただけで、心が砕ける。圧倒的に剣を振り回し、人をゴミにした。
「見ました。出会いたくない」
直義は、まだ正直なままになる。
「あれが、関長生じゃ。軍神とは、あれをやれる。新田小太郎もやるであろうな。お前にもワシにもできない」
兄、高氏の説明で、直義にも戦の経過が見えてくる。だが、現実に見た光景と、紫苑やサクラにつながる関長生が結びつかない。
「違うように思います。サクラや紫苑は、ああいう魔神とは縁がないはずです」
高氏が笑う。
「直義、書物や人のうわさは捨てろ。長生に会えよ。どうせ生きてる。いい男じゃ。ワシは好きじゃ。足利の五虎将軍の筆頭を新田と競うぞ」
兄の言葉に心の憔悴が急に別の方を向く。
「あれを、味方にするのが我らですか?」
直義の問いを、高氏は満足して受ける。
「足利はの、あの長生も、楠木正成も、新田小太郎も赤松則村も、全部味方にするぞ。未来は、その先にある。だから、長生の一党にも会っておけ」
兄の言葉に、直義は少し震えた。会ったことがない長生が怖い。だが、その肉親である紫苑にまた会える。そして、サクラにもそれはつながる。
「兄上、幕府のためでなく、足利のために関長生と楠木正成を探します」
高氏は笑う。
「服部は知ってるな。次は赤松に会うのもいいぞ。いや、尾張の高経のところに顔を出すのも悪くない。ワシの苦労も理解できる」
直義は、尾張は勘弁してほしいと思う。兄の機嫌が変になるのは、おおむね、足利高経と絡んだときだからだ。
大仏貞直も金沢貞冬も、赤坂城を陥落させたことは鎌倉へ伝えた。でも、次の一報ができない。城主である、楠木正成の遺体が見つからない。
城内に穴が穿たれていたのは確かなことだ。そこに、いくつかの焼死体があった。極めて、正成らしい甲冑をまとったそれもあった。
問題はその先だった。
「これを正成の遺体として報告するか、逃げたとするか?」
現場の感覚として、それは正成ではないと感じる。いや、わかっていた。だが、鎌倉にどう伝えるかの話になる。
「楠木は源氏平氏一門の守護でもない。時勢に乗って立ち、消えたまで。薩摩の島津あたりがやると、こうはいかんな」
大仏勢の中にそんな見解が生まれる。金沢隊も乗る。
足利高氏さえが同意して、かんたんに評した。
「楠木正成は小勢の土豪。はねっ返ったが、ここまでの能力であった」
それが幕府に伝わる。
赤坂城が陥落し、楠木正成が死んだと聞いた。その近くで、赤ら顔で鬼のような暴を誇った武将も焼け死んだと聞いた。
ヒナギクは、そんなものは戦場の喧伝だと思う。だけど、不安が消えない。
あの人は、明らかにムリをしていた。坂東の豪勇ではあった。だけど、仕事は誰かの護衛でしかない。名をさらすことを嫌った。
そんな人が、自分と出会い、急に武名をあげると言った。その顛末の先に、この状況がある。
「突然現れた赤ら顔の将が、攻城兵を斬り飛ばし、血の海をつくった後に、城と一緒に爆死したとか」
戦場のうわさは、落城の瞬間ばかりだった。そんな豪勇を誇れる人は、関長生しかいないと思う。
ならば、長生は死んだのだ……。
ヒナギクは自分が不思議だった。聞いたときに泣けなかった。あの人を失ったのだと、理解した。だけど、泣けない。
理由はかんたんだった。あの人を失ったのだと、感じていないから。それを感じてしまえば、自分は崩壊する。
だから、感じないために、すべてをうわの空で聞いた。
夜になった。食う物の用意もできなかった。気づいた周囲が犬に食い物を与えてくれていた。すまないな、と思った。
夜空に月が出ている。
不思議な人だった。自分の護衛に着いたとき、何も関心を示さなかった。
なのに、自分が死に瀕したときに、急に感情を表にした。
「こんなとこで死ぬな! もっと、楽しい生き方がある。見てから死ね!」
剣を左手で握り、右手で私にそう伝えた。
「私、生きたい! 助けて!」
口にしたのか、念じたのか、わからない。だけど、そこで全部が変わった。その人は剣ですべてを変えた。
あたたかい思い出ばかりだった。
「ヒナと呼んでくれたね」
そう言ったとき、生まれてはじめて、人を、異性を好きになった。
「私の本当の名は、陽子。これ以上の秘密はもう、ありません。だから、もう一度、私を見つけてください」
何もかもを、その人に預けた。
できることをすべてやってくれたのを知っている。十分以上に、その人は勇であり、優だった。だけど、誰もできないことをやり、本当に死んでしまった。
もう、逢えないのだ。
「あ、あぁ、ああっ、がぁああぁ……」
ヒナギクは決壊する。涙はずっと前から、流れていた。
「な、がたか、長生、なが、たか……」
もう、口からは嗚咽と叫びしか出ない。
犬が不思議な顔で見ていた。急に言葉が飛び出す。
「ツキ、長生は死にました。お前の顔さえ、もう見ることができません」
犬さえ遠ざける。ひとりになろうと、ぼんやり、考える。いや、近いうちに死のうと感じた。
もう、何にも触れたくない。ただ、あの人を思い出したい。




