足利直義、照れる
足利直義は軍を率いることに難儀した。命令するのだが、うまく伝わらない。思うように動かせず、進まない。こんな状況で反幕勢力と鉢合わせしてしまえば、してはいけない合戦状態になりそうだ。
すると、伸びてしまった隊列の中段あたりから知らせが来る。
「長巻を背負った女が声をかけてきたのですが、高師直様の一隊ではないか、と」
直義は何かの罠かとも、師直が得た知己かもしれぬと考える。どちらにしても女ひとりらしい。連れてこいと命じる。
しばらくすると、背の高い女がやってきた。たしかに、背に長巻を負うている。近づいてきた女を見て息をのむ。あまりに美しく、やさしげに見えたのだ。
「えっ、師直様の軍ではないのですか? ええぇっ! ひ、人違いしました!」
猛烈に恐縮するのだが、その割には恐れている様子でもなかった。不思議な女だった。
「まあ、昨日までは師直が率いておった軍です。間違いでもない」
女はキョトンとした顔になる。直義の顔をまじまじと見る。
「じゃあ、足利様の一隊ということで、間違いないです?」
直義は何か伏兵でも置かれて、合図を送るのかといぶかる。でも、女の表情があまりに素直過ぎて、その思いも消える。
「間違いない。が、ワシにとって、そなたは見知らぬ地の謎の女じゃ。名乗れ」
女はそう言われて、ようやく警戒の色を出す。半足後ろへずらし、長巻をいつでも抜けそうな姿勢になった。直義は郎党らがうごめくのを制した。
「多勢に無勢のこちらから名乗らせていただきますが、万が一のとき、血路を開く用意だけはさせてくださいな」
女の声は涼やかで、濁りがなかった。長巻を抜いていないのに、構えの圧さえある。しかも、言うことは道理を得ていた。直義は自分の用心深さが嫌になる。
「すまん。女子ひとりに血相を変えすぎた。私から名乗ろう。足利直義という。棟梁である足利高氏の弟じゃ」
女の構えが解けた。同時にあわてた。
「ええぇっ! 足利様の弟君? すみません、すみません。服部右衛門をお探しではないですか? お連れしないと、えっと……」
直義は笑ってしまう。
「あの、あなたの名をまだ聞いておらんのですが?」
また、女は驚く。もっとあわてた。
「も、申し訳ありません! せ、関長生という、服部様と多少のご縁のある者の妹、関紫苑と申します。すみません」
直義は笑うと同時に驚いた。高氏、師直に何度か聞いた男の妹だった。天下の豪剣と聞いていた。でも、その妹は強そうではあるが、朗らかでかわいらしかった。
部隊は伊賀近辺を探るように動かし、そのまま街道近くに野営させた。だが、そう見えながら伊賀から食い物を補給され、兵らは気楽な夜を過ごす。
そして、直義は伊賀で服部右衛門に会っていた。
「これは、これは、足利様の弟君にお会いできるとは……」
服部右衛門太郎というのは、インチキの塊のような男だった。ヘラヘラと笑ってはいるが、ときに目が鋭くなる。こちらを伺っていることはわかる。好きになれる気はしないが、ガマンするのも役目なのだろうと思う。
だが、その娘に気圧された。目が見えないのはわかる。なのに、犬と一緒に顔を出し、立派にあいさつする。次に小さな声で言われた。
「直義様は牛を食べられたことはございますかあ?」
牛と言われて驚く。それは食ってはいけないものだ。牛馬は物を運ぶ財なのだ。腹を空かしても食うものではない。
「もちろん、大事にすべき宝です。でも、事情はそれぞれあっても、つぶすしかないことは多いのです。そういうとき、私たちは食べてしまいます。実はおいしいのです。ちょうど、今あります」
娘に言われて、直義はうなずいてしまう。
「では、こっそりと、少し持ってきます。ご感想をくださいな」
そう言って、娘は笑う。目が合わないくせに、ちゃんとこっちを見て笑う。その表情に直義は変に感情的になる。
「あ、あのムリしないでいい。熱いのを触って、火傷してはイカン」
すると、娘は光のない目がなくなるほどに笑う。可憐すぎて何も言えない。
「直義様って、やさしいんですね。大丈夫ですよ。私が危ないものを触るときは、このアケボシが吠えてくれます」
そう言って、もう一度、小さな声で言う。
「だから、食べてみてくださいね!」
直義は生まれてはじめて、自分をやさしいと評してもらえた。いつも言葉が少なく、つっけんどんな自分は、もらったことのない言葉だった。どうしたら、そう見えるのか、そう言われるのか、悩んだことさえある。でも、目の前の娘が、あっけらかんと言う。
「ん、食べるから。あの、ケガとか、火傷とか、しないで……」
ニッコリ笑った娘が犬と去った。少しして戻ったその子は、串を2本持っていた。
「どうぞ。おいしかったら、また持ってきますよ」
そうして、犬と同時に串の肉を口にする。
「う、うま、い?」
直義は未知の味に戸惑い、少ししてそれを理解した。
「よかったぁ! 直義様って、なんか堅苦しそうやもん。でも、牛を食べてしまいました。もう、私たちのお仲間です。裏切ってはいけませんよ」
朗らかに娘が笑う。直義は平静を失う。正視できない。
「あ、あの……」
娘は目の前まで来て笑う。
「サクラと呼んでください。目が見えませんが、いつか、関東に行って人のお役に立つつもりです。直義様は関東にお詳しいですよね。どんなとこです?」
好奇心ばかりで、サクラが聞いてくる。直義は知っていることを話すだけ。
「はぁ、うれしい。直義様のおかげで、やっと関東のことがわかりましたあ。ありがとう、直義様! 牛を食べたことは内緒にしますね」
何も言い返せないから笑う。でも、見えてないのに、サクラは笑って返してくれる。
直義は不思議な幸福感の中にいた。緊張感を久しぶりに感じなかった。




