まっすぐ美しく
翌日は平和な一日だった。櫓の兵からは、少しずつ、幕府軍の偵察部隊がやってきていることが伝わっていた。だが、実戦になるのは少し先。紫苑が宮と則祐らに剣の稽古のつけ方を伝授していた。
夜、正成が長生を呼ぶ。
「明後日には、こちらは旗幟を鮮明にする。明日、紫苑を山から降ろせ。お前が送ってやれ。長生が戻るころは激戦じゃ。でも、お前なら、帰れるやろう?」
長生は不敵に笑って、ただ頭を下げた。
「紫苑をお前が大事にしているのもわかる。ワシさえも、長く生かしてやりたいと思うようになった。あの娘にはそれだけの値打ちがある」
長生は少し驚き、小さく笑って首を振った。
「正成様、値打ちじゃないんです。あれとヒナギクは、私の心に咲いた花です。枯れさせる気など、微塵もない。心には、花が必要なんです」
言われた正成が考える。少しして、合点がいく。
「ワシには妻も子もいる。思えば、ワシの花じゃ。でも、紫苑という花を長く見ていたいとも思う。正季も宮も則祐も、正遠さえも、そんな思いじゃろう。なるほど、心には花が必要じゃな」
正成と長生が何も言わずに目を合わせる。
「行ってこい。大事な花を咲ける場所へ移せ。ワシらの未来を照らすために」
長生は笑って頭を下げる。
「ありがたきお気遣い。関長生、御恩は全力の剣でお返しいたします」
正成は自身の判断が間違っていなかったと感じた。
「私ひとりで、いつも通ってる道ですよ」
赤坂城から東へ向かう道、いつか、ヒナギクらと通った道を歩きながら、紫苑は長生に言う。
「もう、幕府軍が来ている。お前ひとりでは心配じゃ」
言いながらも、長生はのん気な顔だった。紫苑には、それがうれしい。
「兄様から、最近は剣をほめていただき、宮様や則祐様にも教えている紫苑ですぞ」
少し甘えた会話を続けたくなり、そんなことを聞く。
「紫苑の剣はな、どんどん素直になっていく。美しく、キレイな剣じゃ。それは、人に教える上では最高の形。でも、戦場の剣は違う。もっと邪で狂じゃ。しかし、ワシは紫苑にそうなってほしくない。だから、ワシが必要なのじゃ」
長生は思ったままを口にする。紫苑と話しているときに、余計な回りくどさを出さなくなった。紫苑だけには素直になってしまったのだ。
紫苑は最近の自分の剣筋を考えた。どんどん、ムダがなくなり、鋭く切っ先が思うところに届くようになった。洗練されてきた、と思っていた。剣の奥深さに、驚く。
「ならば、素直じゃない剣を、私にも教えてくだ……」
言おうとしたところで、長生に肩をつかまれた。まっすぐに見つめられて、息が止まりそうになる。
「そういうのは、紫苑に似合わない。その素直さを、まっすぐ突き進め。お前は汚れることなく、誰よりも美しく切っ先を走らせる人になれる。ワシなんかではかなわない」
紫苑は肩をつかまれ、鼓動がおかしくなる。何を言われているか、わからない。
「け、剣の話、ですよね?」
その問いに長生がおかしな顔になる。かなり、考える。
「剣筋は、人じゃ。心と言ってもいい。紫苑には、それがある。ワシはまっすぐで美しいそれが見たい」
長生は剣の深い心得を説いてくれるだけだと思おうとする。でも、そんなわけない。この大好きな人の心が、全部胸に届く。
「そうだね。長生の言う通り、私はその道で行く。そういう風になりたいと、ずっと思ってた」
健脚のふたりだが、あえて、のんびりと歩いた。途中で鳩を一羽だけ射た。山中を歩き、川近くの風通しのいい場所に、風よけをつくる。
「紫苑、キレイな水じゃ。川原で洗っておいで」
鳩を肉にした長生が、身体も洗ったのだろう。濡れた髪で言う。
「いいですね。私もそうします。ただし、長生は覗いてはいけません」
紫苑がいたずらっぽい顔で笑う。長生は手をひらひらさせて、応じる。
川で身体を清め、サッパリして紫苑は戻る。長生はもう鳩を調理している。丸焼きだった。
「なんとも、今日は雑なやり方ですね」
少しムッとした紫苑が言う。その顔を見て、長生が笑う。
「これがおいしいのじゃ。お前とは鍋ばかりじゃった。たまには、雑なワシの味を、お前にも食わしたい」
言われた紫苑が、少し詰まる。でも、言った方の長生は平気な顔で鳩を真っ二つにする。
「食おう。ヒナとは最初これやった。しかも、半分はツキにやった。ワシはあばらだけ。それでも、おいしかった」
紫苑は長生が何をくれようとしているのかを理解した。黙ってうなずく。兄に笑ってから、かぶりついてみる。
「あっ、ええ?」
さらに肉にかぶりつく。肉の臭さがない。さっき、長生が腹から引きずり出していた香草なのだろう。ただ、にごりない肉の味がのどを通る。
「な、紫苑、酒持ってるやろ? 飲もうよ」
長生が紫苑に言う。たしかに、紫苑は酒を持ってきていた。機会があれば、長生にあげたかったから。
自分の荷物の中から、小さな筒を取り出す。
「仕方ないね、どうぞ。どうせ、こんなところに敵は来れないし、飲んでほしかったから、持ってきたんだし」
長生はうれしそうに、筒から酒を椀に注ぐ。肉を口にして、キュッと飲む。さらに椀に注ぐ。
そして、紫苑に向ける。
「お前も飲んだらいい。肉を口にして、味を感じたところで、ほんの少し口に入れてみ」
紫苑は長生と出会う前に何度も酒を口にしていた。荒んだ心は、それをうまいと感じなかった。長生と出会ってからは、飲むことをやめた。必要なときだけ、少し口にしただけ。
でも、長生が飲めと言ってくれている。何かが変わる気がした。長生の手本通りに、まず肉を口にする。次にほんの少しの酒を口に入れてみる。
「あっ……」
肉のうまみを感じている口に、脂のくどさを感じる瞬間、それを酒が断つ。次にほんのりと甘みを感じる。剣の間合いのような刹那が混ざり、後味を変える。
「おいしいよ、長生。え、こんな……」
長生がうれしそうだった。
「紫苑は感受性が鋭い。酒はそう楽しむと、紫苑らしく、キレイな形になるかもな」
紫苑はまた肉を口にし、また酒をほんの少しだけ飲む。この鳩は格別においしい。長生に笑いながら、何度か繰り返す。楽しいなあ、と思う。なんでも、教えてくれる、やさしい人だと、長生を見る。
これまで、何を教えてもらったっけ? 自分が弱すぎること、食べると幸せなこと、人を好きになること、誰かのために生きること、長生が実は弱いこと、妹が大事なこと、犬が賢いこと……。ダメだ、いっぱいありすぎて、全部思い出せないや。
そして思う。教えてもらってばかりでいいのか? 紫苑。
なんだか、楽しい気分なのだ。図に乗りたいぞ。
「長生、紫苑ばかり教えてもらってるのは、不公平じゃ。私も則祐様に教えてもらった、赤松の囃子を教えてあげよう」
機嫌のいい紫苑の顔に、長生もうれしくなる。
「おう、どうするんじゃ?」
紫苑は身振り手振りして説明する。
「座ったままでいい。天を見上げて、両手で柏手を打つ形をつくるのじゃ。そのまま、目を閉じ、ゆっくりと手を打つ。まず、一」
紫苑が手を打つのに合わせて、目を閉じた長生も打つ。さらに、紫苑は手を打つ。長生も倣う。そして、三拍子めだった。
紫苑は長生の唇に自分のそれを重ねた。ずっとしてみたかったこと。
長生は唇に紫苑を感じた。驚いたけど、すぐに引けなかった。目を開けたら、何かが終わってしまう気さえして、それもできない。
ほんの少しの後、唇に空気の動きを感じた。目を開けると、紫苑が笑っていた。
「策略を使いました。でも、曲がった心で使ったのではないのです。まっすぐな心で、やったことです。紫苑らしいでしょ?」
長生は一度困った顔をしたが、それをやめた。
「うん、紫苑らしい。ワシが大好きな、紫苑そのものじゃ」
何かをもらえたと紫苑は思った。これで私は、どこででも生きていける。いや、生きていけなくてもいい。兄と妹と犬、目の見えない美しい子のために、自分の全部を使っていい。




