鬼と女神がくれたもの
陸に上がると、長生は風通しのいい場所を探し、いつものように寝床の設営をはじめる。
「紫苑、ヒナ、さっきの川できれいにしておいで。ツキも一緒に」
いつものことなので、ふたりと一匹はうれしそうに川へ向かう。残ったのは長生だけだ。3人が恐怖する。同時に長生は抜刀する。
「おい、ええ娘やろ。美しいやろ」
剣先を3人に向ける。
「けして、邪に見るな。お前らを救ってくれた女神じゃ」
問うように、剣先を振る。3人がうなずく。
「気に入ったか?」
長生は急に聞いた。3人ともうなずいてしまう。そして、やってしまったと気づく。
だけど、長生は怒らなかった。
「ワシはお前らを殺したい。でも、妹らは殺すなと叫ぶ。不思議やろ。あんなにキレイな人がこの世にはおるんや」
長生はそこまで言って、次は言わなかった。
「生まれてはじめて、やさしい人というのを見た気がします」
小便を垂らした男がそう言う。長生ははじめて、やさしい顔になる。
「やさしいやろ、キレイやろ、素敵やろ? 触れたいよな。好きになりたいよな?」
みんなうなずいている。
「そうなれ。でも、そうなりたきゃ、今のまんまのお前らでは足りん! 食うものをつくる、武勇を花咲かせる、人の和を集わせる。なんでもいい。できるようになれ。なってから、ちゃんと惚れろ!」
長生の顔はもう、ずっとやさしい。剣先の殺気は消えていた。
「おいしい夕餉をつくろう。お前らにも豊かな時間をあげたい」
3人は必死に働いた。寝床に風よけを置き、火を起こし、それを絶やさずにただ動く。刃物は、与えられない。
長生が沐浴に向かった時間は、恐怖が解けた。長巻を持った紫苑がいたが、この女神に殺されるなら、それでいいとも思えた。長生よりは絶対にいい。
さらに、白い犬の存在が3人の反逆心を奪っていた。とにかく、近くにいる。何か変なことをしてしまうと、吠える。長生の次に怖かった。
すると、魔王のような男が帰ってきた。恐ろしく強い。怖い。でも、どこか根がやさしい。
「お、逆らわずにやったな。まあ、逆らったら紫苑が斬っとる」
長生は笑う。そうなのだ。この紫苑という長生の妹は、おそろしく慈悲深く、おそろしく強い。
「兄様、煮えすぎるから、はよう、食べよう!」
そして、このヒナギクという妹。この小柄な少女が、ずっと自分たちを殺すなと言ってくれた。この人がいなければ、今頃は藪で転がっているはずだ。
「おいしいものを食べて、明日もできるようにがんばる。そういうことを身につけなさい。あなたたちひとりひとりが、素敵になるよ」
何か大事なことを言ってくれる。でも、まだ、よくわからない。
「黙って食え。ワシらも大事な時間を過ごしてるんじゃ」
3人は驚いた。椀には何ひとつ不公平のない量と内容で肉と野菜、芋が盛られていた。いや、唯一、不公平なほど盛られているのは、白い犬だった。
「じゃ、食べよう。私たち3人と1匹は家族。でも、もうすぐお別れしちゃうの。だから、今日も大事な一日。あなたたちには迷惑でしょうけど、それは許して! ごめん、家族の話だからね」
ただ、驚き、早く食べたいと思うものが目の前にある。
「いっただっきまーす!」
長生が叫んだ。同時に犬が食う。美しい妹らが口に運ぶ。3人も口に運ぶ。
「!」
驚く。おいしい! うまい!
長生がニヤニヤ笑う。
「おいしいやろ? そこにある杓で好きなだけ食べや。具もいっぱいあるから」
今日、圧倒的な武勇で自分たちを殺しかけた男が言う。
「兄様、弓が来る読み、完璧! 絶対に払えるくらい余裕あった」
紫苑という長身の娘が話していた。思えば、この人が救ってくれたのだと3人の中のひとりが感じる。
「あれか? 猪子の肉のうまさに惹かれてもうたんか?」
とどめに小柄で透き通るように美しい娘が言う。あまりにキレイで、なんとなくうなずく。
「お前ら、兄弟やろ? 名前は?」
その小柄で美しい姫君が問うている。
「高橋、と申します。私が一郎、ケガしたのが二郎、ぴんぴんしてるのが四郎です」
一郎は自然に頭を下げた。だって、しょうがない。命を救ってくれたやさしい人なのだ。
「ふーん、やっぱりキミが兄かあ。まあ、そんな感じやったもんね、兄様!」
もうひとりの、おそろしく美人で武勇に優れた人が言う。この人みたいなひとが好きだと、一郎は思ってしまう。
「私を救ってくれたときと同じ! 兄様はやさしいよ。誰も傷つけないよ。おいしいもの食べさせてくれて、明日をくれる」
一郎は驚いていた。この悪鬼羅刹のような男が、この背の高い美しい人さえ救ったのだという。
「し、紫苑様を救われたと?」
紫苑が底抜けに美しい笑顔で笑う。
「私もね、今年の途中まで、泥棒でした。兄様からお金とヒナを奪おうとして、ボッコボコに倒されました。でもね、兄様は私が里に呼び込み、支配者になっていた連中も一掃してくれた。私に兄様の姓もくれた」
話が長くなりそうに思い。長生は3人の椀に、食い物を鍋からよそってやる。
「紫苑様が、ど、泥棒?」
紫苑はニコニコ笑う。あまりに美しすぎて、正視できない。
「そう、泥棒。世の中に生まれて、いいことなんかないと思い込んでた。今日のみんなと同じように、持ってる人をうらやましいと思い、奪おうとばかり」
そうなのだ。いいことなんかない。だから、持ってるやつから奪う。でも、自分たちは奪えなかった。なのに、今、猪肉を口に温まっている。
「バカだったんだなあ、私。いろんなことを学び、自分を鍛え、目の前のことに向き合えば、あんなに卑屈にならなくてよかった。なのに、バカだから、できなかった」
そう話しながら、紫苑は杓で彼らの椀に汁をついでやる。
「まず、食べてお腹を温めるの。そうすると、おいしいな、と思う。元気も出てくる。次に、その元気で大事な誰かのために生きようとするの。しんどくても、がんばるの。するとね……」
ずっと笑ってた紫苑が、少し涙を浮かべる。でも、目は3人の方を向いたまま。
「ありがとう、って言ってもらえるよ。そのとき、あなたたちも生まれ変わるの。生きててよかったな、生きてるのって、楽しいな、って」
紫苑は涙を流しながら、それでもニコニコ笑う。
「私の話を聞いてくれて、ありがとう。だから、お願い。明日をちゃんと生きて。私にもあなたらにも、未来はあるよ」
女神のような人が、急に生きる意味をくれた。3人が号泣する。




