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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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猪子と賊と

 そこからの長生(ながたか)の動きは鋭かった。猪子(いのこ)の血を抜き、はらわたを抜く作業を鬼のように進める。紫苑(しおん)もヒナもやれと言われることにただ従う。

「ここは血が多い。肉は得た。歩くぞ。うまいものは食える。残り物は自然にくれてやろう」

 そう言って、捨てるものは捨て、長生は歩きはじめる。紫苑もヒナも、長生ほどではないが、肉を持って歩く。

 だが、少しも歩かない間に、ツキの様子が変わった。

「ウウゥ!」

 低く吠える。誰かが、近づいている。

「ヒナ、地面に伏せろ。紫苑、俺が弓に矢をつがえるのに合わせて、長巻(ながまき)を抜け。ツキ、方向を探せ」

 長生の言葉通りにみんなが動く。ツキの視線を長生は見逃さない。

「紫苑、射るぞ。お前に反撃の矢がたぶん左から来る。落とせ」

 うなずく紫苑。長生は目星をつけた方に瞬間的に向く。そのまま、射る!

「ぎゃっ!」

 声がした。死んではいないだろう。だが、その動きで相手方の位置がわかった。想定通り、矢が飛んだ。

 紫苑は何もかも準備できていた。遅い矢を、ただ払う。

「右はまかせて!」

 叫んで飛んだ。いる場所がわかっているからだ。

 驚いている男が草葉の中から太刀を手に立ち上がった。

(遅いわ!)

 紫苑は長巻をもう振っていた。太刀が吹っ飛ぶ。そのまま、前に出て喉元に切っ先を突き付けた。チラリと左側を見る。

 もう、1名を打ち倒し、さらに弓を射た男を足蹴にしている長生が見える。

「殺すな!」

 ヒナの甲高い声が響いた。応じた長生が手を上げている。

 同じだな、と紫苑は思う。私も、この声で命を救われたのだった。

 長生の方を見ると、帯を絶ってそれで後ろ手をぐるぐるに巻いて縛りあげていた。自分もそうするべきだ。

 だが、女と見た相手が抵抗しようとする。長生の声が聞こえた。

「殺すぞ! 従え」

 相手は長生を見た。彼が匕首(あいくち)をこちらに投げようとしているのが見えた。顔が怖い。鬼の顔だった。

 縮み上がった相手がしおらしくなり、仕事が楽になる。


 長生の方で、大きな音が鳴った。もう一度鳴る。見れば、賊のふたりを長生が張り倒していた。大きな手で、容赦ない打ち方だった。死ぬ可能性さえあった。

 首をひん曲げて泣いている賊ふたりを置き、今度はこっちに歩いてくる。

 紫苑の方を見たときだけ、やさしい顔になった。でも、縛った賊を見るときには、鬼になっていた。

 何も話さない。ただ、賊の胸倉をつかむ。大きく左手を上げる。憤怒の形相で、それを振った。

 パァンッ!

 賊の顔面が歪み、横を向いた。首がすっ飛んだようにさえ見えた。でも、首はまだつながっている。でも、みるみる腫れ上がる顔。

 それだけで終わらない。長生がこっちを見ている。やさしい顔になって、何か合図をした。

 それから、賊を見下ろした。

「やっぱり、殺すぞ。ワシの大事な妹らをかどわかそうとしたんじゃ。許す理由はない!」

 向こうの賊ふたりにも聞こえるように言う。恐ろしい顔で横たわる賊をにらんだ。腕を振りかぶる。

「死にくされ! このクソガキぁ」

 殴りかかるところで、止めに入る。これは圧倒的な芝居だ。

「離せ! こんなクソのせいで、お前が死ぬとこやった。ぶち殺す!」

 賊は恐怖で小便を垂らした。でも、必死に長生を止める形になる。

「お兄やん、許したって! この人らも、私と同じように、困って生きてるの!」

 大声で叫ぶと、長生が止まる。鬼の目で足元の賊に問う。

「なんで、ワシらを襲おうとした?」

 よく見れば、長生と同年代程度の若い男だった。

「い、猪子の肉を持っていた。食いたくなった……」

 長生がにらんだ。

「肉食いたいから、ワシのこのかわいい妹を襲ったのか?」

 男がうなずいた。瞬間、長生は拳を振り下ろした。

 殺してはいない。賊は気を失った。ただ、長生はカッとしたのだ。なんだか、紫苑の心が温かくなる。怒ってしまった長生の顔が、愛おしい。


 恐怖で歯も合わなくなったひとりに、殴り倒した男を背負わせる。矢傷を負った男にも肉を持たせた。

「お前ら、逆らうなよ。少しでも逆らったら、惨殺するぞ。妹らにも、犬にも触れるな。触れていいのは、ワシの刃だけじゃ」

 長生は相変わらずに鬼だった。何があっても彼は自分たちを守りたいのだとヒナは気づいていた。そして、この三人に少しマシな未来を与えたいことも。

 だから、ヒナは長生の言うとおりにする。

「兄様、小さな川がある。こいつらをこのまま川に放り込んで洗おうか?」

 長生が笑う。ただし、怖い方の笑い方だ。

「小便ちびったのもおるからの。そのまま、川に沈めよう。お前ら、衣も身体も洗え。逃げたければ、そのまま逃げろ。ただし、残って、従順にできるならば、猪子肉の鍋料理を食わしてやる。衣が渇くように火のそばに置くことも許してやる。自分で決めろ」

 そう言うや否や、川の方へ長生は彼らを蹴り倒した。後ろ手に縛られているので、起き上がるのも必死だ。

「もう、黙って従いなさい。命は助けてあげたいし、温かくもしてあげたい。でも、兄様がおそろしく怒っとる。謝りなさい!」

 ヒナが小さな声で言う。

「言われたとおりにしたら、温かい猪鍋食べれるよ」

 紫苑も言う。

 ボタボタと水を滴らせる男らが、長生の方を向く。

「す、す、す……」

 小便を垂らした棟梁らしき者が何か言おうとするが、恐怖と寒さで言葉にならない。

「も、申し訳ありません! 数日、食っておりませんでした。腹を空かし、獣肉を持つ御一行がうらやましうなって……」

 いちばん、健全な男が言う。

「く、食えたら、なんでもいいです。お、お腹が空いて、寒い、んです」

 肩に矢を受けた男がガチガチ震えながら続ける。長生がようやく笑った。

「ワシはお前らを殺したくて仕方ない。じゃが、妹らがの、根っからやさしい。妹に免じて生かす道がある。食い物もやりたいそうじゃ」

 長生は黙って3人を見る。容赦ない顔だった。紫苑にはわかる。長生はひと通りの殺し方を頭に浮かべたのだろう。その本物の殺気が彼らを打つ。

「黙って従えよ」

 長生の声は小さかった。3人はすぐに応じれないほどに恐怖していた。ただ、無防備にうなずいた。


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