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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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失いたくないものばかり

「赤松様は、ヒナをえらく崇敬しておったな。もう、お味方みたいなものじゃ」

 山中の道を進みながら、紫苑(しおん)がそんな感想を口にする。

 でも、ヒナギクの顔は冴えない。長生(ながたか)がそれを見て紫苑に説明する。

「今回は赤松に書状を託すだけにしたが、すぐ西の美作(みまさか)もまた、足利領のようなものなんじゃ。赤松は美作と丹波(たんば)の足利に挟まれているような位置にある。足利との関係は絶てないだろうな」

 ヒナギクは聞いて、ため息をつく。

高氏(たかうじ)高経(たかつね)、あのふたりの出方次第で、新田も吉良(きら)も赤松も変わる。だから、私は丹波に行くの。そして、そこで兄様、姉様、ツキとお別れ……」

 聞いていた紫苑が、その現実と向き合う。木々の間に見える空を見上げ、同じように息を吐く。

「私、何もわかってないから、感じたことだけを言うね」

 そうヒナと長生を見る。足元のツキとも目を合わせる。

「私は今年の途中まで、野盗だった。やさしさに触れたことがなくて、大事なものなんか知らなくて、続けたいことなんてなかった」

 そう言ってから、長生、ヒナ、ツキに丁寧に笑う。

「でもね、今は全部ある。やさしさも、大事なものたくさんもらった。こうして歩いている一歩一歩を、もっともっと、続けていきたい。この毎日を失いたくない」

 言ってから、もう一度、透きとおるように笑う。

「バラバラになってしまっても、私は、今日の続きを取り戻そうと努力するよ。長生が笑ってくれて、ケンカできるヒナがいて、よだれ垂らしてるツキを見て笑う。そんな日のために……」

 紫苑は最後まで言えなかった。涙で言葉が流されてしまう。

 ヒナは紫苑の言葉が詩的すぎて震える。そういえば、自分もそうだった。今年の途中まで、自分には何もなかった。心の安らぎも、頼る対象も、気持ちをぶつけ合う相手もない。孤独で、不安で、涙さえ枯れていた。

 なのに、今は涙があふれて困ってる。失いたくないものばかりで、耐えられない。


 ふたりの妹分が泣いていた。

 しかし、妹じゃない。そもそも、彼は何もない孤独な人生を生きていた。剣を磨き、人を斬り、食い扶持を得て、ただ食う。それが関長生(せきのながたか)という男だった。

 だけど、腕の中の小さく美しい命を守りたいと思った。

 目の前ではじける儚き美しさを、しっかりと咲かせてあげたいと思うようになった。

 すると、剣が冴えた。笑う日が増えた。このふたつの花が咲いてくれれば、死に絶えて悔いはないと感じた。

 でも、ある日、死ぬなと張り倒された。そして、気づく。

 自分は、この時間を続けたいのだ。それは紫苑の言葉のままだった。

 ツキに笑ってみる。犬は理解したような目で見てくれた。

「なあ、ヒナ、紫苑。これを続けよう。少し、断絶する日が来るけど、長い目で見ればたいしたことない。でも、それでもさみしいから、ムダに山道をちんたら歩いて、いっぱい遊んで、いっぱい話して、いろいろ決めてから、丹波行こう」

 長生のやわらかい声に、泣いていたふたりが反応する。

「うん、そうしよう。ゆっくり過ごそう!」

 紫苑がうれしそうに笑ってくれた。

「でも、山ばっかりやん。芋ばかり食うていくん?」

 ヒナが少し笑いながらいじわるを言う。ニヤニヤ笑う長生。

「ヒナ、ワシをなめるな。赤松に頼んで、飴をたっぷりともらってある。餅もこんなにあるぞ!」

 そう言って、袋を取り出す。ヒナが中を見る。

「わあ、わあ、餅いっぱいある! 飴もその筒?」

 紫苑も飛びついた。

「ええっ! 餅、すごい入ってる。ふたつずつ食べても……」

 顔がとろけていた。

「な、10日かけてもいい。ゆっくり行こう。ウチの家族は、山の中は得意やろ?」

 そう言って、長生はヒナと紫苑の肩を同時に抱いた。キレイな表情が彼を見上げてくれる。

「うん! 当然じゃ。はよう、今日の寝所を探すのじゃ!」

「飴を食べ続ける、黄金の日々じゃ!」


 山を歩くためか、獣にも遭遇する。

「兄様、猪子(いのこ)じゃ、どうする?」

 紫苑が先に気づいて小さな声で言う。だけど、長生は首を振る。

「あれは俺らでは食えん。大きすぎて捨てるものが多くなる。殺すべきでもない。ほら、小さな子を連れておる」

 長生の言葉に、紫苑は奥にいる子どもの猪子に気づく。

「そうね。私たちには手に余るかも」

 そう笑う。長生に出会う前なら、それでも殺そうとした。ほとんど、うまくいかなかった。猪子の方が強いのだ。

「身の丈に合ったことをしないと、ね」

 紫苑は長生に笑う。相手が笑って返してくれる。その笑顔に心が締め付けられる。この豊かな時間こそ、紫苑にとって失いたくないすべてだった。

 だが、少し歩くと長生が声を出す。

「あの猪子なら、ムダも少ない。やるぞ。ワシが射る。ヤツはワシに向かう。お前は横からけん制しろ。こっちで仕留める」

 そう言いながら、ヒナギクを右手で下げる。ヒナはうなずく。ツキは何かに備える。言葉なんかなくても、この家族は通じ合う。

 長生は黙って弓に矢をつがえ、音もなく猪子をねらう。一瞬、紫苑を見た後に放った!

 ビンッ!

 距離はあったが、見事に矢は脇に突き立った。猪子が長生を見る。猛然と突進してきた。

 紫苑はただ待った。長生に向かう猪子を。そして、目の前を通りすぎようという瞬間に足で飛ぶ。猪子を下から一閃した。

「えあぁっ!」

 いつもの稽古のように切っ先を突っ走らせた。重い手ごたえはない。でも、何かを絶った感覚がある。

 長生は剣を抜く構えをしていた。いつものように完璧な構えだ。何が来てもたぶん、断ち切る。

 でも、長生がその姿勢を緩める。そのまま立ち上がり。猪子の方に歩く。

「紫苑、お疲れさん。お前の一発で、決まってしもうたわ」

 言われたことを理解しようとして、少し、時間がかかる。倒れている猪子に近づく。

「喉から動脈まで、絶たれとるわ。見事じゃ、関紫苑(せきのしおん)

 兄がほめてくれた。なんだか、すごくうれしい。

「もしかして、今日、猪子で鍋?」

 隠れていた妹が出てきてうれしそうな声。ついでに、犬が大喜びで駆けまわっている。

「ヒナ、ツキ、今日は猪子鍋じゃ。こんなごちそうはない。紫苑に礼を言え」

 笑っている兄の顔がうれしい。紫苑は思う。私は役に立ったぞ!


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