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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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播磨の赤松

「怖かったぞ! ホンマに怖い。ワシがヒナ様に何かしようとした瞬間に、長生(ながたか)が飛んでくる気がした。避けようと逃げても、そこの女に斬られると感じた」

 タコや川魚、芋や野菜、獣肉まである豪勢な食事だった。ガブガブと酒を飲みながら、赤松則村(あかまつのりむら)は述懐した。

「でも、斬りに来る女子が、絶世の美女じゃ。長生よ、妹の嫁ぎ先は決まっておるか?」

 言われた紫苑が恥ずかしそうに頭を下げる。すると、長生がムッとする。

「赤松様、これは私の大事な妹です。アンタのような、ひん曲がった手ごわい男とかかわらせる気はない」

 則村はまた飲んで笑う。

「残念じゃ。しかし、なぜあれだけ怖かったかを考えると、長生の武勇や紫苑の斬撃だけじゃないのじゃ。もっと、予測不能な圧力を感じたが……」

 そう言って、庭を見る則村。そこにはエサの器にガッつく犬。

「あれじゃ、あの犬じゃ。バカみたいな顔して、でも、何してくるかわからん。ワシが来た瞬間に、飛べる形になってた」

 則村が言うと、ヒナギクが笑う。

「あれはな、食いたいだけの意地汚い犬じゃ。でも、あれが動くとことはうまくいく。お月様のように白く、ツキも呼ぶ。ワシの右将軍なのじゃ」

 そう言われて、則村はポカンと止まる。

「ヒナ様というのは、なんというか、朗らかで、太陽のような姫君なんですなあ」

 なんでもないと思った瞬間に危地が来る。則村がヒナを人質化することを楠木正成(くすのきまさしげ)は気にしていたのだ。だから、長生はヒナに目配せする。

「私なんかは役に立たん。次にはちゃんとした使いが則村の元にも来るだろう。そのころには、私は丹波(たんば)におるよ」

 則村は思い直す。

「ヒナ様は足利殿に?」

 ヒナギクはなんとなく首を振る。長生はそれを見て、続きを言う。

「そういうことは決まってません。ただ、私は丹波にヒナ様を連れて行くのが役目」

 長生のそういう目をじっと見る則村。

「それでいいのか? 関長生(せきのながたか)

 長生は笑わずに応じる。

「それしかないのですよ。そういう風になっていくのです」


 赤松則村との最初の出会いは悪くなかった。

「ヒナ、よくがんばりましたあ!」

 紫苑(しおん)がヒナを抱っこしている。ヒナはうれしそう。

「怖かったよ~。でも、兄様と姉様が、背中からスゴイ力をくれた! うれしかったあ」

 長生はふたりを見て思う。いい連携だ。

「紫苑、お前、あそこまでできるのな?」

 長生に言われて、紫苑は少し考える。

「ヒナが殺されてはいけないとばかり思ってました。兄様がおそろしい殺気を放ってるのはわかりました。だから、それを助けるために、どう戦うかを考えただけなんです」

 素直な紫苑の言葉がいい。長生は少し笑う。

「紫苑、それでいい。お前が考えたことはお前の顔にも、動作にも少しだけ出る。それを相手が感じる。それは十分に恐怖になる」

 でも、紫苑には長生がやっていたことは少し違う気がする。

「戦い方や殺し方を考える。それで相手は恐い。次は、それを実行する間を探る。その瞬間を探る。さらに、相手は恐がる。そういうものじゃ」

 長生の説明に、気を放つ意味がわかる。ただ、心気を相手に向けるのではない。いつでも切っ先を向ける準備を心気でするのだ。長生はそういうときに動かず、無になる。そのたたずまいが相手を恐怖させる。

「剣の極意は深いですね」

 紫苑は正直に学び、兄に返す。その顔を見ていると、長生は申し訳なく思う。

「紫苑、そのあたりまでの理解で十分。それ以上は修羅の世界じゃ。お前は見なくていい。幸せになれ。もっともっと、そうなれ」

 紫苑がニコニコする。

「そうも言ってられません。兄様を助け、ヒナを守り、いつか餅やタコと一緒に里に帰るのです。その日まで、紫苑は戦士でいいのです」

 わけもわからず、長生は首を振る。この美しい妹に、そんな役目を与えた自分が間違っていたように思えてくる。


「ヒナ様、いかがです? この播磨(はりま)は」

 則村はヒナに言う。表情には自信しかない。

「戦略、戦術的なことは長生が答えるだろうな。でも、豊かな地じゃ。河の流れは清い。風は心地いい。これを守れる人は立派だと思うよ」

 ヒナギクは周囲をゆっくりと見て、空を見上げ、そんなことを言う。則村が呆然とした。

「立派ですか?」

 ヒナは直立してしまった則村に笑う。

「立派だよ。稲はちゃんと実ってる。水は滞りなく流れてる。生きる人たちは、明るく笑い、不安がない。明日や明後日、その先も、ちゃんと見て生きている」

 何も言えない則村。少し、涙を浮かべている。

「なあ、則村。幕府に逆らう悪党(あくとう)でいい。朝廷に味方せいとも言わん。でも、お前は強く、何かを成せるように生まれ、生きてきた。この地の人を守ったれ。それが、お前の役割じゃ。お前の強さは、そのためだけにある。ようやったな。これからも、がんばれ」

 赤松則村の顔が一気にゆがむ。若年から、幕府に従うように見せながら、こんな田舎の父祖の土地のためだけに武勇を用いてきた。必死に生きただけだった。正しかったかなど、わからない。

 でも、はじめてほめてもらえた。

 言ってくれたのは小さな娘。朝廷につながるとされるが、わからない。でも、それ以上に、言葉がうれしい。涙があふれてくる。

「ひ、ヒナ様、あまりにありがたきお言葉ゆえ、則村は聞き損じてしまいました! もう一度、言ってくださいませんか?」

 必死に言う則村に、ヒナギクは全身で微笑む。

「赤松則村、よくこの地を育んだ。お前の武勇は、それを続け、それを守るためだけにある。忘れるな。そして、この地の人に代わってヒナギクが言おう。ありがとう。これからも、よろしくね」

 則村は号泣した。頭を下げることもできず、まっすぐに向いて、大きな目から涙がボタボタと落ちる。歯を食いしばっているが、どうにもならない。

 目の前に白い犬が来ていた。バカな顔でこっちを見ている。

「ワフッ!」

 吠えて、うれしそうな顔で尻尾をバカみたいに振る。

(泣きたいときは、ちゃんと泣きなされ!)

 ツキのその仕草で、則村は決壊した。

「ああ、あぁーっ! 殺されるのが怖かった。でも、一所懸命生きるしかなかった。人も殺した。齢も食った。こんな生き方でいいのか、不安でした!」

 ヒザをついて、坊主がくずおれた。涙がボタボタとこぼれる。

「則村、お前は間違ってない。私にも豊かにしたい人たちがいる。その地を守りたい。そこに帰りたい。それだけじゃ。お前はできてる。たいしたものじゃ。ヒナにもやり方を教えてくれんか」

 大きな則村の背に、小さなヒナギクの手が触れる。

「ありがとうございます。ありがとうございます。ヒナ様、本当に、ありがとうございます」

 赤松則村は長い時間、顔を上げられなかった。


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