播磨の赤松
「怖かったぞ! ホンマに怖い。ワシがヒナ様に何かしようとした瞬間に、長生が飛んでくる気がした。避けようと逃げても、そこの女に斬られると感じた」
タコや川魚、芋や野菜、獣肉まである豪勢な食事だった。ガブガブと酒を飲みながら、赤松則村は述懐した。
「でも、斬りに来る女子が、絶世の美女じゃ。長生よ、妹の嫁ぎ先は決まっておるか?」
言われた紫苑が恥ずかしそうに頭を下げる。すると、長生がムッとする。
「赤松様、これは私の大事な妹です。アンタのような、ひん曲がった手ごわい男とかかわらせる気はない」
則村はまた飲んで笑う。
「残念じゃ。しかし、なぜあれだけ怖かったかを考えると、長生の武勇や紫苑の斬撃だけじゃないのじゃ。もっと、予測不能な圧力を感じたが……」
そう言って、庭を見る則村。そこにはエサの器にガッつく犬。
「あれじゃ、あの犬じゃ。バカみたいな顔して、でも、何してくるかわからん。ワシが来た瞬間に、飛べる形になってた」
則村が言うと、ヒナギクが笑う。
「あれはな、食いたいだけの意地汚い犬じゃ。でも、あれが動くとことはうまくいく。お月様のように白く、ツキも呼ぶ。ワシの右将軍なのじゃ」
そう言われて、則村はポカンと止まる。
「ヒナ様というのは、なんというか、朗らかで、太陽のような姫君なんですなあ」
なんでもないと思った瞬間に危地が来る。則村がヒナを人質化することを楠木正成は気にしていたのだ。だから、長生はヒナに目配せする。
「私なんかは役に立たん。次にはちゃんとした使いが則村の元にも来るだろう。そのころには、私は丹波におるよ」
則村は思い直す。
「ヒナ様は足利殿に?」
ヒナギクはなんとなく首を振る。長生はそれを見て、続きを言う。
「そういうことは決まってません。ただ、私は丹波にヒナ様を連れて行くのが役目」
長生のそういう目をじっと見る則村。
「それでいいのか? 関長生」
長生は笑わずに応じる。
「それしかないのですよ。そういう風になっていくのです」
赤松則村との最初の出会いは悪くなかった。
「ヒナ、よくがんばりましたあ!」
紫苑がヒナを抱っこしている。ヒナはうれしそう。
「怖かったよ~。でも、兄様と姉様が、背中からスゴイ力をくれた! うれしかったあ」
長生はふたりを見て思う。いい連携だ。
「紫苑、お前、あそこまでできるのな?」
長生に言われて、紫苑は少し考える。
「ヒナが殺されてはいけないとばかり思ってました。兄様がおそろしい殺気を放ってるのはわかりました。だから、それを助けるために、どう戦うかを考えただけなんです」
素直な紫苑の言葉がいい。長生は少し笑う。
「紫苑、それでいい。お前が考えたことはお前の顔にも、動作にも少しだけ出る。それを相手が感じる。それは十分に恐怖になる」
でも、紫苑には長生がやっていたことは少し違う気がする。
「戦い方や殺し方を考える。それで相手は恐い。次は、それを実行する間を探る。その瞬間を探る。さらに、相手は恐がる。そういうものじゃ」
長生の説明に、気を放つ意味がわかる。ただ、心気を相手に向けるのではない。いつでも切っ先を向ける準備を心気でするのだ。長生はそういうときに動かず、無になる。そのたたずまいが相手を恐怖させる。
「剣の極意は深いですね」
紫苑は正直に学び、兄に返す。その顔を見ていると、長生は申し訳なく思う。
「紫苑、そのあたりまでの理解で十分。それ以上は修羅の世界じゃ。お前は見なくていい。幸せになれ。もっともっと、そうなれ」
紫苑がニコニコする。
「そうも言ってられません。兄様を助け、ヒナを守り、いつか餅やタコと一緒に里に帰るのです。その日まで、紫苑は戦士でいいのです」
わけもわからず、長生は首を振る。この美しい妹に、そんな役目を与えた自分が間違っていたように思えてくる。
「ヒナ様、いかがです? この播磨は」
則村はヒナに言う。表情には自信しかない。
「戦略、戦術的なことは長生が答えるだろうな。でも、豊かな地じゃ。河の流れは清い。風は心地いい。これを守れる人は立派だと思うよ」
ヒナギクは周囲をゆっくりと見て、空を見上げ、そんなことを言う。則村が呆然とした。
「立派ですか?」
ヒナは直立してしまった則村に笑う。
「立派だよ。稲はちゃんと実ってる。水は滞りなく流れてる。生きる人たちは、明るく笑い、不安がない。明日や明後日、その先も、ちゃんと見て生きている」
何も言えない則村。少し、涙を浮かべている。
「なあ、則村。幕府に逆らう悪党でいい。朝廷に味方せいとも言わん。でも、お前は強く、何かを成せるように生まれ、生きてきた。この地の人を守ったれ。それが、お前の役割じゃ。お前の強さは、そのためだけにある。ようやったな。これからも、がんばれ」
赤松則村の顔が一気にゆがむ。若年から、幕府に従うように見せながら、こんな田舎の父祖の土地のためだけに武勇を用いてきた。必死に生きただけだった。正しかったかなど、わからない。
でも、はじめてほめてもらえた。
言ってくれたのは小さな娘。朝廷につながるとされるが、わからない。でも、それ以上に、言葉がうれしい。涙があふれてくる。
「ひ、ヒナ様、あまりにありがたきお言葉ゆえ、則村は聞き損じてしまいました! もう一度、言ってくださいませんか?」
必死に言う則村に、ヒナギクは全身で微笑む。
「赤松則村、よくこの地を育んだ。お前の武勇は、それを続け、それを守るためだけにある。忘れるな。そして、この地の人に代わってヒナギクが言おう。ありがとう。これからも、よろしくね」
則村は号泣した。頭を下げることもできず、まっすぐに向いて、大きな目から涙がボタボタと落ちる。歯を食いしばっているが、どうにもならない。
目の前に白い犬が来ていた。バカな顔でこっちを見ている。
「ワフッ!」
吠えて、うれしそうな顔で尻尾をバカみたいに振る。
(泣きたいときは、ちゃんと泣きなされ!)
ツキのその仕草で、則村は決壊した。
「ああ、あぁーっ! 殺されるのが怖かった。でも、一所懸命生きるしかなかった。人も殺した。齢も食った。こんな生き方でいいのか、不安でした!」
ヒザをついて、坊主がくずおれた。涙がボタボタとこぼれる。
「則村、お前は間違ってない。私にも豊かにしたい人たちがいる。その地を守りたい。そこに帰りたい。それだけじゃ。お前はできてる。たいしたものじゃ。ヒナにもやり方を教えてくれんか」
大きな則村の背に、小さなヒナギクの手が触れる。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ヒナ様、本当に、ありがとうございます」
赤松則村は長い時間、顔を上げられなかった。




