お前が死ぬなあ!
播磨の灘で陸に上がる。楠木党の護衛がつき、少し山に入ったところで宿所を与えられる。これまでのような自由はない。
「近い未来を思い悩むのはやめた。じゃが、遠い未来もわからん」
夜、宿所でヒナギクが言い出す。長生はポカンとした。
「なんか、めんどうでもあったか?」
よくわかっていない言葉を吐く。
「何もない! でも、生き残れば、長生は私を娶ってくれるのじゃろ? じゃあ、そのとき、紫苑姉はどうなるんじゃ? こんな大事な人を、私は悲しませたくない!」
紫苑は少し驚いた顔。でも、自分たちの未来を、少しだけ知りたい時間だった。
長生は少し天を見る。次に笑った。
「そこまで、ワシは生きていないと思う。お前らが生きていてくれたら……」
長生が言った瞬間に、紫苑は足で飛んでいた。長生の目の前に来る。いきなり、頬を張り飛ばした。
「お前が死ぬなあ!」
張り倒された長生が驚く。紫苑の速さが想定外だった。さらに、怒り、涙するふたりがもっと想定外だった。
「お前は、ヒナと紫苑の兄じゃ。貴く生まれたヒナギクも、下賤に生まれた紫苑も、お前がいるから生きていきたくなったのじゃ! その私らから、大事な人を奪うな!」
紫苑はまなじりを決して叫ぶ。整った容貌に涙が輝いていた。とんでもなく美しい娘なのだと、長生は気づいた。
不思議な笑いが無意識に出る。ヒナと生きようと決めた瞬間と同じだった。
「うん、死なない。死なないために生きる努力を続けるよ」
長生が言うと、ヒナと紫苑が少しやわらぐ。
「絶対に死ぬな。お前が死んだら、妹ふたりも滅ぶと思え」
ヒナギクは手厳しいが、顔は懇願していた。
「なんか、わかった。ワシがお前らに必要なんやと、少し理解した。お前らのために死んだらアカンのじゃ。お前らのために生きるしかないんじゃな?」
紫苑はまっすぐに長生を見る。両手でほほを包んでくれる。そして、そのまま言う。
「あなたより先に死にたい。あなたがいない世界は、もういらない。あなたを見てるだけの人生、それが紫苑のよくばりな思いです」
なんてキレイな人に、自分は好かれてしまったんだろうと長生は思う。
くやしいけど、今日の紫苑姉にはかなわない。ヒナギクは悲しくなって、長生の手を必死に握る。長生はその手をしっかり握ろうとした。
ふたりのために死のうと思っていた自分がバカに思えてきた。
「ごめん。関長生は長く生きたいと思う。お前らを泣かす人間で終わりたくない。お前らを笑わせて、死にたい」
紫苑がはじけるように笑って、長生を見る。
「うん。これまでみたいにたくさん、笑わせて。いっぱい厳しいことを言って! いっぱいやさしくして! いっぱい、甘えさせて!」
紫苑は涙を流していた。なのに、笑う。美しすぎて、長生は抗せなかった。黙って、ただただ、うなずいた。
やっぱり、今日の紫苑姉にはかなわない。いや、長生が愛する人は紫苑だとヒナギクは感じた。長生がフラフラしているのでなく、紫苑が立派すぎた。でも、負けたくない。ヒナギクは思って、長生の手をただ握った。
山がちな地をさらに進むが、途中からは川を横に見ながら歩く道になる。田畑が広がる場所に出ると、山を背にした位置に大きな館が見える。
「めざす場所であろうな」
ヒナが言うと、長生がうなずく。館というよりも、城に見える。後方に背負う山、前面には川、そういう地形なのだ。
門前で警護の者に低く言う。
「楠木正成殿からの書状をお持ちしています。ほかにもありますが、ここでは……」
長生の緊張感に警護する者が驚く。俊敏に館に走った。少し待つだけで、長生らは中に通される。客間に入れられ、待つ形になる。
「ヒナもここははじめてだな?」
言われてヒナギクはうなずく。
長生はそれを聞いて、先に正成の書状を取次ぎに渡すことにした。実は正成とここの当主は兄妹が婚姻している血縁だった。
正成がうまく説明してくれているだろう。
夕刻になると、館がざわつく。当主か、それに関係する人が戻ったのだ。少しして、取り次ぐ者が言う。
「主が小宴を催したいと申しております。2刻後にでも、お呼びに参ります」
長生はうなずく。ヒナと紫苑も状況はわかった。
3人が広間に通され、犬は庭先にいた。
「おおっ! とうとう、こんな田舎にまで天の声が届くようになったか!」
部下にそう言いながら、武者とも僧ともわからぬ坊主男が廊下を歩いてきた。長生は一瞬見て感じる。とにかく、全身の覇気が強い。実際に強いか弱いかはわからない。だが、気で差し込んでくるだろう。
黙って頭を下げる。それに紫苑も続く。だが、ヒナギクはしない。ヒナの後ろに長生、その横の少し後ろに紫苑、庭にツキという陣形。
男はヒナを見た。長生は後ろから妹の心を支える。負けるな、と頭を下げたまま、気を放つ。ヒナの背がピッと立つ。
「ヒナギク君、とお呼びすればよろしいか?」
坊主がヒナをまっすぐ見る。目を逸らさない。長生は強烈な覇気を感じる。だから、ヒナの背に気を放つ。
ヒナが少し息を吐く。そして、笑った。
「赤松則村、はじめてになってすまん。播磨にこれほどの剛がおるとは知らされていなかった」
ヒナギクは胸を張る。僧形の男が少し驚いた。そして、長生と紫苑、庭の犬までしっかり見る。
「ヒナギク君、おそろしい方ですな。問答次第で私を斬りに来ましたか?」
坊主は物騒なことを言う。だが、ここでヒナは笑ってはいけない。まだ、早い。そう長生は感じる。坊主にわかるように少しだけ首を上にする。床の先に坊主の足が見えた。
刈り取る! そんな気を放った。
あきらかに坊主がゾッとした。その瞬間をヒナは見逃さない。
「斬るほどか、そこまででないか、心を込めて語りたいか、丹波に向かうついでに、それを見に来ただけじゃ」
堂々と言い切る。
坊主は頭を下げた。
「ヒナギク君、この赤松則村を見定めてくだされ。できれば、斬ることなく、お話を頂ければ、末代までの誇りです」
ヒナギクはようやく笑顔をつくった。だが、則村は長生を見る。
「関長生、顔を上げよ。お前、容赦ない武勇やの。若いもんなら、縮み上がるわ」
長生もようやく顔を上げる。赤松則村の顔をしっかり見る。
「誰よりも、手ごわいと感じたもので……」
そう笑う。
則村はその顔も言も気に入った。
「飲むぞ、長生。ヒナ様にお許しをもらえ!」
ヒナはにんまりと笑って返した。




