関長生という実力
「唐物じゃ。あっちの者がそれで何を食うのか飲むのかは知らん。じゃが、酒を注ぐにちょうどよい。勝手にそう使うことにした」
はじめて、正成は長生に笑った。
「たしかに、ちょうどいい。少し甘いものでも入れて、妹らにやるにも向いている。ただ、犬の飯皿には足りんですな」
長生も笑って返した。ふたりが同時に犬を見たが、その犬は、メシの器をガッついている。
「関羽の武勇は、本物のようやな」
長生に注がれた酒を飲み、正成は笑う。
「さあ、どうですかな?」
長生も飲む。
「ヒナギク様は清いな。武勇の使い方をはじめて教わった気さえする。弱き者を守るのが武。強き者に与せば、すなわち暴であると遠い昔に言われた」
先に正成が言った。長生はしんみりする。
「棄民の集団を前に、あの弱き者にも、お前の力を分けてやれと、私は言われましたよ」
長生の言葉に、正成は小さく笑う。
「何のために、刀槍振り回して生きてきたのかがようやくわかった。人の心清ければ、少しずつでも世はよくなっていく。ワシはその中で刀を振り回す役じゃ」
正成の言葉が、長生には心地よく響いた。
「心清らかな人は卑賎問わずに多くおります。ただし、私は武人です。そこまで美しくあれぬでしょう。ですから、心清らかな戦士として、ただ守り、死ねばいい」
長生は返した。
正成は下を向く。腕を長生の背中に回す。大きな長生の肩には届かない。
「ワシの主君はヒナ様じゃ。ワシはお前より先に死ぬ。お前が守れ。幸せにしてやれ」
驚いて長生は正成を見る。
「約束じゃ。ヒナ様を幸せにしろ」
黙って、うなずくしかない。
妙に意気投合している楠木正成と関長生をヒナギクは見ていた。
「正成~、お前、自分を軍師孔明と思うておるやろ。じゃが、私には左将軍関羽がおる。これを足利勢に見せびらかしたぞ」
正成はヒナに正対した。
「見事な軍略かと存じます。さらに、丹波、播磨へと行脚いただきますれば、世はよくなるはず」
ヒナギクは満足そうにうなずいた。でも、正成は続ける。
「ただし、最後にヒナ様の関羽将軍をお貸し願いたい。すべてを長生殿の豪剣で変えましょう」
驚いて、長生が正成を見た。ヒナギクと紫苑が、長生を見る。
「関羽の切っ先走るときこそ、幕府討滅のときとなるでしょう」
やられた、とヒナギクは思う。
正成はすべて知っていたのだろう。決して敵ではない。ヒナギクを守ろうとする側の武人だった。
だが、これから大戦をするつもりだった。
そのとき、何がなんでも、関長生の豪剣がほしくなった。
この男が決めたことは、実行される。ヒナギクは恐怖を感じた。
「長生、失敗した。逃げよう」
自分がバカだったとヒナギクは思う。これから、時代は動乱期に入る。初期は自分のような権威の端につながる人間が重宝されるだろう。それがまさに今だ。
でもすぐに、そんなものは大きな意味を持たなくなる。
次に必要なのは何だ?
実力だ。他を圧倒する兵力、富の量、兵器の鋭さ、いろいろある。
そして、関長生という男は、その実力そのものだった。圧倒的な武勇を誇る偉丈夫なのだ。だからこそ、自分ごときが、急に勢いをつけた。
足利高氏も新田義貞も心を動かした。力なき石動力さえ生き抜くために長生を引き留めようとした。足利高経は長生を雇う気になった。
楠木正成の慧眼がそれを見過ごすはずがない。正成にとって、関長生はここ一番の飛将であり、戦局を根底から変える関羽の武。
必要なのは、ヒナギクではない。関長生。
そして、それは私の大切な人だ。
与えられた客間でヒナギクはただ焦る。
「紫苑姉も、早く荷物をまとめろ。もう、いかん。すべてを置いて……」
長生がヒナギクの手を握った。もう一方の手を添える。
そして、やさしく笑う。
「ヒナ、やるべきことが具体的になった。丹波と播磨を回り、尾張、三河を含めたどこかにお前を隠す。その間、ワシは正成殿の客将となろう。回天の業をお手伝いしよう」
話す長生に、ヒナは首を振る。
「アカン、そんなことしたら、長生が死んでしまう!」
それを長生が笑う。やさしくヒナギクを見る。
「ワシは大きな武勲を立てる。そして、正成殿に頼んで、ひとつだけ褒美をもらう。それがヒナじゃ」
無理を長生は言っている。でも、ほんの少しだけ、できる気もヒナはする。
「紫苑とツキと一緒に、東へ帰ろう。月山の里で、石動力らが待ってくれておる」
長生の言う道は、都合のいい絵空事。そこまでの男を乱世が放っておいてくれるわけがない。
「ムリじゃ。そんなこと、許す人間たちではない」
ヒナギクが言うと、長生はもう一度笑う。手は離さない。
「じゃったら、ワシは剣を抜く。後ろは紫苑に守ってもらう。ツキはワシらを害するすべてに吠える。斬りまくって、まかり通る」
犬がヒナを見ていた。紫苑もうなずく。
そうか、やっぱり死ぬのだろう。でも、その死に方はいい。何もない人生ではない。自分のすべてと一緒に果てるのだ。何も後悔はない。
「ごめんな、紫苑姉。ごめんな、ツキ。ホンマにごめん、長生。私はあなたたちと一緒なら、それで幸せ」
長生がようやくヒナの手を離す。そのまま、頭をクシャクシャとする。犬が尻尾を振って見ていた。紫苑も笑ってうなずいてくれる。




