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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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楠木兵衛尉正成

 大和(やまと)盆地に入るが、南都の方へは向かわない。もっと南へと歩き、葛城(かつらぎ)山系の山に踏み込む。

 武装した僧兵と何度かすれ違う。長生(ながたか)は真後ろにヒナギクを置き、通り過ぎる。ヒナギクの横にはツキ。後ろには紫苑(しおん)がいる。

 何か感じれば、ツキの動きが変わるはずだった。

 峠近くに至る。このまま下れば、和泉(いずみ)摂津(せっつ)の港を見下ろす形になる。

 ヒナギクが脇道を指さす。長生がうなずき、方角を変える。少し歩くと、(さく)が見えた。

「ヒナギクが来たと、(しゅう)に伝えよ」

 詰問しようとやってきた武者に、ヒナは威圧感でそう返す。かなりの時間を待った後、柵の中に通される。山をどんどん歩く。


 多くの武者らしき者や農民が、荷物を運び続けていた。合戦前の景色と長生は思う。

 屋敷から、中背のやせた男が出てきた。長生を最初に見た。目が合ったので、長生はそのまま目を切らない。やせた男が笑う。次にヒナギクを見た。

「ヒナ様、ご無沙汰です。急な御用ですか?」

 そう声をかける。ヒナギクは容赦ない声で応じる。

兵衛尉(ひょうえのじょう)、別に寄ったわけではない。三河(みかわ)尾張(おわり)を通り、丹波(たんば)へ向かう途上に通りすがっただけよ」

 ヒナギクが応じると、兵衛尉の目が鋭くなる。でも、それは一瞬だった。

「まあ、通り過ぎることもありますまい。まずは、屋敷で落ち着いてくだされ」

 兵衛尉の言葉にヒナギクがうなずき、屋敷に向かう。

 でも、長生の背に言葉がかかる。

関長生(せきのながたか)、お主は、ここに残れ」

 名乗ってもいないのに、名を呼ばれた。素性がバレている。長生はいつでも剣を抜ける準備をする。そして、返す。

「姫君を守護する任がございます故、御免!」

 突っぱねる。兵衛尉は、また笑った。

「お前ほどの武者がついたか」

 死地を感じた。長生は戦場の殺気を発し応じる。それでどうなる場所でもないとは、わかっていた。


 足利高経(あしかがたかつね)の屋敷であっても、ここまでの緊張はなかった。あくまで、平和の中にあったからだ。だが、ここは違う。すでに合戦場の殺気が満ちている。

 兵衛尉はヒナギク一行を切り離すこともしなかった。離れに誘い。ツキの寝床さえも用意してくれた。でも、殺気は強い。

「主が小宴を催したいと申しておりまする」

 大柄な武者がそう呼びにきた。

「行く。ただし、全部で行くぞ。帯刀も理解しろ」

 ヒナギクは一歩も引かない。

「もちろん」

 武者は応じた。誘われるまま、廊下を進んだ。


 長生をまっすぐ見るのは、兵衛尉と呼ばれた男だった。

「関長生、なぜ、ヒナギク君を守っておる?」

 長生は目を切らない。頭も下げない。

「守護すると、決めたが上のこと」

 まっすぐに男を見る。

「なぜ、決めた?」

 兵衛尉はしつこい。長生は隠す気もなくなる。

「弱く、清いと見定めた」

 兵衛尉の顔が変わった。長生をまじまじと見る。

「清いと?」

 長生は言葉で返さない。ただ、うなずく。次に言葉を発するのは、お前の番である兵衛尉。そんな気分になる。


「なるほどな。ヒナ様は清いか……」

 長生は動かない。早く、続きを言えと目で促す。

「どこが、清いと思うた?」

 兵衛尉が問う。長生は微動だにしない。次は、お前が話す番だ。ごまかすな。そういう顔をする。ただし、殺気も発しない。不動を決め込む。

「関長生、強いのう」

 さらに兵衛尉。長生はピクリとも動かなかった。

 紫苑は恐ろしい神経戦であると理解した。長生が兵衛尉の気勢に負けて、ヘラヘラと笑ったり、言葉を返したりすれば、そこで負けだ。力関係は決まる。だから、長生は断固として引かない。

 息苦しいと感じた。兵衛尉も表情を変えないのだ。

 すると、庭先にいたツキが勝手に廊下に上がった。

 そのまま、ここにヒナギクらを誘った大柄な武将の前に座る。

「ワフッ!」

 小さく吠えて、尻尾を振りまくる。口からは無限のよだれが垂れ、床にボタボタと落ちる。

 見ていた兵衛尉と長生が、同時に笑った。

 その隙を、ヒナギクが逃さない。

正成(まさしげ)、お前がちんたらしよるから、私の右将軍が腹を空かしてしもうた。詫びろ」

 言い放った。笑ってしまった兵衛尉、ヒナが正成と呼んだ男が頭を下げた。

「申し訳ありません。関長生殿の真贋(しんがん)を確かめたくて……」

 正成の言葉をヒナは鋭く遮る。

「剣でお前は勝てん。勝ちたきゃ、知恵を絞れ。楠木正成(くすのきまさしげ)

 その言葉に正成は頭を下げた。


 ツキのよだれが尋常ではないため、そのまま、膳が運ばれてくる。

「正成、ツキに毒を盛ったら、瞬時に長生の剣がお前を両断するからの」

 ヒナギクはさらに厳しい。

「お前は見抜いたのであろう。長生の豪剣を、それを生かす瞬間をつくるツキの機転を。だからと言って、ワシを切ろうとしても、紫苑がおる。面倒極まりないと」

 鋭すぎるヒナギクの洞察に、正成が困る。

「たしかに、殺せるかを一度考えました。かなりの確率で己が死ぬと見定めました」

 物騒な話をしながら、小宴となる。膳には摂津、和泉方面からの海の幸と、大和の山の幸が雑多に盛られていた。贅沢な夜だ。

「関長生、楠木(くすのき)兵衛尉(ひょうえのじょう)正成(まさしげ)じゃ。ワシが先に飲む。死ななければ、お前も飲め」

 瓶子(へいし)から椀に注いだ酒を一口飲み、長生に渡す。

 長生は正成が実際に飲んだかを確認する。

「飲んでない。やり直せ」

 長生は椀を正成に返す。正成はあきらめる。

「鋭いな。よう見ておるわ」

 正成が言うと、長生が応じる。

「今更、毒もないのに、芝居を続ける。畿内最強の悪党とは、おかしな人じゃ」

 今度は正成も酒を飲む。受け取った椀の酒を、長生はグッとあおった。

「うまいですな」

 そう言う長生を、正成はじっと見ている。長生は無視して、酒の入っていた椀を眺めている。


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