生きるのは楽しい
歩いて周囲を見ながら、長生は急に止まる。
「ここでええか!」
火を勝手に消した。いきなり、闇だった。何も見えない。
「地面なんか見んでいい。ほら、天の川じゃ」
長生が夜空を指さす。山の斜面に座る自分たちの前に、天から地へ、淡い光が突っ走っていた。
「美しい、と、ワシは思う」
長生はそれだけ言う。
こんなのは、毎日夜空を見れば、そこにあった。でも、それは美しいものらしい。
紫苑は改めて見てみる。少し時間が過ぎる。淡い光は、小さな星だったと気づく。
「生きる人だけ星があるともいう。ワシの星、紫苑の星はどれかの?」
長生はそんなことを言って笑う。暗くて、顔は見えないけど、雰囲気が伝わるのだ。
また、星を見る。長生の星なんか、どうせ川から離れているのにえらく輝くに決まっている。そんな星を見つける。横にも、大きな星がある。
ああ、あれがヒナなんだ、と思う。でも、近くにそこそこ見える星がある。
「あの星くらい、長生の近くで、光れればうれしいな」
紫苑はそんな気分になる。今日の夕方、殺そうとしたけど、大好きな人だった。
「紫苑もな、いっぱいに光れ」
長生の声はやさしかった。やさしすぎる。涙が出る。
「柿、干したやつを持ってきた。お食べ。おいしいよ」
紫苑はもらった干し柿をかじって、ただ食う。どうしていいのか、わからんからだ。
長生も干し柿をかじって、空を見ていた。でも、急に言う。
「紫苑、お前、いくつ?」
そう言えば、齢を聞いたことさえなかった。変な関係だった。
干し柿を噛みながら、紫苑は言う。
「18」
聞いて、長生が柿を吹く。驚いたらしい。
「じ、18? ヒナのひとつ上なだけ?」
紫苑も驚く。ヒナはもう少し下だと思っていたのだ。そして、聞く。
「な、長生は?」
その問いに、長生が少しうろたえて応じた。
「に、22」
また、驚く。長生の剣技の冴えを見ていると、もっと上にさえ感じていた。でも、たしかに、見た目はそんな感じなのだ。
笑ってしまった。長生も笑ったみたい。
「若いんだね、私たち」
何も見えない闇なのに、星屑の明かりだけが、愛する人の横顔を少し浮かべる。
「そんなに若いのに、なぜに曲がった?」
長生が聞いてくれた。ずっと誰かに言いたかったんだ。それをこの人に言おう。それがいい。紫苑は思った。
「背が伸びたの」
「はあ?」
紫苑の答えに、意味がわからない長生が返す。
「急に背が伸びたんだよ。10歳を少し超えたころ。大人っぽいとか、いい娘だとか言われて、なんか、そうしないといけない感じになってね」
長生は驚き、呆れた。
「先に伸びた上背に合わせて、大人になろうとしました。心が背伸びして、追いつかず、こんな娘になりました」
紫苑は下を向く。でも、言いたいことは言えた。それでいい。
長生は少し考える。そして、笑う。大きな手で紫苑の頭をグリグリした。
「小さな小さな紫苑、今日はお兄やんに甘えていいからな。お兄やんの横でおやすみ」
なんというか、自分がこの人を好きになった理由がわかる。
ずっと、誰かに甘えてみたかった。でも、そんなの変だった。甘えが許される子に見られたことがなかったからだ。大人びて、期待されて、逃げ道を失い、曲がった。
「甘えていいの?」
紫苑が聞くと、長生が大笑いする。
「小さな小さな美しい妹がふたりもいる。どちらも目に入れても痛くない。ワシはそのふたりのために生きる。ワシは先に死ぬ。妹らが生きてくれれば、それは本望」
この人はいつも先に覚悟を決めてしまう。
「お兄やんは大好きな人、生きてね。私はいなくなってもいい。会えただけでも、幸せなんだよ」
紫苑はこの夜が、忘れられないだろう。生きていて、最高に幸せを感じた。これ以上はもらえない。
なのに、長生は立った。剣舞の最後のように両腕を天に広げた。天の川が彼の大きな姿の分だけ黒い。星が見えない。兄の声だけが響く。
「紫苑、ワシをバカにするな。何のために剣技を磨いた? 全部、お前らのためじゃったとわかる。ワシはそれに殉じる。お前とヒナのためだけに剣を振ろう。人を信じろ。ワシくらいは、信じろ!」
また、泣かされた。もう、どうでもいいや。全部、信じてるよ。そして、もうひとつだけ甘えていい? 好きでいて、いい?
紫苑は思う。自分という人間ほど、豊かな生を歩いている人はいない気がする。
昨日、小さな娘の気分で、兄の横で寝た。頭をいっぱいにクシャクシャしてくれて、肩を抱いてもらった。安心して、いっぱい寝てしまった。
自分は兄が庇護してくれる小さな娘だった。起きると、いろいろ文句を言うが、結局、甘えているのだった。
妹はもっと小さい。兄に甘えるしかない。だから、私が守ってあげよう。この兄妹は、それでうまくいく。犬は意地汚いが、まあ、仕方ない。とても立派なところもある。
「紫苑、足痛い。後で揉んでくれ」
その兄が私に甘える。うれしいけど、定型通りに突っぱねる。
「みんな歩いてます。ツキの足を洗い、ヒナの足を労わり、余裕があれば、兄者の汚い足も見てみましょう」
ヒナが言う。
「それでは、姉様だけが不憫じゃ。私が姉様の足を揉んでやろう。兄様はツキにうまいエサをやればよい」
この妹も好きだった。天真爛漫、昼ならば太陽、夜なら満月。そんな輝く資質しか感じない。私の周りは犬も含め、光が強い。
「紫苑も小さな娘じゃったな。よいよい。ワシの足はワシが揉む。今日のおいしいものでも考えとれ」
長生が大きな手で上から頭をクシャクシャとなでてくれる。自分が子どものころからほしかったのは、これなんだと気づく。
「ごめん、小さくて……」
生まれてはじめての言葉と一緒に、紫苑は長生を見上げた。
「しっかりお食べ。もっともっと、大きく育て」
長生がどこまでもやさしい人なのだとわかる。横で、関係ない犬がやる気満々。
(食べますよ! たくさんくだされ!)
紫苑は笑う。楽しい。生きていることがとことん楽しい!




