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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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光なき者を導く

 庭先で大きな声で笑う娘を、服部(はっとり)は幸せな顔で見ていた。

「ご息女は、光を?」

 前に座った長生(ながたか)が言う。

「美しゅう生まれたのになあ。小さなころの病でな。あんなに楽しそうなのは、ほんに久しぶりに見る」

 瓶子(へいし)の酒を長生に注ぎ、自分はあおる。

「犬の中には、ツキのように人を導く役をしてくれる者がいます。何度も私は犬連れの光なき人を見たことがある。寄り添い、ちゃんと生きている。閉じてしまった心を犬が開くこともある」

 長生は言ってやった。

「かわいそうで、不安で、家に閉じ込めてばかりにした。なのに、犬であんなに変わるんですなあ。私は世間を知らない」

 親としての悔恨なのだ。長生にもヒナにもわからない。でも、助けてやりたいと思う。

「ツキのような姿形の犬は、陽気で人になつきやすい。知恵もある。生まれたての、小さなのを育ててやればどうです? 犬はすぐに大きくなる。サクラ様と一蓮托生の存在になる。ただ、犬の寿命は10年程度、上手に跡継ぎを育てる必要はある」

 服部は長生の言葉をうなずいて聞く。振り返って、紙と筆を持ってこさせる。

「すまん、長生殿。もう一度、言うてくれ。犬の形が、ツキ様みたいなのがいいのか?」

 長生は笑って、もう少し詳しく教える。

 書き終わった服部にヒナギクは言う。

「サクラは光を失っても、ツキの光をつかんだぞ。陽光が届かなくても、月光が照らす道を歩けることもある。服部右衛門(うえもん)太郎、クソ悪党はやめい」

 服部右衛門太郎はヒナギクの方をまっすぐ見る。頭を下げた。

「右衛門太郎の心の影を照らしていただきました。この御恩には、いずれ必ず」

 ヒナギクが笑う。

「そんなにたいそうなことはしてない。そうじゃ、柿はないか? みんなで煮て食おう。サクラも紫苑(しおん)も喜ぶじゃろ。ツキは、まあ、肉でもやっとけばいい」

 右衛門太郎と長生が笑った。

 

「ツキを残してほしい、とか思わないの?」

 紫苑は昨日からずっとサクラと一緒だった。ヒナと長生が服部右衛門太郎の相手をする役割になったので、自分はそれがいいと思った。

 いや、そうでもない。目の見えぬこの少女に、ついていてやりたい気持ちが大きかったのだ。

「私ね、ツキといっぱい話したの」

 サクラは紫苑の方に顔を向けた。瞳に光がないので、目が合うことはない。でも、とてもキレイな顔だった。

「ツキはね、ヒナ様と長生様、紫苑様のお世話をする役割らしいです。いつもいつもケンカをするので、ツキがいないとダメなのだそうです。そんな大事なお役目があるのですから、私は引き留められません」

 紫苑は変な顔になった。図星だ。

「でもね、ツキは約束してくれたのです。私はいずれ、みなさんと行くそうです。私が幸せに生きて、誰かのお役にも立てる場所だそうです。とても、楽しみになりました」

 ビックリする。サクラは、なぜか月山(つきやま)の里のことを知っているのだ。

「ど、どうして、そんなことわかるの?」

 紫苑は聞いてしまう。

 サクラはニッコリと笑う。そのけがれなき美しさに紫苑は圧倒される。

「私は目が見えません。でも、長く見えないと、心の声が聞こえるようになりました。父は私を心配してばかり。ヒナ様は心が張り裂けそうに生きておられ、長生様は必死を覚悟されています。紫苑様はそんな長生様を追い、そして死ぬつもりです。でもね、ツキが言ってます。みんな帰る場所がある。私も誘ってもらいました。それはそれは、豊かな土地だと」

 紫苑の目から、勝手に涙があふれる。自分たちが心に秘めることなんか、サクラとツキには丸見えなのだ。

 気がつくと、紫苑はサクラを抱いていた。なのに、サクラの方がすべてを感じ、言う。

「紫苑様、つらかったでしょう。私もそうです。でも、なんだか、楽しくなってきました。犬をもらってきて、育てます。私の目になってもらうんです。かわりに、精いっぱいの慈しみをあげます。一緒に生きて、そして、死にます。そこが、月山の里であれば、なおいい」

 涙が止まらない。

「一緒に行こうね。月山の里へ」

 サクラがうなずいた。紫苑は不思議だった。自分だけで精いっぱいの生き方をしてきた。なのに、今はこんなに弱き他人が愛おしい。失いたくない。


「長生殿、ご健勝に」

 別れ際に、服部右衛門太郎はそう言う。でも、そこに幕府の命に従わず生きる悪党(あくとう)らしき反骨心が首をもたげる。

関長生(せきのながたか)、なんぼのもんか!)

 不意に近くにあった棒を手にし、長生に襲いかかる。

 気づいていたサクラが小さく笑う。長生は後方に飛んで、避けるとわかったからだ。

「ほおー、棒切れくらい交わしとこうということか。服部殿」

 余裕の面持ちで、長生は足元の短い棒切れを拾う。

 明らかに短いので、ヒナと紫苑が、別の棒切れを投げようかと考える。

「いらんぞ。これで十分!」

 言い終わる前に長生は飛んでいた。右衛門太郎にとって、十分に打てる位置。

「せぇっ!」

 右衛門太郎は棒を振った。でも、長生は避けない。短い棒を振る。先端で、右衛門太郎の棒をはじき返す。

「えっ!」

 ヒジが上がった右衛門太郎の喉元に、棒切れの先端があった。

「短刀なら、即死。太刀なら、一撃目で両腕が斬り飛ばされとるな」

 ヒナギクが低く言う。

 呆然とする右衛門太郎。

「こ、ここまで強い?」

「言うたやろ。関羽の豪剣じゃ。お前ではかなわん。負けたんやから、ヒナギクの命に従え。サクラ、お前からも言うておけ。お前の幸福には、長生とツキ、紫苑が必要であると。オヤジは黙って従っとけと!」

 サクラがニッコリ笑う。

「大丈夫です。わからんようなら、私が父を討ちます」

 唖然とする右衛門太郎。

 サクラが叫ぶ。

「ツキ、戻ってくるのを待ってるよ。私の幸を拓く使者。いずれ、一緒に楽しく生きよう!」

 ツキがうれしそうにサクラを見る。尻尾が大きく揺れた。

 

「お前は目の見えぬ人の役に立っておったのか……」

 歩きながら、長生は横を歩いているツキに言う。

(まあ、そういうことですわ)

 ツキも長生を見る。

「戻る必要はないのか?」

 言っても、言葉で返ってくるわけはない。でも、なんとなく、長生は聞きたかったのだ。

 ツキは長生の顔をじっと見た。

(もう、過ぎたことです)

 この犬にとって、過ぎ去った時間なのかもしれない。

 すると、ツキは少し駆けて、みなの前に出た。振り返ってこっちを見ている。尻尾が大きく揺れている。

「今、お前が導くべき光なき者は、哀れな娘ふたりと、何も持たなかったつまらぬ男、ということか……」

 長生がつぶやく。

「ワフッ」

 ツキが小さく吠えて、先を歩いていく。



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