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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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やさしいお犬

 山を下っていくと、いくつかの川が流れる小さな平地が見える。ここが伊賀だ。尾張(おわり)から大和(やまと)をめざす間にあり、伊勢にも通じる。交通の要衝でもある。

 まだ、昼にもなっていない時間なので、この先どうするかはゆっくりと決められる。

「ねえ、いい柿があるよ」

 紫苑(しおん)が店先で売られる熟れた柿を見て、うれしそうに(ながたか)生を見る。

 だが、長生が気づく。ツキが虚空に鼻をきかせ、勝手に歩きだす。

「ツキ、どこ行く?」

 ヒナも気づき、ついていく。ツキは一度振り返った。いつもの意地汚い顔ではない。

 ついてこい、というような顔で、そのまま歩く。長生らも足早に歩く。


 民家の門前に腰掛(こしかけ)を置いて座る子どもがいた。ツキはその方向に駆けた。

 子の目の前に立つ。尻尾を振って、見ている。

「ワフッ」

 小さく鳴く。子どもが気づいた。少女のようだ。

「わあ、お犬? どんな顔? さわっていい?」

 少女が言うと、ツキは少女のヒザに首を置く。そして、目を閉じた。

「さわって、いいのね?」

 少女は言う。恐る恐る手を伸ばす。手の位置が探るようだった。

 眼の光を失っているのだと、長生は理解した。紫苑とヒナは驚いていた。

 少女はツキの頭を見つけた。形や大きさを確かめようと、その顔を無造作に触る。でも、ツキは嫌がらない。クシャクシャになっても、それを受けている。

「怒らないのね? やさしいお犬。温かいわあ」

 少女はうれしそうだった。

 ヒナギクは何も言えなかった。ツキという犬が、なぜ、あんなに人の心や言葉を理解するのか、ようやくわかったからだ。

 長生も驚いていた。そして、口にする。

「ツキ、お前って、光を失った人を導く犬だったのか?」

 ツキが振り向いた。うれしそうな顔。尻尾がずっと揺れている。

 少女が気づいた。

「このお犬、ツキ、って言うんですね? もしかして、真っ白?」

 少女の問いにヒナが笑ってあげる。

「うん、お月様みたいに真っ白なの。だから、名前はツキ。ついでに、ツキも呼んでくれるんよ。ただし、食い物に意地汚いけど」

 少女は笑った。ツキをずっと触ってる。

「じゃあ、ごちそうしたら、私もツキをいただける?」

 少女は無邪気だった。瞳は開いているのに、光はなかった。でも、ツキはうれしそうに少女を見ている。ダラダラとよだれを垂らすこともない。


 すると、奥からひとりの男が出てくる。

「サクラ、どうした? 楽しそうやの」

 そして、長生らと目を合わす。そして、ヒナギクを見た。

「ひ、ヒナ様?」

 ヒナギクは顔を上げて男を見た。

「なんや、服部(はっとり)か。お前の娘か?」

 男が驚き、うなずき、あわてた。


 服部という男の屋敷に入っていた。庭ではツキと少女がずっと遊んでいる。

「どうして、ヒナ様が急に?」

 男が言う。

「別にお前に会いに来たわけではない。伊賀を通りすがりにするところ、犬が勝手に娘と遊ぼうとしたのじゃ」

 ヒナギクは機嫌悪そうに返す。そして、長生を見る。

「この者を信じてはいかん。クソ悪党じゃ。長生、あやしい動きを少しでもした瞬間に斬れ。服部も強いが、長生にはかなわん」

 その服部が長生をちらりと見る。長生はあえて殺気を消す。わかりにくくなったので、服部は長生をじっくり見つめる。大太刀を見た。長生の背丈と腕の長さ、拳の力感を見る。

 よくて五分、と服部は見定める。とんでもない豪勇に感じる。

「服部、長生を見定めたか? やめとけ。聞いたことないか? 上野(こうずけ)、武蔵で関羽の武、と呼ばれとる男じゃ。ヒナギクの左将軍じゃ」

 服部は頭を下げる。

「せっかくのご縁、一晩でも、御逗留願えませぬか?」

 ヒナギクはさらにかぶせる。

「ヒナギクの家臣でもある犬のツキが、お前の娘になついた。だから、娘に免じて、今日はここで過ごす。余計な事したら、私の左将軍が青龍偃月刀(えんげつとう)でお前の首をはねるぞ」

 ヒナが怒り通した。仕方ないので、長生は服部に合図を送る。

(姫様のご機嫌を損なわぬように)

 服部は理解して返す。

(娘の前じゃ、助けてくだされ)

 長生が笑う。


「ツキ、ツキ! お肉が焼けたぞ。伊賀ではこっそりと牛も食うのじゃ。それはそれはおいいしい。一緒に食べてくれ」

 サクラがツキに焼いた獣肉の串を持って言う。ツキは壮絶なよだれを垂らしていたが、彼女には見えていない。よかったとさえ紫苑は思う。

「サクラちゃん、そのままやると、ツキが串で喉を貫くかもしれぬ。器に盛った方がよい」

 紫苑の言にサクラが喜ぶ。

「そうか! そうですね。器、器」

 紫苑が器を手に渡してやる。サクラは熱いのも気にせず、串から器にそれを移す。

「ツキ、どうぞ。おいしいよ」

 言われた瞬間に、ツキは器に突進した。サクラの手がツキのよだれでベトベトになる。

 サクラは、その変な感触に驚く。

「ああ、手でお肉を触ったから、こんなにベタベタになりましたぁ」

 そう笑う。紫苑は手桶を持ってきて、彼女の手を洗ってあげる。

「紫苑様もおやさしい。ツキと同じですねえ」

 紫苑は何も言えない。よだれのことも、触れてはいけない気がする。



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