梨は幸せ
歩いては川の渡しを待ち、さらに野営して過ごす生活が何日か続く。
「紫苑姉、梨があるぞ。兄様に買ってもらおう」
渡しの宿ごとに、ヒナギクはそんなことを言う。長生は笑って、銭を妹らに渡す。
もう、本当の姉妹のように見えてくる。
そして、毎日、紫苑は楽しみだ。今晩も、驚いていた。
「お、おいしいっ! みずみずしい! 甘い~」
シャクシャクと梨を噛みながら、彼女は叫ぶ。
これは犬が食うてもよいだろうと、ヒナギクはツキにもあげていた。
紫苑と同じようにシャクシャクしながら、犬は福々しい顔。
(なんか、のどごしがよろしいな)
口を動かし、歯ごたえを楽しんでいる。
ただ、長生だけは違うことをしていた。匕首で梨の皮をむき、切り刻み、小さな鉄椀に放り込んで火にかける。
「兄者は何しておる?」
紫苑はいぶかしむ。
「お前は好きなだけ食え。ワシはふたつほどもらう」
そう言って、さらに梨を刻み、放り込む。
「こんなにおいしいもんを、なんという、もったいない……」
紫苑はまだシャクシャクしていた。
だが、少しすると、何とも言えない甘い香りが漂ってきた。ヒナギクも気づく。
「ヒナ、餅、ふたつ残ってるやろ。焼け」
ヒナは長生が餅のことを忘れていると思っていた。だから、昨日はこっそりと紫苑と食べたのだ。そして、たしかに残りはふたつ。
悪いことを兄にバレていた気がしてくる。兄に怒られる。
「もう、餅は固いからの。この匕首に刺してやる、水をつけてから、やわらかく焼け」
ヒナと紫苑に餅を刺した匕首をそれぞれ渡す。兄にそんな気はなくとも、使っているのは暗器。ふたりが、兄を恐れながら餅を火に向ける。チラチラと顔を見るが、長生は怒っているようには見えない。
「も、餅はおいしいもんね」
ヒナはたまらず、意味のないことを言う。紫苑は、無言でうなずく。
長生はそんなことは気にしない。小さな椀を棒でかき混ぜる。梨がトロトロになっている。周囲に、とても甘い香りが満ちる。
「あ、兄者、餅、焼けたみたい」
紫苑が恐る恐る言う。長生は笑って応じる。
「飴のときと同じように、広げや」
紫苑もヒナも言われたとおりにする。そこに、長生は煮えた梨をトロトロと落とす。
「上手に包みなさい。下からこぼれるから、しっかりとフタをしなさい。熱いから、火傷しないよう、気をつけてお食べなさい」
ニッコリする長生。
紫苑とヒナが、うれしそうに目を合わせた。言われたようにする。熱い熱いと言いながら、包んで、形にする。一緒に口に運ぶ。
紫苑もヒナも驚いていた。
ふたりが顔を合わせてニコニコ笑う。
「甘酸っぱい。ホカホカする。たまらん。これ、好き!」
「ああ、飴とは違う豊かさ、梨の香り。温かい、やさしい、甘い!」
長生も煮えた梨を口にしてみた。いい味だった。
「どうじゃ? 姉がいて、妹がいる生活は? 兄だけよりも、何倍も楽しかろ?」
紫苑とヒナが餅を咀嚼しながら、うんうんとうなずく。
「特に、こういう甘い菓子は女子同士の方が通じやすい。お前らがホンマの姉妹のように見えてなあ、ちょっと、食わせてやりとうなった」
長生はふたりに笑う。
「あ、兄者、これは飴とか入れたのか?」
紫苑が食いついてきた。
「入れてない。入れるとさらに甘いが、贅沢じゃ。果物はこうして煮るだけで、甘くなるもんじゃ」
ヒナも目を輝かせていた。
「柿とか桃は?」
「どっちも、えらい甘くなる。見つけたら、ふたりでやってみ。おいしいものは、あちこちにある。ワシらは面倒でやらんだけ」
長生が答える。
「紫苑姉、今度、桃でやろう。絶対、おいしいぞ」
「うん、柿でもやろう。こんな幸せ、知らんかった。兄者は物知りじゃ! エライ。女子の幸せを知っておる。立派なお人じゃ」
なぜか、これまででいちばん褒められている。
「そんなに、たいしたことではない」
長生は応じたが、紫苑が気づく。
「ああっ! なんで、里で教えてくれんかった?」
今度は怒られる。長生が困る。すると、ヒナが助け舟。
「姉様、里に果物、あったか?」
紫苑が考える。なかったことに気づく。
「柿でもあれば、教えてやりたかった。でも、まだ青かった。ほかに伝えるべきことが多すぎた。紫苑、お前が教えたれ。子どもらが喜ぶぞ」
紫苑はうなずく。同時に、自分が今、いかに幸せな状況かを知る。
今まで、今日は食えるか食えないか、明日を生きるために、何を奪うかを考えていた。なのに、ふたりに出会ってから、多くを学ばせてもらった。生きることは幸せだと知った。
それだけではない。餅を食い、飴に驚き、今、果実を煮つけることを知った。そこには、兄と妹がいた。家族のような人。いや、生まれてはじめての本当の家族だ。
いつも、そう感じると泣いてしまう。だから、今日は泣かない。
「ヒナ、火が使えるときは、常に何かを煮てみよう。不味くてもいい。おいしいのを見つけて、里に帰ろう。子どもらを驚かせたい」
ヒナはうれしい。
「そうしよう。明日は道すがら果実を探そう。煮るのじゃから、多少、形が悪くてもいいはずじゃろ、兄様」
長生は笑う。
「そうじゃ。どうせ煮る。形は問わん。むしろ、熟してグズグズに甘いのがよい。ワシが教えたのはきっかけだけ。お前らが、答えを見つければいい」
紫苑は喜ぶ。今日もまた、生きていく理由が増えたから。




