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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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ヒナギクと紫苑

紫苑姉(しおんねえ)、兄様が寝てもうた。いつもやさしい人じゃ。今日は、ゆっくりと休んでもらおうか?」

「ヒナ、兄者は私とお前のケンカに困っておるみたいじゃ。ケンカはやめよう。兄者が起きたとき、私らは、兄者が大好きな仲良き姉妹になろう」

 ふたりで笑う。なんとなく、軒下に出る。やはり、雨になった。

「ツキ、兄様が寝てしまった。仕方ない。ずっと、私らを守ってくれたからな。戦士に必要なのは休息じゃ」

 ヒナが言うと、ツキは近くによってくる。雨なので、身体と足を拭いてやり、廊下にあげてやる。ツキはヒナギクのヒザに頭を置く。互いの体温が心地いい。

 紫苑も横に座る。

「最後にもう一度、この呼び方をします」

 紫苑は雨空を見ながら言う。

「ヒナギク君、あなた様の思い人は、強くやさしく、心豊か。私は生まれてはじめて、恋をしてしまいました。ご迷惑はおかけしません。ただ、こぼれるやさしさに、少し触れていたいのです」

 言葉の後、雨音だけが残る。

「私もね、生まれてはじめて、人を好きになったの。仕方ないよね。あんなにやさしいもん。あなたがそうなったのも、わかるよ」

 ヒナギクは犬をなでていた。

「大丈夫よ。たぶん。長生のやさしい心は、ツキのよだれみたいにダラダラと垂れ流しだから、私もあなたも、うんざりするくらいだと思うよ」

 そう言う。ツキが変な顔でヒナと紫苑を見る。

 紫苑が急に大笑いする。腹を抱えて笑う。

「ヒナ、それおかしすぎ! ツキのよだれ思い出したら、もう、笑いが止まらん。無限に垂れてくるあれ、何?」

 ツキはさらに変な顔になる。

(なんか私、おもしろいことしましたか?)

 ヒナも大笑いする。

「お前のよだれと、長生のやさしさは、一緒じゃ!」

 ツキはずっと変な顔で困っていた。


「兄者、起きるぞ」

 長生はヒナと紫苑の声で目覚めた。疲れた身体に酒を入れ、急に寝てしまったことを自覚した。

「す、すまん。ありがとう」

 そう言って、顔を洗いに行く。戻ってくると、ヒナが紫苑の髪をとかし、互いに衣装を整えている。

「兄者、今日はどこまで行くのじゃ?」

「兄様、天気は持ちそうじゃ」

 なんだか、ヒナと紫苑の仲がいい。それはとても長生には幸せなことだった。

「ああ、国府を越えて、どこまで行けるかじゃなあ」

 適当に応じる。

「紫苑姉、どこかで餅を買っておこうか?」

「ヒナ、それは名案じゃ」

 長生は不思議な気持ちだった。ツキはよく食い、よく寝たらしく、いつも以上に暴れまわっていた。


 昼前には国府に至っていた。人目につきたくもないので、できるだけ何もせずに通るが、川の渡しで待ち時間が生じる。

「餅、買ってこい。できるだけ、つきたてのヤツを探せ。買ったら、即食っていい。ワシはここで待っとるので、残りをふたつほど持って帰ってくれ。ツキと一緒に行け」

 長生は紫苑に銭を渡し、ヒナとツキにも促す。みな、とてもうれしそう。特に紫苑がすごい。

「え、ええの? 兄者、やさしい!」

 そう言って、2名と1匹で駆けていく。少し前なら、紫苑はその銭を持って逃げた気がする。でも、もうそんなことはしたくない。

 数件、餅を売っている店がある。真剣に見て回る紫苑とヒナ。

「紫苑姉、あの店がいい。湯気がひっきりなしじゃ。たぶん、つきたて」

「じゃあ、行こう!」

 店先まで走り、紫苑は目を輝かせる。

「わあ、何個買う? どうする?」

 あまりに紫苑が必死なので、ヒナギクは自分で決めることにする。

「餅を8つくださいな。3人で食べます。残りふたつは兄に持ち帰ります」

すると、竹皮で包まれたものと皿に置かれたそれが出てくる。長椅子に座って、紫苑を促す。

「姉様、食べようか」

 紫苑は皿の餅をゆっくりと手にする。やわらかさを確かめ、恐る恐る口にする。

 少しの間の後、声がこぼれる。

「ああっ、やわらかい! おいしい」

 ヒナギクは気づいた。もしかしたら、紫苑は生まれてはじめて、餅を口にしたのかもしれない。邪魔すると、悪い。

「ほら、ツキ。一度に食うと喉に詰まって死ぬぞ。少しずつ、食うのじゃ」

 かなり小さくちぎった餅をやる。犬はうまそうに食い、次をねだる。自分も食べてみる。ほんのり甘く、幸せな味だ。

 これを食べられない人が多いのが、この世だ。いつか、里のみんなにも食べさせてやりたい。紫苑の反応を見て、なおさら思う。

「姉様、夜の分も買っておこう。兄様も喜ぶよ」

 紫苑は何も言えずにただうなずいた。姉も自分と同じように、今、幸せを感じている。ヒナはそれが、とてもうれしい。


「うまかったか?」

 長生は紫苑だけに聞いた。

「おいしかった! 里のみんなで食べたい!」

 そう言うだろうな、と思った。ヒナギクの顔を見る。同じ気持ちだろう。くしゃくしゃと頭をなでる。

「長生、里でいつか、餅つきしような」

 思った通りの言葉が、返ってきた。

「ヒナは、やさしいの」


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