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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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瓶子はワシに

 長生(ながたか)は呼ぶ。紫苑(しおん)が喜んでやってくる。

「すまんが、今日は心気(しんき)を休めたい。酒も入れる。その間、ヒナを頼む。先に寝てしまうかもしれない。何かあれば起こせ。お前らを生かすくらいはできるだろう。だが、ここで休まんと、残りがもたん」

 紫苑はとてもうれしい。長生が自分なんかを頼ってくれる。

「知っている限り、緊張させっぱなしだもんね。ごめんね。今日は甘えて」

 長生を助けてあげたい。

「ありがとう、恩に着るよ。明日、何もなければ、もう一度礼をする」

 彼は真剣な顔だった。長生は完全無欠な人物だと紫苑は思っていた。でも、違う。休まないと、止まってしまう普通の人なのだ。

「大丈夫。関紫苑(せきのしおん)は、よくできた長生の妹よ」

 長生がクシャっと笑う。子どものような顔だった。紫苑は見とれてしまう。気がつけば心臓がおそろしく動いている。

 ウソだ。この人、こんなに弱い。なのに、あんなに強かったんだ……。

 紫苑の中に、感じたことのない感情が湧いてくる。


 なんで、この人に惹かれたのだろう。

 襲ってヒナと銭を奪おうとしたら、恐ろしく長い竹でぶちのめされた。でも、竹だった。この人は唐山坊(とうざんぼう)のときだけ、剣を抜いた。石動力(いするぎちから)にも、里の人にも誰にも刃を向けなかった。

 何の利益もないのに、廃寺のみなを助けるために剣を振り回した。自分を助けてくれた瞬間をおぼえている。この人は、私を助けるために、危地に飛び込んでくれた。それを膂力(りょりょく)でしのいだのだと思った。でも、違う、足だった。

 剣を教えてもらったとき、それだけを言われた。剣は足で振れと。何度もやって、少し上手になって、気づいた。鍛錬に鍛錬を重ねた技で、私は命を救われたのだ。

「疲れたの?」

 長生はもちろん、否定する。

「そんなことない」

 だから、急に彼の足をつかんだ。足裏を親指でグーッと押えてあげる。

「ん、あ、ぐぁあ。あっ、あー」

「気持ちいいでしょ」

 長生は否定しようとして、あきらめる。

「これ、は、効く!」

 正直に答えた。いい子だ。紫苑はうれしい。役割を見つけたから。

「あなたを少しだけ、楽にしてあげる。それが、紫苑の役割。あなたと出会えて見つけた。命をあげていいくらいの仕事」

 そうして、紫苑は長生の足をさする。そうしていると、急に涙が出た。

(どれだけ、耐えてきたのよ! 傷だらけ? そんなどころじゃない! もう、壊れちゃうほどだよ)

 紫苑は長生が石動力に言ったことを思い出す。

「心清らかで勇敢な戦士たれ」

 全部、彼がやってきたことなのだ。それは、足に刻まれていた。だから、私は生き延びた。みなが生きようと決めた。里が生まれた。

 涙が止まらない。長生のこの疲れた足が、たまらなく愛おしい。

「どうした? 紫苑も疲れてるはず。ワシの足なんかほっとけ」

 言葉が出るまで、時間がかかってしまう。

「だまって、寝転がってなさい!」

 長生は拒否しなかった。この時間だけで、私は生まれてきた価値がある。そう思った。

 

 みんな、水場で身体を洗い、久しぶりにサッパリした。

「お食事、こちらに置きますね。どちらも、おキレイなお連れと思いましたが、妹君なんですってね」

 下働きの女がそんなことを長生に言う。

「見てくれだけですよ。毎日、ケンカばかりで、ワシはうんざり」

 ウソではないことを言う。紫苑もヒナも、またムッとする。

「こんなにおキレイなのに?」

「見た目だけなんです!」

 長生と女の会話に怒っていたが、紫苑もヒナも、よく考えれば、褒められていると気づく。

「やっとれんので、酒の瓶子(へいし)をひとつ、お願いできますか?」

 長生が言う。

「妹君がケンカされるのであれば、私がお注ぎに参りましょうか?」

 そこで、紫苑が出張る。

「兄者に酒を注ぐのは私の役目です」

 ズバリと断った。女はつまらない。さらにヒナが怒る。

「兄様にお酒を勧めるのは、私がやってきたこと。瓶子は、私に」

 女はにらまれた。

 たぶん、この姉妹の争いは台所の話題になるだろう。


「自分で注ぐから、ほっとけ!」

 長生は自分で瓶子を確保し、ふたりの妹に言い放つ。

 同時に、かしこまる理由がなくなり、紫苑は胡坐をかく。ヒナギクも倣う。

 庭先ではツキが特製のメシをガッついている。

(ここの夕餉はうまいですなあ)

 そんな顔だ。

「ヒナ、さすが海が近い。魚がどれもうまいなあ」

 パクパクと口に入れ、かわらけに注いだ酒をグビーッと飲む長生。

「たしかに、おいしいですね。私と食べた、土にまみれた鳥なんかより、よっぽど上ですね!」

 ヒナがとても機嫌が悪いことを理解する。

「なんか、ごめんなあ」

 長生は謝った。誰に対してかわからないから、紫苑とヒナが顔を見合わせる。

「一生懸命、やってるつもりなんじゃ。でも、ヒナも紫苑も不快なのじゃろうなあ。ワシが足らんのじゃ」

 長生はしょんぼりする。

「ヒナも紫苑も心やさしいのに、変になる。里のみんなもやさしい。なのに、ワシが上手にできん」

 長生が変であることに、紫苑もヒナも気づく。

「それに比べ、(ちから)はええ男じゃ。殺しかけたことに今でも身震いする。じいさま、ばあさまらも、腹立つ性根(しょうこん)かと思ったら、やさしい人ばかりじゃ。ツキはホンマにツキを運ぶ、立派な犬じゃ。意地汚く見えるけど、たぶん、立派な育ちじゃ」

 長生はどろんとした目で、庭のツキを見る。

 急に見られた犬が驚いている。ちょうど、おかわりを求めて、椀をくわえていたからだ。

(カッコわるい形になりました……)

 でも、長生は手を打つ。

「すみませえんっ。犬のメシをおかわり、注いでやってください。ホンマに、いい犬なんです。命の、恩人なんです」

 長生の叫びに女がやってくる。

「大丈夫ですか? お疲れでは?」

 長生はヘラヘラする。

「大丈夫です! 私の妹も、犬も、私より立派です。助けてくれるんです! うれしいなあ。ワシは果報者じゃ」

 長生は魚を食い、さらにグビーッとやる。

「あ、瓶子をもうひとつだけ」

 女は急いで酒を持ってくる。

「あのね、ヒナはわがままだけど、やさしい子なんです! この世でいちばん、やさしいのが、ワシの妹のヒナ!」

 女は困りはじめる。

「紫苑は、跳ね返ったけど、根はいい。ワシのことをいつも労わってくれる。こんなに慈悲深い娘はおらん。気遣いできて、器量もいい。自慢の妹が紫苑なんですよ」

 女は逃げ道をつくる。

「いい妹君に恵まれましたね。お休みになられますか?」

 長生はうなずく。でも、言う。

「妹らが、寝床してくれます。ありがとうね。私の妹自慢に付き合ってくれて」

 そう言って、女を追い払う。紫苑もヒナギクも、長生の芝居なのだろうと思った。

「長生、あの人行ったよ!」

 ヒナが長生の顔を軽く叩く。

「ヒナ、ちょっと痛いぞ。でも、ヒナのヒザで寝たい気がするの」

 そう言って、長生は寝てしまう。驚く。ヒナは紫苑を見る。

「芝居じゃなかったのかも」

 紫苑も驚く。いつも、完全無欠な長生しか知らなかった。

「じゃあ、さっきのあれ、私たちへの気持ち?」

 互いに思い出す。長生はふたりへの愛情を精一杯に口にしていたのだ。

 うれしくなってくる。



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