兄と妹、さらに妹
翌朝もヒナと紫苑の争いは続く。
(ど、どうしましょう?)
ツキの顔も困惑していた。
仕方ない。長生は腹をくくる。
「紫苑、お前の覚悟は理解した。同行を許す」
紫苑ははじけるような笑顔になる。
「やったぁ!」
ヒナギクはブスっとする。
「ただし!」
長生は真剣な顔になった。
「紫苑、ワシらの中で大事なのはヒナじゃ。何かがあると、ワシはヒナを守るために戦う。お前は守れない。それどころか、ワシが死んだときは、お前がヒナを守らねばならん」
紫苑はまっすぐに長生を見る。うなずく。
「それが、この一行に加わるときのお前の役目」
長生が念を押す。紫苑はまたうなずく。目をしっかり合わす。長生と紫苑の間で、契約が成った。
ようやく、紫苑が微笑む。
「奥方を守るのも、妾の役割ですからね」
舌を出して笑う。即、怒るヒナギク。
「誰が妾を認めると言うた!」
「ところで、紫苑がヒナ様と呼ぶのは変じゃ。ついでに、ワシの呼び方もよくない」
歩きながら、長生は紫苑に言う。
「何がおかしいのです?」
「この一行は、ワシが兄で、紫苑が妹、ヒナはさらに下の妹という構図じゃ。真ん中の妹が、兄や妹をそう呼ぶか?」
たしかに、そうだった。
「ヒナのことは、ヒナと呼べ。ワシのことは兄とか、長生と呼べ」
「いいの、ですか?」
長生は笑う。
「いいも悪いも、そうすることが生きて月山の里に帰るには必要じゃ。ならば、やるしかない。ヒナも理解せいよ」
ヒナギクはプンプンしてばかりだが、そんなことを気にしているのではない。
「好きに呼べ。ヒナはヒナじゃ」
紫苑も理解したのか、さっそくやってみる。
「長生、今夜は天気が悪そうじゃ。ヒナが風邪ひくといかん。宿所を探すか?」
笑う長生。
「そうじゃな。早めに宿所を見つけよう。ツキを連れて、犬を嫌わんところを探してくれ。街道からいくらか辻を入って離れたところであれば、なおいい」
「わかった!」
そう言って、本当に犬と宿所を探しに行った。
長生はヒナとふたりになる。なんだか、変に照れる。
「長生はヒナなんかよりも、大人で美しい紫苑がよいじゃろうな」
ヒナの口から出てきたのは、言いたくもない文句だった。
「そんなことはない」
長生は返す。でも、ヒナはもっと余計なことを言いたくなる。
「ヒナなんか、小さくて、うるさくて、子どもみたいで、嫌いじゃろ!」
いっぱい甘えたいのだと長生はわかる。だから、何も言わずに手を握ってやった。
ヒナギクは驚く。次に、ホッと息を吐き、笑う。
「ごめん、長生。私はまだまだ、心のできてない娘じゃ。迷惑ばかり」
長生は何も言わない。でも、握る手を少し強くした。ヒナギクはうれしくて、たまらなくなる。下を向いてしまう。
「ね、ヒナがおかしいときは、こうして手を握ってね。私はそれでわかるように成長したいよ。もっとやさしい、心の澄んだ人になりたいよ」
長生はやさしくヒナを見る。
「ヒナの心は澄んでる。誰よりも清く美しいよ」
長生の言葉が、うれしい。握ってくれる手が、もっともっとうれしい。
比較的大きな宿で人通りも多い。こういうところの方が、むしろ安全だった。
紫苑が見つけてきた宿所は、街道から離れており、ちょうどよかった。
「お犬がおられるので、裏の離れになりますが、よろしいか?」
主人が聞く。武家や参詣者らを泊めることが多いらしく、慣れた感じだった。長生はできるだけ朗らかに応じる。
「助かります。犬はおとなしいが妹らがやかましくて、迷惑になるので」
そう笑う。
「おや、お連れは妹君でしたか」
「上は跳ね返って、下はわがままじゃ。困っておる」
主人も笑った。だが、言われた紫苑とヒナがブスっとする。
変な警戒はされなかったようだ。長生は安心した。
部屋の位置、ツキが過ごす庭先、裏口、その他、いろいろと確認した。
それでも、不安がある。
「紫苑、ここに来るまでに、同じ人間を2度見たことは?」
紫苑が笑う。
「長生、なかったよ。たぶん、少し弛緩していい」
彼女は長生の思いを先んじて感じていた。安心させてやりたい。
「そうか。でも、少し見てくるよ」
「見ておいで。ヒナは私が見ておくから」
長生ははじめて紫苑がいてよかったと感じる。
「すまん。頼む」
長生は部屋を出る。紫苑に甘えたのだとわかっている。でも、できるときは、そうするべきなのだ。紫苑の武芸の腕前ではない。目が必要だった。誰かが見ていてくれるほど、助かることはない。
あちこちと見て回りながら、台所に出る。おかしな動きは感じなかった。
「おや、お武家さん、どうしました?」
下働きの女たちに見つかる。でも、長生は平気だ。
「すまん、離れの者だが、犬がいる。味のできるだけ薄い、煮たか焼いただけのものができるだろうか?」
ツキの話をする。どちらにしても、伝えるべきことなので、ウソはない。女は笑う。
「味の薄いものなんか、いっぱいできますよ。私たち、そればっかり食べてますよ」
「じゃあ、その火を通しただけのものでいい。礼は人間分するから」
長生は応じる。
「そんなのに、たいしたお礼はいただけません。でも、ちゃんと用意しますよ。妹さんたちで大変なお武家様!」
主人が女たちに漏らしたのだ。でも、こういう漏らし方なら、問題ない。
「はは、犬を怒らせると、私が妹らに怒られるので……。かたじけないです」
長生はひどく困った顔で応じる。
「お武家様って、勇ましいのに、なんかかわいらしいわあ」
女らに興味を引かれた。これ以上はまずいと思い、退散する。でも、ここはどうやら、安全なようだ。




