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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
一章 恋々風塵
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帰れ!

 月山(つきやま)の里を去ったふたりと1匹は、駿河(するが)灘に出ていた。美しい富士と海に囲まれているのに、ヒナギクは下を向いて歩いた。

「これまでは、長生(ながたか)とツキとだけになると、私はうれしかった。幸せに感じた。でも、今はそれがない。とても悲しいよ」

 ヒナギクが言う。

(同じ気持ちですわ)

 ツキもトボトボと歩いている。

「よかったではないか。離れて悲しくなるということは、それだけ縁があったわけだ。ヒナもツキも縁者が増えたということだ」

 長生が明るい声を装って言う。

「長生は悲しくないのか?」

 ヒナは少し怒る。

「もちろん、悲しくさびしい。でも、楽しみも増えた。(ちから)たちが、あの里をどうしていくのか見てみたい。それに、いつかヒナとツキと過ごす場所ができた。その喜びが大きい」

 ヒナギクの顔がパッと明るくなった。

「そうか、そうやった! 旅をして、上方(かみがた)に行き、私を捨ててもらうように願い出て、許してもらえばいいもんな。長生と私とツキで、月山の里に戻ろう」

 長生は笑って応じた。でも、ヒナギクが言うほど、かんたんなことではないだろう。それを願い出るだけの知己か、功か、何かが必要になる。それを成さないと、自分たちは追われるだけの生き方になる。そんなものはヒナギクに似合わない。

「楽しみばかりが増えるな」

 ヒナギクは元気になった。今は、それでいい。


 里を出て2日目の夕方だった。山に分け入ろうとしたところで、ツキの様子が変わった。

(あれ? どうしてですか?)

 小さく吠えるのだが、殺気がない。

 すると、目の前に背丈のある女の影。

「長生様、今日は野営ですか?」

 長生は理解する。紫苑(しおん)だった。

「なんで、ここにおる?」

 長生は聞いた。

「長生様についていくことにしました」

「ならん、帰れ。里の者も心配しておろう」

 間髪入れずに長生は応じるが、紫苑は笑って首を振った。

「心配するわけありません。里の者はみな知っております。言い出したのは私ですが、許可したのは力です」

 長生はやられた、と思った。石動力(いするぎちから)の器量を見誤っていた。自分が想定した以上に、彼には知恵があった。

「あなた方を監視する役割を紫苑が担いました。必ず、帰って来ていただくようにと命じられています」

 どうしたものかと思う。今、突き返してもすぐに夜だ。女の紫苑を闇夜に放り出すわけにはいかない。

「仕方ない。今日は一緒におれ。明日、帰れ」

 紫苑がニーっと笑う。

「今日は、一緒におりましょう。そうそう、芋のつるを見かけたので、必要分は掘っておきましたよ」

 紫苑の言い方に、なぜかヒナギクは怒りそうになる。理由は自覚していない。


「今日だけにしなさい。明日は里へ帰りなさい」

 歩きながらヒナギクは紫苑に言う。

「ハイハイ、長生様からもそう言われましたからね。妹君が言わんでも、わかってますよ」

 言い返され、さらにヒナは機嫌が悪くなる。なのに、ツキは紫苑の方を見上げて、鼻をならし、うれしそうな顔をしている。

(おいしいものをお持ちのようですな!)

 顔がバカ丸出しの犬だった。ツキを蹴っ飛ばしたくなる。


「ここらでよかろう」

 長生は荷物を置いて、すぐに倒木を見つけてくる。立ち木にかける。紫苑は勝手にあたりの枝を掃って、それにかけていく。

「紫苑、違う。先にこの布をかけるのじゃ。わかっとらんの」

 ヒナギクがプンプンして言う。

「ほ、そんないいものがあるのですな? 知りませんでした。おぼえておきます」

 紫苑の言葉に、いちいちヒナは腹が立つ。おぼえて、どうするのだ? お前は明日、帰るのだ!

「漁師と交渉して、魚をいくつか得ております。今日は弓を用いなくても、食事ができますよ」

 紫苑は得意げだった。長生はうんざりして、ふたりに言う。

「水を汲んでくる。火を起こしておいてくれ」


 結局、紫苑の間合いで何もかも進んでいく。

「この鍋、軽いのに使いやすい! 大事にしましょうね」

 どれもこれも、明日、いなくなる人間の言葉ではない。でも、煮えた魚と芋が、どうにも空腹を刺激する。

(そろそろ、どうですか?)

 ツキがすさまじいよだれを垂らし、鍋を凝視している。

「まあ、食おう」

 長生が言い、夕食の時間になる。ツキの勢いに負けて、ヒナギクも食う。残念ながら、とてもうまい。


「ところで、ヒナギク君は長生様の妹ではござらんな」

 急に核心を突かれ、長生とヒナギクは芋を吹いた。

「言葉遣いが兄妹とは違うときがあるのです。主従のような、思い人のような……」

 さらに、長生とヒナが汁を吹き出す。ふたりとも、顔が真っ赤になった。ヒナギクが助けを求めて長生を見る。

「紫苑、それは詮索するな。お前の命にかかわる」

 すると、紫苑が笑う。

「紫苑は長生様とずっと一緒ですから、死ぬときは死にます。構いません」

 次は、長生がヒナギクに助けを求める。ヒナギクは意を決して言う。

「紫苑の言う通り、私と長生は兄妹であり、主従であり、思い人同士じゃ!」

 今度は水を飲んでいた長生だけが吹き出す。

 でも、紫苑は平気な顔だった。

「そんなことはどうでもいいのです。ヒナ君が何様であろうと気にしません。でも、紫苑の思い人は長生様です」

 ヒナと長生が同時に吹いた。もう、出てくるものはない。

 ツキが不思議な顔でふたりを見ていた。

(どうしました? おいしいものをもったいない。お加減が悪うござるか?)

 そんな顔だった。


「ダメよ。絶対にダメ。紫苑は帰りなさい!」

 ヒナが猛烈な勢いで言う。

 でも、紫苑は気にしない。

「帰りません。ヒナ君が長生様の奥方になるなら、そうなればいい。私は妾にしてもらうのです。お武家なのだから、普通のことです」

 ヒナが沸騰した。

「妾を連れて、諸国うろつく武家がおるか!」

 紫苑は折れない。

「それならば、許嫁(いいなずづけ)を連れて歩くのも変です。長生様は新時代の悪党(あくとう)です。習わしは、長生様がつくればいいのです」

 長生は心が折れた。もう、どうでもいい。

「ヒナ、紫苑、寝ようか。明日に響く」


 寝るのも、大変だった。

「紫苑は私の隣で寝なさい!」

「長生様を監視するのが役目ですから、長生様の隣で寝ます」

 ヒナが紫苑をにらむ。もう、やめてくれと長生は思う。

 でも、ヒナギクは、まあいいと考えた。長生がこっちを向いてくれれば、それでいいからだ。

 なのに、長生とヒナギクの間にツキが潜り込む。

(いつもの場所でおやすみしますわ)

 ツキは何食わぬ顔だった。あくびして、寝た。

 こうして、隊列が決まる。ヒナ、ツキ、長生、紫苑の順だった。

 なぜか、自分の方が長生から遠い。おかしい。何かが間違っている。

「紫苑もツキも邪魔じゃ。長生と私が遠くなる……」

 はじめて、ヒナはツキを呪った。



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