故郷で月見て笑う
数日で皆の動きは大きく変わった。腹を満たし、健全に身体を動かしたことが表に出るようになった。何よりも、心の持ち様が変化した。この集団のためになろうと、みなが思うようになった。
「弓はお前が上手のようじゃ。力と組めば、みなが滋養あるものを食える。命と生活を守る武勇にもなる」
若者のひとりと力が誇らしげな顔になる。
「だが、それに甘えるな。獲物を得ても、食うことは主張するな。武勇は人のためにこそある。己のために使えば、すなわち暴じゃ。ワシの剣は暴を討つぞ」
強き者への訓戒こそがいちばん厳しかった。
「はい。肝に銘じます」
長生はさらに続ける。
「できることをふたつ以上身につけろ。剣ではないぞ。耕すことでも、ものをつくることでも、水を汲むことでもよい。お前たちがいちばん働け。身体が頑健になる。武勇が冴える。それが皆の幸を守る。お前たちは心清らかで勇敢な戦士になる。死んだら、みなが泣いてくれる。それは、いい人生じゃ」
長生の言葉が心に沁みわたる。そう生きたいと思った。いつか死ぬ日を感じた。何も悪くない、満足な生きざまだ。
「心清らかで勇敢な戦士、なりたいです!」
やっと、長生は笑う。
「なれるぞ。お前らは俺よりも強くなれる。背負った命があんなにあるからの。慕われるんじゃろうなあ。うらやましいほどじゃ」
自分たちが恵まれている気がしてきた。大切に思ってくれる人が、すでにたくさんいたことに気づいたからだ。
天気のいい夜は、いつも月を眺めて、夕食を楽しんだ。
「米は当面がまんせい。稲には水がいる。水の流れを変える必要がある。それは争いの元になる。蕎麦の種を買い求め、植えればいい。今年の収穫もまだ間に合う。それで何かをつくり、売ることもできる。山を活かした生産を考えろ」
長生は気づいたことを、できるだけ伝えた。字の書ける者が、忘れないように記録することもある。
「神仏もな、当面は供えずに手を合わせるだけでいいぞ。お前らのけち臭いものでは、神も仏も喜ばん」
みなが笑った。
「たしかに、ちょっとよろしいものがつくれるまでは、待っていただきましょうね」
女らが応じた。
「男女のことは、慎みを持て。欲はあっていい。でも、生きてこそ、ようやく欲も成り立つ。お前らは和を乱せば年内にも死に絶える弱き者たちじゃ。力を合わせ、互いを思い、敬い合って冬を越せ。その中に清い愛情が生まれる。春のあたたかさに笑い合える」
男たちがうなずく。力が少し不思議な顔をして聞く。
「長生様は、どうしてそんなに博識で高邁なのです? 私たちより、数年年長なだけなのに」
長生がポカンとした。少し考える。
「ひとりで生きてきたからじゃろうな。さびしくてなあ」
少し笑って答えた。でも、力には意味がわからない。
「ひとりで剣を振り、ものを得て食う。誰も喜んでくれん。美しいものを見ても、語り合う相手もおらん。つまらん人生じゃ」
なるほど、それはつまらない。自分もずっとそう生きてきたと力は思った。
「でも、ヒナギクとツキがワシの元に来た。ワシはこいつらを守らねばならんようになった。でもなあ、それがたまらなくうれしい。剣で切っ先を走らせればヒナがほめてくれる。食い物を得れば、ツキは小躍りしてくれる。こうして夜に月を見て、一緒に笑い合える」
ヒナギクは少し離れたところで呆然となった。無意識にツキを抱きしめた。長生のやさしさの根っこを見た気がする。
心清らかで勇敢な戦士。力は長生の言葉を思い出す。彼はそうある幸福を語ってくれているのだ。
「よいですね。長生様の剣の鋭さの理由がわかります。私もなんだか、生きていくのが楽しくなってきました」
力が言うと、長生は笑った。
「だから言っただろう。お前らは恵まれておると。何かを成せば、こんなに多くの者が喜んでくれる。美しい月を分かち合える」
長生の言っている意味が、みなに伝わる。
「月山の里、ここをそう名付けていいですか? 私たちの故郷で、家があり、家族がいる場所です。名がほしい」
月を眺めながら力が言った。
「いい名じゃな。でも、決めるのはお前らじゃ。ワシではない」
長生はそう返して、周囲を見た。
力の言葉は、みなの心に強く入っていた。故郷、家、家族と彼は言ったのだ。それはみなが持っていなかったり、失ったりしたものだった。力は、それがここであると宣言したのだ。
「ありがとう、力。私にも故郷と家ができるのね。もう家族があったのね」
女のひとりが言う。
「どこかへ行っても、私は月山の里に帰ればいいのね」
帰る場所がある。それは、流離ってきた人々にとって、大きな思考の転換だった。
「異論なし。俺にも里がある。こんなにうれしいことはない」
若者のひとりが男泣きに涙を流す。
「いい名じゃ。いい夜じゃ」
年寄りたちは、そう言って月に手を合わせた。犬がうれしそうにそこらを駆けまわる。
「決まったようじゃな」
長生は力の肩を軽く叩いてやった。力はいい棟梁になるだろう。
7日ほどを長生たちはここで過ごした。少し、長く留まりすぎた気がする。
だが、里の者たちにとっては、短すぎる時間だった。
「長生様、もう少し、逗留していただくことはできないでしょうか?」
力が長生の前で言う。みながうなずいていた。
「お前らそれぞれにやるべきことがあるように、ヒナにもそれがある。ワシはそのヒナを守らねばならん。その道中にはツキがおらねばならん」
長生は返した。力が残念そうに下を向く。
「ワシができることはやった。後はお前らが工夫してやっていくときじゃ。心を合わせ、冬を越せ。生きていけ。いずれ、また来る。いや、いつか、ワシとヒナ、ツキが移り住む場所をつくってほしい」
長生は急に思いついたことを言葉にした。そうだ、ヒナギクを運命から解放し、ここに戻ろう。名を捨て、誰も知らぬ里で命の花を咲かせよう。
すると、ヒナギクも言う。
「石動力、私も長生もツキも、先日までのあなたたち同様に、まだ流離うしかない運命にあります。でも、いつか地に足をつけて生きていきたい。そのとき、私たちを助けてほしい」
まっすぐに力を見た。力がその目に気圧され、次に強い顔になる。
「ヒナギク君と長生様、ツキ殿がお戻りになられるその日まで、この里を一所懸命に守ります。また、月を見て笑いましょう」
とても、いい顔だった。
「お前らに出会えてよかったよ。得をしたのは、ワシらの方かもしれん。そんな気がしてきたよ」
長生が言うと、力は涙を流して首を振る。叫んだ。
「何を言うておるんです? やけくそで、生きてるのも、死ぬのもつまらなかった。だから、あなた方を殺めようとさえした。それなのに、あなたたちは、温かい食い物を、生きる術を、生きる意味をくれた!」
泣き崩れた。
「親かよ! 私は実の親にも捨てられたのに、なんで、アンタらは……」
力は涙が止まらない。怒りたい。でも、長生には何もかなわない。くやしい。
頭を上げた。まなじりを決するように言う。
「そうだ、親なのだから、家族だ。だから、必ず、戻ってきてください。孝行をさせてください!」
長生は力の肩に手を置く。
「約束するよ。また、お前と生きていきたくなった。必ず、戻る。だから、故郷を、家を、家族を頼んだぞ」
号泣してうなずく力。もう、この男は勇者なのだろう。




