6.天然ボケ
誰かの声が聞こえる。
あれは誰の声だ。
あれは……
「パパ」
声変わりを迎えていない、中性的な子供の声。
「パパ、今日もお仕事?」
パパと呼ばれた男は頷く。
「ああ」
その声を聞いて、心臓が強く音を立てて軋んだ。
ここ数年、記憶の中ですら聞いていない男の声。
これはオレの親父の声だ。
ということは、もう一人の子供は……オレなのか。
「何時に帰ってくる?」
「帰れたらすぐに帰る。良い子で待っていなさい」
「うん……いってらっしゃい」
親父はオレに背を向け、ドアの向こうに立ち去っていく。
その背中をどれだけ見つめていただろうか。ドアが再び開かれることがないのを待って、オレはドアに鍵をかけた。
リビングに戻る。
母さんがいなくなってから明るさを失った部屋。家族全員で使っていたものは全て捨てられ、ソファーもカーテンも新しいものに買い換えられていた。
リビングの部屋にオレはぼんやりと立ち尽くしていた。
そして、おもむろに。
へらりと笑った。
××××
_____ティローン、ティローン。
窓の外から差し込む光を見つめながら、ぼーっとする。片手にはスマートフォンが握られていた。五感を現実に引き戻すべく強く握りしめると、スマホに括り付けられたストラップの硬さが、オレの掌に鈍い痛みをもたらした。
「また、あの頃の夢か」
どうしてあんなに昔の記憶を思い出すんだろうか。それも、大して思い出しても面白くないことを。
折角の夢なんだからもっと楽しいことが浮かべばいいのにさ。
億万長者になる夢とか、食べ物がいっぱい食べられる夢とか。魔王を倒して一攫千金、とか。
そんなことを考えていたら、ドアをノックされた。
「起きてまーす」
気怠く返事をすると、ひょこりとユキさんが顔を出した。
「珍しいですね、もう起きてるんですか?」
「なんか今日は寝覚めがよかったみたいです」
というよりは、これ以上眠る気になれないというのが正しい。
「いいことですね! 毎日こうなら、もっと嬉しいんですけど」
「それは無理な注文ですね。寝起きが悪いのは主人公になるための必須条件。言い換えるならば、寝坊しなければその人は主人公ではないんです。オレは一応主人公ですので、そのセオリーに則って行動しなければなりません!」
「何を言っているのか私にはわかりません。もしかして、まだ寝ぼけてるんですか?」
「そうかもしれません。寝覚めがよかったせいで、却って寝足りないのかもしれない。というわけで」
ベッドに寝転がる。
「お休みなさーい」
「そうはさせませんよ! もう朝ご飯できてるんですから!」
服の裾を掴まれ、体を持ち上げられる。
「だから、なんで持ち上げられるんだ_____」
ゴキッ_____
「あ」
と小さく呟かれたユキさんの声は、オレの情けない悲鳴によってかき消された。
「美味しいですか」
「はい」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
用意された朝食を静かに平らげていく。ユキさんは、頬杖をついてじっとオレを眺めている。
「ユキさん」
「なんですか?」
「昨日の夜、父さんが帰ってきてました?」
「えーっと……」
ユキさんは指を顎に当て、小首をかしげる。
「はい。確かに帰ってきてましたね。仕事があるからと、すぐに出ていってしまいましたが」
「それっていつの話ですか?」
「大体夜中の三時くらいでしょうか……それがどうかしましたか?」
「どうってわけじゃないけど、夜中、玄関の方で声が聞こえたから」
「もしかしてうるさかったですか?」
「いや、そうじゃなくて……何か言ってました? 伝言とか」
「特にないですね。何かを取りに戻ってきただけみたいでしたので」
「そっか。仕事忙しいんだな。体調壊さないといいけど」
「本当に。心配になりますよね」
ユキさんは朝食はパン派だ。いつもはカリッと美味しい焼きたてパンが、ちょっと湿っぽい話をしたせいか心なししんなりしていた。
だけど、オレの陰鬱な気持ちを晴らすように、ユキさんが朗らかな声を上げた。
「希くんも体調に気をつけてくださいね」
「え、オレ?」
「魔王ゼロアスを倒すのにも、かなり体力がいりますからね」
……その設定すっかり忘れてたわ。
「だから今日の朝飯、こんなに肉が多いのか」
「お弁当にも沢山お肉を入れておきました」
「そりゃどうも」
「据え膳食わぬは男の恥、ですよ。ファイト!」
パンを吹き出しそうになる。
あなたは健全な青少年に何を勧めてるんだ。
「それを言うなら、腹が減っては戦が出来ぬ、じゃないですかね」
「あれ、そうでしたっけ?」
ユキさんがこてりと首をかしげる。可愛いな、もう。
何処かで聞き齧った戦の心得を、ユキさんはオレに滔滔と語ってくれ、気がつけば学校に行く時間になっていた。
「これ、今日のお弁当です」
「ありがとう。行ってきます」
いつも立てられているはずの写真立てが、今日は伏せて置かれていた。親父の仕業だろう。




