30.Ether
何度となく通い続けてきた建物に到着する。インターホンを鳴らすと、今度はすんなりと鍵を開けてくれた。
「こんにちは、高嶺さん。お会いするのは」
「昨日ぶりだ」
「ええ。今回はご予約済みですね。歩望さんはいらっしゃらないのですか」
「同意書には昨日サインをしただろ」
長い廊下を、二人分の足音が響く。
「実は今日、大切なお話があったんです」
「それ、親父がいなくても大丈夫なやつ?」
「ええ、まあ。お二人に聞いてもらうのが最良ですが、今回は高嶺さんだけでも大丈夫でしょう。刹那にはそのように言っておきます」
メンテナンス室に連れていかれる。例の如く、刹那さんは机に向かって熱心に何かを書きつけており、こちらを見向きもしない。
ベッドにはユキさんが静かに横たわっている。
「……ユキさんの容態は?」
「率直に言えばモモの寿命は残り僅かです」
レイの容赦のない物言いが、オレに現実を突きつける。
「本来なら、予定通りあと五年はもっていたはずです。しかし、刹那さんにもボクにも予測できなかった不具合が発生したことで、イーサに急速な劣化が生じています。協調運動機能の悪化、記憶障害、スリープ障害。どれも覚えがあるのではないでしょうか」
イーサ、というのはオレ達でいう脳と心臓のようなものらしい。イーサが動かなくなれば、体を動かすことも、人間らしい思考をすることもできなくなる。
「今回は応急処置として直近一ヶ月の記憶を削除しました。これによりイーサへの負荷がひとまず軽くなるはずです。とはいえ長くは持ちませんけどね」
「記憶を消した? 一ヶ月も?」
「何か問題でもありますか?」
「……いや。ありがとう。助かったよ」
こいつは自分の役目の通りに動いているだけだ。修理するのが仕事だから、記憶を消した。それだけ。
レイに文句は言えない。
でも……消えてしまったんだ。小可さんと一緒に海に行ったことも、それ以外のことも、全部。消えてしまった。
「これからは、あまり外出させない方が良いよな」
「面倒事を避けたければ、その方が賢明です」
ユキの正体が他人にはバレないようにしろと、刹那さんとレイには散々釘を刺されている。人目のあるところで倒れてしまえば、今回のように穏便に済むとは限らない。
ユキさんは、現代のテクノロジーでは説明がつかない存在なのだから。
これから先、ユキさんに思い出を作ってやることも難しいだろう。
こんなに早くいなくなると分かっていたら、もっとたくさん色んなところに連れていってやったのに。
後悔しても、しきれない。
「……そうだ、高嶺さん。あなたからお預かりしているものがあるんです」
オレの様子を窺いつつレイが言う。
「昨日ここに来た時に忘れ物をしましたよね? ちょうど良いので、持って帰っていただけますか?」
……そんなもの、あっただろうか。
「ボクの部屋で保管しています。ついてきてください」




