29.異物
鳥の囀りを遠くに聞きながら、意識を浮上させる。
しばらくの間、オレはぼんやりと白い天井を眺めていた。
今日は何日だ? 何曜日だ? というか、今何時だ?
平日は学校に行くためにアラームを設定している。アラームが鳴らないということは今日は休日なのか。それともアラームをかけ忘れたのか。
頭の中でもやもやと思考を渦巻かせながら、ベッドの上で手を這わせる。あの硬いプラスチックの感触はない。仕方なしに体を少し捻ってベッドの下を見下ろした。予想通り、そこにはスマートフォンが寝っ転がっていた。
足裏の熱をフローリングが吸い取っていく。一歩、二歩、三歩。歩くたびに少しずつ現実に適応していく脳が、昨日の記憶を表層へと引っ張り出す。
小可さんとユキさんと海に行った。その帰りにユキさんが倒れた。小可さんがDesireまで連れていってくれた。そして_____
病的に静まり返った室内には、あの人の気配はない。その代わりに、リビングには父親が座っている。
オレは何度も目をこすり、目の前の光景が夢ではないことを認識する。
ダイニングテーブルの一角を陣取り、神経質な様子でスマホを眺めていた親父は、オレに気がつくとぱっと顔を上げ、ぎこちなく笑みを浮かべる。
「おはよう、希」
「……はよ」
「お前が昨晩作ってくれたシチューがまだ残っていたから、キッチンに置いてある。火をかけてるから、すぐにでも食べられるはずだ」
嫌な予感がしたオレはキッチンに向かい、コンロに置かれている鍋を覗き込む。
ああ、予想通り。
「父さん、シチュー、焦げてる」
「え?」
「コンロの温度、3のままにしてただろ。これじゃ保温じゃなくて加熱になるから焦げるんだよ」
親父が慌ただしくキッチンにやってきて、オレの後ろから鍋を覗き込む。
「……本当だ」
本当だ、じゃねえよ。
「いつも飯とかどうしてたの? あんまり料理とかしてない感じ?」
「スーパーやコンビニで出来合いのものを買っていた」
「栄養が偏るだろ。若くないんだから、もっとちゃんとしたのを食べなよ」
「正直、何を食べても味がしなかったから……」
親父はそう言いかけて、咳払いをする。
「だが、シチューは本当に美味しかった。久しぶりに味のするものを食べた気分だ。作ってくれてありがとうな」
「……別に」
シチューは大部分が焦げてしまい、とても食べられるようなもんじゃなかった。シンクに水をつけて放置しておき、冷蔵庫に入れていたチーズを口に含む。
昨日からあまり食欲はなく、チーズを食べただけでもう十分だった。
「仕事はどうしたんだよ」
「今日は休みを取っている。ユキを迎えにいくんだろう?」
「迎えくらいならオレだけで十分だ」
「でも、バスで行くよりも車で向かった方が_____」
「父さん。分かってくれよ。あんたが家にいると、何か悪いことがあったんじゃないかってユキさんが不安がるんだ。頼むから、どっかに行っててくれ」
オレが何とかするから。
親父は表情を失った。ただでさえ血色の悪い顔からさっと血の気が引き、青白くなる。
やばい、今のは言いすぎた。
「……悪い。その、えっと、そういうつもりじゃなくて_____」
親父は寄るべなく笑みを浮かべる。
「……お前の言う通りだ、希。私がここにいては、ユキを困らせるだけだろう。配慮が足らなくてすまなかった」
親父はテキパキと準備を進めていった。一晩経って僅かに生えた髭を剃り、寝癖のついた髪を整え、ネクタイを結び、白シャツの上にスーツを羽織ると、そこにはいかにも仕事のできそうな壮年の男ができあがる。
「どこかで時間を潰してくる。何かあったら連絡してきなさい」
何かってなんだよ。どうせ電話しても、ろくな返事くれないくせに。
「分かった」
親父を家から追い出す。こめかみを突き刺す頭痛を堪えながら、深く息を吐き出した。




