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Desire  作者: 雷仙キリト


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28.謝罪

 小可さんは渋々といった様子で親父を解放し、散々睨みつけて帰っていった。


 ユキさんの処置は恐らく二時間以上はかかるらしい。もう夜も遅いからと、一旦家に帰り、翌日迎えに来ることになった。


 家の外に出る。数時間ぶりの新鮮な空気に深呼吸を繰り返し、Desireから少し離れたところに停められたタクシーに乗る。


 オレ達の間に会話はない。最初のうちは運転手が話題を振ってくれたが、オレ達が乗り気でないのを悟ってか、車内は早くも気まずい沈黙が流れている。


 スマホを確認する。小可さんからメッセージが入っていた。


『何かあったら連絡しろよ』

『ユキさん、大丈夫だった?』


 親父は眠っているのかいないのか、目を閉じて黙り込んでいる。オレは画面の明るさを最低にして、返信を打ち込んでいく。


『今日はありがとうございました』

『ユキさんはまだ分かりません。明日またユキさんを迎えにいきます』

『奥さんに怒られませんでした?』


 返事はすぐには来ないだろう。でも、それで良い。


 小可さんが間にいてくれた時はまだマシだったが、ほぼ二人きりになった今、頭痛と吐き気が酷かった。親父が隣にいると思うと仮眠を取ることもできず、オレはひたすら窓の外を見て苦痛の時間に耐える。


 見知った街並みにたどり着いた時の安心感。辿り着く先があの家なのだという心細さ。

 全てを吐き気と共に喉の奥に押し込み、ため息を吐く。


「……父さん、晩飯はもう食べた?」


 親父は薄めを開け、オレをチラリと見る。


「まだだ」

「だったら作るよ。家に材料用意してあんだ」

「お前が作るのか?」

「オレをいくつだと思ってんの。料理くらい作れる」


 今のは失言だった。親父は気まずそうに視線を逸らし「そうか」とだけ呟く。


 家に到着し、オレは早速台所に入る。作るのは時間がかかったが、出来上がった料理をリビングに持っていった時、親父はテレビもつけずに静かに椅子に座っていた。

 オレやユキさんが座っていた場所ではない、何年も空席であり続けた、その場所に。


 親父のその姿を見て、オレもユキさんも、無意識のうちにその席に座ることを避けていたのだと気付かされた。


「できたよ、親父」


 親父の前に皿を置くと、親父は目を見開いた。


「……これは」

「シチュー」


 親父の向かいの席に座る。


「お前は食べないのか」

「オレは良い。あんまりお腹、空いてないんだ」


 やることもなかった。親父が震える手でスプーンを持ち、湯気の立つそれを口に含むのを、じっと観察する。

 咀嚼した瞬間、親父の動きがぴたりと止まった。呆然とした姿の親父に、オレは何と言葉をかければ良いか分からなくなった。


「……母さんのものは、全部捨てられたはずって思った? 母さんが書いてた料理ノート、ユキさんが見つけてくれたんだよ」


 ユキさんが料理を作らなくなってから、母さんの味を受け継いだのはオレになった。

 料理をするのは楽しかった。日々母さんの記憶が薄れていく中で、それだけは常にオレのそばにあった。


 親父にノートを渡してやる。ページをめくるにつれ、親父の表情がしわくちゃになっていく。

 親父は俯いた。ノートの上に、はたはたと雫が落ちる。


「……あいつは、有希(ゆき)は昔から負けず嫌いで完璧主義だった。料理も、掃除も、洗濯も、何でもやってのけた。元々器用な人だと思ってはいたが……努力の賜物だったんだな」


 母さんが負けず嫌いで良かった。そうでなければ、恐らく料理メモはあの人に見つかり、捨てられてしまっていただろう。

 親父は突然立ち上がり、オレのそばまでやってくると、崩れ落ちるように地面に額をつけた。


「すまなかった、希……っ、私は、怖かったんだ。この家から、母さんの気配がなくなっていくのが、怖くて、私はここを避け続けていた……。本当にすまなかった、希……!」


 額を何度も擦りつけ、すまなかった、と親父は謝罪する。

 髪の毛は乱れてぼろぼろで、白髪混じりだった。髭をきちんと剃った顔も、今は涙で台無しになっている。

 オレの記憶の中の数百倍、親父は情けなく、やつれていて、可哀想だった。

 母さんを喪った時、この人は全てを置き去りにして、なかったことにしたかったんだろう。悲しみの感情も、家族も、何もかも。

 それだけ親父は母さんのことを愛していた。そうしなければ、生きることもままならなかった。


 仕方なかったんだ、全部。


「もう良いよ、父さん」


 オレは親父に笑いかける。


「オレ、怒ってないから。謝られたって困る」


 怒っていない。それは事実だ。怒るも何もオレは親父にそこまで期待していない。


「台所に残りあるから、欲しいならそこから取って。オレもう上行くから、食べ終わったら火は消しといてよ」


 オレは逃げるようにリビングを出た。


 こんなところで似たもの同士を感じて嫌になる。

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