27.再会
小可さんが説得してくれたけど、正直親父が来るはずなんてないって思っていた。一時間だけ待とうと小可さんが提案し、来なかったら家まで送ると言ってくれた。
待つ。途方もない時間に思えた。黙っているなんてできなくて、オレは小可さんと会話をした。
オレから小可さんに話すって、約束したから。
「_____端的に言えば、ユキさんはアンドロイドみたいなものなんだ」
レイが言うには厳密には違うらしいが、レイは詳しいことを教えてくれなかった。「守秘義務」です、なんて尤もらしいことを言って。
「アンドロイド? 今のこの時代に? どこからどう見ても普通の人間にしか見えないけど」
「でも、一緒に過ごしてて違和感はあったんじゃないの? 防水機能があるから水に触れたり調理をすること自体は問題ないけど、ユキさんは飲食を必要としない」
小可さんがハッとした顔をする。
「えっと……一応聞いておくけど、海に行ったから動かなくなったってわけじゃないんだよな?」
「それは大丈夫だ。駄目だったら、そもそも誘ってなんかない。それに、ちょっと体内に水が入ったくらいじゃ壊れたりなんかしない」
「おお。ならひとまずは安心だな」
あからさまにホッとした表情すんなよ。「治療費請求されたらどうしよー!」って、顔にデカデカと書いてあんぞ。
「ユキさんは元々表に出る存在じゃなかった。売り物として作られたわけじゃないってことな。だからと言って、どこの馬の骨とも知らないガキが一緒に暮らしたいと頼んだからと言って、はい分かりましたって二つ返事で譲れるようなものでもない。
大人達の間で色々話し合いがあったらしくって、刹那さんはオレの親父と契約を交わすことになった」
親父は色々と交渉してくれたらしく、そこは親父に感謝してる。
何はともあれ、さまざまな制限はありつつも、ユキさんはオレの元で暮らしてくれることになった。
一か月に一回、点検の名目でこの場所に顔を見せ、規約違反が起きていないかを確認すること。
他人にユキの正体を明かさないこと。必要以上に外を出歩かせないこと。飲食はさせないこと。等々。
それらの項目を守り、オレ達は今まで暮らしてきた。
「でも、ユキさんって今と昔じゃ全然見た目は変わらないんだろ? 正体を明かすなって言っても、どのみちバレちまうんじゃないのか?」
「だから写真には写らせないようにしてた。それに、この生活が一生続くわけがないってのも、分かってた」
始まった瞬間から、既に終わりは見えていた。
「十五年。十年前に言い渡された、ユキさんの寿命だ。あと数年すれば、ユキさんは元々機能しなくなるはずだった」
耐用年数があらかじめ分かっていたからこそ、刹那さんはユキさんを外に出すのを許可したのだ。十数年。極力人と関わらないようにして、写真という証拠が残らないようにして、見た目が変わらなくとも違和感を覚えられないギリギリの限度だ。
分かってたんだ。いつかは別れなければならないってこと。
でも、こんなに早く来るなんて思ってなかった。少なくともオレが高校を卒業するまでは、ユキさんにたくさんの思い出を与えてやれるはずだった。
ベッドに寝かせられたユキさんの頬を撫でる。柔らかくて、冷たい。ただ眠っているだけにも見え、精巧な人形のように、そもそも生きていないようにも見える。
親父は来ない。小可さんはオレの隣にまだいる。地下は電波を遮断しているから、着信があったとしても気がつかないだろう。
オレはスマホ以外に時間の分かるものを持っていなかったので、小可さんの腕時計で時間を確認した。親父に連絡をして一時間が経とうとしている。
ダラダラと話を続けるオレの近くを、刹那さんやレイが忙しなく動いている。正しくは、刹那さんがレイをこき使っている。
部外者が近くにいるのを苛立ったのか、刹那さんはオレ達を部屋の外に追い出した。仕方なく、廊下に並んでしゃがみ込む。
「来訪者に向かって何だよ、あの態度」
小可さんはぶつくさ言って、不貞腐れている。夏も近いとは言え夜はアロハシャツでは心許ないのか、剥き出しの二の腕をさすりながら。
「……さっきから聞きたかったんだけど、何でここ、こんなに青いんだ?」
ふと思い出したように、小可さんが尋ねてくる。
地下に一歩足を踏み入れると、そこには異様な世界が広がっている。
天井、壁、地面。至るところが青く塗りつぶされているのだ。
「レイの趣味。暇だったから、家中をペンキで塗りつぶしたんだってさ」
「気が狂いそうな作業だな。というか、見てると頭がおかしくなりそうだ」
小可さんはこめかみを指で押さえる。
壁と地面を分ける境目が分からなくなるほどに隙間なく塗りつぶされ、体は平衡感覚を失う。オレもここに来たばかりの時はそうだった。自分が立っているのか逆立ちしているのか、あるいは宙に浮いてるのかすら判然としなくなってしまう。
「目、瞑ってたら良いですよ」
「おお……そうさせてもらうわ」
小可さんは軽くため息を吐き、目を閉じる。こてりと首を傾げ、オレの肩に頭を預けてきた。
触れた肌から小可さんの体温が伝わってきて、オレを侵食する。
冷たい壁に背中をつけ、耳を澄ませた。防音対策はバッチリなようで、壁の向こうからは何の音も聞こえてこない。恐らくオレの声も向こうには届かないだろう。
今この場には、オレと小可さんの二人しかいない。
「小可さん」
「んー?」
「あんたって、優しいよな」
「……は? 何だよ、いきなり」
ガバッと目を開き、警戒するみたいに、わずかに後ずさる小可さん。手を床につこうとして爪先が当たり、かん、と音を立てる。
「別に大したことじゃないんだ。ただ、言っておきたかっただけ」
「お前が改まって何か言い出すの、怖いんだけど」
そんな、悪霊に乗っ取られた人を見たみたいな顔すんなよ。そりゃ確かに、オレらしくもなく素直かもしれないけどさ。
「今思えば、出会った時からあんたは優しかった。オレのこと気にかけてくれてたんだろ? 最初ばかりは何だこの人って思ったけどさ、でもオレ、あんたに感謝してるんだ」
ユキさんのこともあるからと他人と希薄な付き合いしか持たなかったオレにとって、小可さんは正に晴天の霹靂だった。
捻くれ者のオレに話しかけてきて、まるで古くからの知り合いみたいに気安い態度で居座って。そんな出会いだったのに、気がつけば今ではかけがえのない存在になっている。出会ってたった数ヶ月だというのに。
「でもさ、あんたの優しさって何のためにあんの? 子供が幼稚園から帰ってくるまでの暇つぶし? ちょっとした人助け? 見ての通りだけど、オレはあんたに返せるもんなんて何もないんだ。性格最悪だし、これといった取り柄もないし。あんた、何で今オレの隣にいんの?」
小可さんは露骨に眉を顰め、それでいて困惑の表情を浮かべる。
「何が言いたいのか、正直分からない。お前を放っておけないから、隣にいたいからじゃダメなのか?」
「そんな理由だけで、あんたは家族を放って、血の繋がりもない男子高校生の世話を焼くのかよ」
だとしたらそれ、かなり気持ち悪いよ。
オレの言葉に、小可さんは更に表情を歪める。
契約。
オレはユキさんに母親を求め、その対価としてユキさんはDesireから外に出ることができた。
ユキさんがオレに優しいのは、この場所に戻りたくないから。オレがユキさんに優しくするのは、見返りがほしかったから。
無私の善意ほど恐ろしいものはない。
さっきのあんたは確かにカッコよかった。でも、だからこそ、何故オレなんかにそんな優しさを見せるのか分からなくて不安になる。
「お前は、どんな理由だったら納得するんだ」
「どんなものでも。話してくれたら納得するよ。でも、さっきのはダメだ。オレはあんたに恩返しがしたいんだ」
小可さんが、苛立ち混じりに髪を掻きむしる。
「オレは、見返りだとか恩返しだとか、そんなもののためにここにいるわけじゃ_____」
カツン、と。物音が言葉を遮った。どこからともなく聞こえてくる音に二人して耳を澄ませる。
カツン、カツン。硬いものを叩く音は、等間隔に、次第に大きくなっていく。
足音のようだ。
小可さんがさっと立ち上がり、オレの前に立ち塞がった。
足音に続いて、廊下の奥から人影が近づいてくる。
そして。オレ達の目の前で足音は止まった。
「……嘘だろ」
まさか、本当に来るとは思っていなかった。
親父がオレの目の前に立っている。
眼鏡をかけ、髪をワックスで後ろに流し、糊のきいたスーツをびっしりと着こなした親父が。
その光景が信じられなくて、オレは何度も瞬きをしてみた。
小可さんはしゃがみ込んでいるオレに一瞥くれると、親父へ歩み寄る。視線を交わし、軽く会釈を交わす二人。
先に言葉を発したのは、親父だった。
「すまないが、君の名前をもう一度聞いても良いだろうか」
「……小可一縷だ」
「小可くん。どうやら君には迷惑をかけたようだな。夜遅くまで息子に付き合っていただき、申し訳ない」
親父は持っていた鞄から財布を取り出し、そこから数枚のお札を抜き取った。
「これは私のお詫びの気持ちだ。どうか受け取ってほしい」
差し出されたそれを、小可さんは勢い良く払い除けた。お札がヒラヒラと時間をかけて地面に舞い落ちていく。
「_____ふざけんな! こんなのいらねえよ!」
大声が廊下中に響き渡る。拳を強く握りしめ、親父を鋭く睨みつける。
親父は軽く咳払いをして、「ならば、何が必要か教えてくれないだろうか」と尋ねる。それが更に小可さんの怒りを買ったようで、小可さんは親父に掴みかかった。
「小可さん!」
慌てて二人の間に割って入る。
「高嶺くん、止めないでくれ。こいつのこと、一発殴ってやんねえと気が済まないんだ」
「やめろって! どうしちゃったんだよ小可さん、あんたらしくない。普段のあんただったら、どんなこと言われたって笑って流してるじゃんか」
親父がバランスを崩し、尻餅をついた。その拍子に賭けていた眼鏡が外れて地面に落ちる。
揉み合っているうちにワックスで固めた髪はほつれ、何本かが額の前に垂れ下がった。
親父が呆然としてオレを見る。
「希。お前の友達はなんというか……随分と乱暴なんだな。あと、建物の前に停められていたのはこの男の車か? あまり、悪い人とはつるまない方が良い」
小可さんが親父の上に馬乗りになり、胸ぐらを掴む。
「小可さん。頼むから落ち着けって。今こんなことしてる場合じゃないんだよ。分かるだろ。こんなことより、早くユキさんの手当てをしないと_____」
突然、部屋の扉が開いた。地面に転がってすったもんだしているオレ達を、刹那さんが虫ケラでも見るような目で見下ろしてくる。
「うるさいぞ貴様等。私は眠いんだ。来たならさっさと中に入ってサインを済ませろ」
……こっちの声は聞こえるのか。




