26.親友
耳元で、スマホにつけられたストラップがゆらゆらと揺れる。
数年前の誕生日にユキさんからプレゼントされたものだ。経年劣化により塗装がかなり剥がれているが、捨てるつもりはない。
一度、二度、三度。呼び出し音が鳴る。
『……なんだ』
「遅くにごめん。今仕事中?」
『ああ』
「いつもこんな時間まで仕事してんの?」
『ああ』
違う。こういうことが聞きたいんじゃない。
深呼吸。意を決して、本題に入る。
「あのさ、父さん。……さっきユキさんが倒れたんだ」
『ユキが?』
「契約者の同意がないと処置はできないって、刹那さんが。だから、すぐ来てほしい」
長い無言とため息。
『それは今でなければ駄目なのか?』
「え?」
『仕事が終わったらそっちに向かう。お金は持ってるだろう? お前はもう家に帰りなさい』
頭をガツンと殴られたような衝撃に襲われる。
『私は忙しいんだ。こういうのは電話じゃなくメールをしなさい』
「……それだけ?」
『それだけ、とは?』
「ユキさんが倒れたんだよ? 心配じゃないの?」
再び無言。何を言われるかなんて、考えなくても分かる。
『直らないわけではないんだろ。何をそう取り乱す必要がある』
ほら。またため息だ。
この人は、目の当たりにしたわけじゃないから、こんなことを言ってられるんだ。
先程まで喋っていた人が目を開けない恐ろしさが、温もりを失った体を抱きしめる心細さが、何より助けてやれなかった自分への怒りが、分からないから。
母さんが死んだ時はあんなに泣いてたのに。あの時と今と、何が違うっていうんだ。
「……はは」
思わず笑っていた。間違いない。これは心からの笑み。
ああ、もう。気分は最悪だ。
『希?』
ひとしきり笑って、呼吸を整える。
「……そうだね。父さんの言う通りだよ。あんたはいつだって正しい」
声が震えて上手く出せない。
「こんなことで狼狽えるなんて、オレが馬鹿だった」
もういい。この人にこれ以上期待したって無駄だ。
オレのことなんて、金のかかる面倒なガキ程度にしか思ってないに違いない。
「明日、ここに来るの忘れないでよ。修理自体は数時間で終わるから、すぐに仕事に戻れるってさ」
『……』
「忙しいのに電話して悪かったよ。もう二度と電話もかけない。それで良いだろ」
勝手に元気でやってろ。馬鹿親父。
返事を待たずに通話を切ろうとした。その時だった。
スマホが突然、オレの手の中から消えた。驚いて横を見ると、小可さんがオレのスマホを握りしめていた。
唇をへの字にして、眉を吊り上げて。馬鹿みたいにブサイクな顔で。
スマホを耳元に当て、口を大きく開く。
「あんた、何なんだよその言い方は!」
肌を通り抜け、直接心臓に刺さるような鋭い声。思わず肩が跳ねると、小可さんはオレを一瞥して、再び喋り出す。
「誰だって? 俺は、高嶺くんの親友の小可一縷ですけど? なんか文句でもありますか?」
いつもなら、勝手に親友呼ばわりすんなって文句のひとつは言っていただろう。でも、オレは何も言えなかった。
「ああ。聞いてたよ。聞いてたとも全部。赤の他人だけど。聞こえたんだから仕方ないだろ。……なあ、あんた、仕事仕事って言うけどさあ、実の息子が助けてくれって言ってんのに、それよりも優先しなきゃいけない仕事ってのは何なんだよ。言ってみろよ、ほら、すぐ。なあ」
小可さんは捲し立てる。
「どうせあんたは仕事を言い訳にして、全てから逃げてるだけなんだよ。逃げてたらそりゃその時は楽かもしんないけどよ、でも、このままだと取り返しのつかないことになるかも……いや、既になりかけてるかもしれない。
手遅れになっても良いのか? 絶対に後悔しないって言い切れるか? しないってんなら、俺はこれ以上何も言わない。でも、後悔したくないなら、今からでもすっ飛んでこいよ。あともう少しだけ待っててやるから。
俺が言いたいのはそれだけだ。じゃあな」
小可さんはスマホを持つ腕をゆっくりと下ろす。肩で息をしていた。真っ赤になった顔がオレを見て、困ったように眉を下げる。
「……怒ってる?」
「怒ってるよ」
「オレに?」
「バカ言うな」
ふん。と荒く鼻息を吐き、小可さんは外方を向いた。
怒った顔は馬鹿みたいにブサイクで、やかましくて、親友気取りだけど。
でも、さっきのあんたは本当にカッコよかったよ。




